瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(121)

・堤邦彦「「幽霊」の古層」(6)
 昨日の続きで、堤邦彦・橋本章彦 編『異界百夜語り』60~61頁、堤邦彦執筆の26話め「お二人さま?亡霊と旅する男」を見て置こう。冒頭、60頁2~6行め、

 逃亡する殺人者の背にしがみ付く血だらけの女。そして他人の目に幻視される亡霊の姿。そのよ/うな怪談話の一群は、江戸から昭和のはじめにかけて、怪異小説や芝居のタネとなり、さらに地方/の口碑に流入してさまざまなバリェーションを生み出した。たとえば、杉村顕道『怪奇伝説 信州/百物語』に載る「蓮華温泉の怪話」はそのひとつである。


 以下、60頁の残り(7~16行め)に梗概を示す*1が、11~15行め、子供の見たものが明かされる親子の会話は2字下げでそのまま引用している*2
 やはり私はここで堤氏の提示する構図に同意しがたいものを覚える。怪異小説は大正期の岡本綺堂「木曾の旅人」、芝居は昭和戦前、綺堂晩年の戯曲「影」だろう*3けれども、2018年9月17日付(58)に述べたように「影」は占領下と云う条件下で1回だけ上演されただけ、長らく初出誌を探して読むしかなかった「凡作」で、あまり影響を云々出来るような作品ではないと思う。「地方の口碑に流入し」たのは事実だが、これも自然に発生したと云うより、青木純二と云う、作家とは認識されていないが、北海道アイヌの伝説を幾つも捏造した前科(?)を持つ新聞記者の懸賞応募作品であって、これも「作られた伝説」であった可能性が高い。
 それから「江戸から」の例を示していないことも気になる。堤氏はこれまで、2018年8月25日付(42)に引いたように、China 明代の『迪吉録』とその翻訳『堪忍記』そして井原西鶴の遺作『万の文反古』から岡本綺堂「木曾の旅人」までの筋を引いていた。これらを同類の話として括る構図は、私も当記事の初回、2011年1月2日付(001)に示したところだから、異論はない。しかしこれら「江戸から」の例が「幻視さ」せるのは「血だらけの女」の「姿」ではない。
 いや、堤氏は「蓮華温泉の怪話」の粗筋に続いて、61頁1~5行め、

 登山客でにぎわう明治の白馬地方に伝承された〈亡霊と旅する男〉の奇談は、岡本綺堂「木曽の/旅人」(一九二五年)にも脚色されている。
 一方、殺人者の背後に影のように連れ添う怨念といった筋立ての話を求めて説話史をさかのぼれ/ば、すでに中国明朝(一三六~一六四四)の勧善書『迪吉録』に「王勤政」の怪談としてその源流が/記されていることに気づかされる。

として、6~8行めに「王勤政」の怪談の粗筋を記し、9~11行め、翻訳『堪忍記』そして井原西鶴の遺作『万の文反古*4』へと話を展開させている。
 すなわち、堤氏は従来挙げて来た『迪吉録』以来の流れを、「木曾の旅人」や「蓮華温泉の怪話」の一段階前の「源流」に、位置付けているのである。
 そうすると、やはり「血だらけの女」の方の「江戸から」の例も示してもらいたいところだ。それが「木曾の旅人」及び「蓮華温泉の怪話」の直接的な「源流」になるはずだからである。
 それはともかく、ここで前回問題にした点、堤氏が「杉村顕道『怪奇伝説 信州百物語』」としている点に話を戻そう。
 堤氏は「「幽霊」の古層」にて、2018年8月29日付(46)に引いたように「蓮華温泉の怪話」について、198頁19〜21行め「顕道の筆は迫真の描写力をもって蓮華温泉の怪談を再現しており、‥‥はるかに小説虚構の色彩のみなぎる‥‥」と《評価》していた。しかしながら、実態に於いて「蓮華温泉の怪話」と比較対象になった「山の宿の怪異」との間に「はるかに」と云う程の差異は認められない*5
 それで、どうしてこのような評価になるのか、と云うことを考えたときに、やはり9月15日付(118)に挙げた杉村顕道『信州百物語』が近年やや注目されている理由の② 怪談作家・杉村顕道の著作であることの影響を考えざるを得ない。
 だからこの点が反映されているのかどうか、私には興味があるのである。――単行本『異界百夜語り』は、このような文言はないものの、杉村顕道の名を持ち出すことで「「幽霊」の古層」と同じ効果を狙っていることが察せられる。そうすると、初出が「全国農業新聞」とすると『信州百物語』の著者が判明していなかった時期の執筆だから、純然たる口碑の筆録と云う扱いになって、判明後とは若干書き方が違っていただろう、と思うのである。
 いや、変わっていなかったかも知れない。61頁12~15行め、実話として記録された『諸仏感応見好書』の類話*6に触れた上で、最後の段落、16~17行めを

 こうした息の長い説話に伝播が杉村顕道の筆録した明治の山岳奇談へと連続していることを忘れ/てならない。

と締め括る。17頁下部に「(堤 邦彦)」。――「筆録」としており「描写力」を問題にしていない。この時点では堤氏は「伝説集」と云う標題を信用して「蓮華温泉の怪話」を明治30年(1897)ころの話として、岡本綺堂「木曾の旅人」に先行するものとして扱っている。「蓮華温泉の怪話」の捉え方が「「幽霊」の古層」とは違っているようにも(単に紙幅の関係かも知れないが)思われるのである。
 しかし一方で、誤記・誤植が多いことも気になる。農業新聞であっても一度発表されたのであれば、校正も入るだろうし、執筆陣の誰かから指摘がありそうだとも思う。単行本化に際しての追加であろうか。すなわち、――岡本綺堂「木曾の旅人」の発表年を1925年とするが、目下、確認されているのは1921年刊『子供役者の死』*7、1926年に改稿して『近代異妖篇』に組み込まれたので、大正14年(1925)版は(恐らく)存在しない。明朝の成立年(1368)は下1桁が脱落しているし、『万の文反古』は61頁10行め『万の文古』と誤っている。(以下続稿)

*1:気になるのは60頁6行め「温泉宿」の場所を「白馬岳の山裾」としていることで、原文「白馬岳の山ふところ」は、「白馬岳の中腹」とすべきだろう。

*2:叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』324頁1~5行め。異同は最後の行「迚も」のルビ『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』「とて」『異界百夜語り』「とても」。

*3:「「幽霊」の古層」には2018年9月16日付(57)に引いたように作品名を挙げて同趣旨のことを述べている。

*4:ルビ「よろず・ふみほう ぐ」。

*5:この結論だけ述べたのでは信用されないかと思って、部分的にだが比較対照させて見たのである。但し、末広昌雄「山の宿の怪異」の下敷きになった「深夜の客」(厳密には「深夜の客」を改題した『山の傳説』収録の「晩秋の山の宿」と比較するべきなのだけれども)を「蓮華温泉の怪話」と比較し、その後、「山の宿の怪異」を「深夜の客」と比較し、さらに「深夜の客」を「晩秋の山の宿」と比較――と云う次第で、読んでいないが『永遠の0』のように順繰りに見付け出した訳ではないので――直接の比較ではなく間接的な比較になってしまった。しかし結論に問題はないはずである。ただ、残念ながら、余り閲覧されていないようだ。

*6:原文は「「幽霊」の古層」の「説話の場」の節、200頁23~28行めに横組みで引用されている。

*7:私は6月5日付「阿部主計『妖怪学入門』(3)」に触れた近藤紫雲の絵の存在から、さらに遡るのではないか、と考えている。