瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(62)

岡本綺堂「影」(6)
 9月18日付(59)に述べたように、本作を初出誌で読んだとき私はかなりがっかりしました。そして9月17日付(58)にも言及した安藤鶴夫の「凡作」との評に納得したものでしたが、一旦本作についての記事を切り上げるに当たり、本作のどこがいけないのか、メモして置こうと思います。参考までに幽Classics『飛驒の怪談 新編 綺堂怪奇名作選』の位置(頁・行)を添えました。
 理由の第一は、場違いに炭焼小屋に姿を現す「芸妓おつや」です。
 華やかな女形を出そうと考えて、木曾ではなく、熱海に近く236頁8行め「山の中と云っても、里は近い」場所が設定されたようですが、やはり全く場違いな存在です。――何故、夜、炭焼小屋に熱海の芸妓が訪ねて来たのかは、243頁11行め「主人と衝突し」て、244頁1〜2行め「稼ぎ時に五六日も家をあけて、些っと/主人を困らせて遣*1」ろうと思い付いたからで、4行め「小田原」の「自分の家」では、5行め「直ぐに追手がかかる*2」し、余所に行く金もないので、249頁8行め「遠縁にあたる」重兵衛の炭焼小屋で「五六日隠まって貰*3」おうと云う事情が設定されてはいます。そして、こんなことを本人にぺらぺらと説明させることで、おつやが気が強く、口数が多く、思ったことをすぐ喋ってしまうような人物であることが、観客にも分かります。
 しかし、相当鬱陶しいです。重兵衛にも、250頁7行め「(苦々しそうに。)どうも騒々しいな。‥‥*4」と煩がられる始末です。
 第二は、目に見える形で怪異を演出してしまったことです。確かに昨日引いた東雅夫「編者解説」に云うように「なんら具体的な怪異」は「登場し」ません。しかしながら、一瞬ですがはっきり見せています(多分)。(以下続稿)

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 鬱陶しい女性登場人物と云うことで、2015年12月17日付「Agatha Christie “Death on the Nile”(2)」の前置きに述べた Tuppence を思い出してしまいました。さすがにおつやは Tuppence ほどではないのですが。
 ところが、驚いたことにDVD-BOXが発売されています。

 これを売り出すくらいなら、もっと売れそうな名作で、見ることが困難なものが多々あるのに、と思ってしまいます*5。いえ、それどころか――そして誰もいなくなった」の方は見ていませんが、抱き合わせて売り付けないで下さい(!)。
9月23日追記そして誰もいなくなった」単品を貼付して置く。それぞれ別に買った方が安い。

*1:ルビ「うち・ち・や」。」

*2:ルビ「す・おつて」。

*3:ルビ「かく」。

*4:ルビ「にがにが」。

*5:先日死去した樹木希林の主演作では、平成3年(1991)1〜3月放映の「マダム・りん子の事件帖」を毎回見た記憶があります。しかしNHKの番組公開ライブラリーでも見ることが出来ません。他にも、私は見ていませんでしたが、一部の人に強い印象を残したらしい、昭和63年(1988)3月放映のドラマスペシャル「台所の聖女」も、やはり見る術がありません。ネット上にも殆ど情報がありません。――どうも、昭和末から平成初年の事物が、今からすると酷く遠い存在なのです。