・濱本浩「塔の眺め」(1)
昨日の続き。――佐藤健二の纏めた「喜多川周之「十二階凌雲閣」問わず語り」に拠ると、喜多川周之(1911.6.9~1986.11.13)は昭和35年(1960)頃に、添田知道(1902.6.14~1980.3.18)から濱本浩(1891.4.20~1959.3.12)が自分の話を捻じ曲げて書いたと云う思い出を聞かされている。その濱本氏の文章を私は本書を最初に手にする直前に読んで知っていた。いや、濱本氏に抗議した添田氏の文章の方で印象に残った、と云うべきかも知れない。
しかし私の気付いた順序に従って書いても仕方がない。その文章が収録されている文献であるが、既に暗示しているように『復刻『江戸と東京』全四冊』である。各号とその発行日や定価・頁数などは9月12日付(1)に纏めて置いた。
・江戸と東京改題「新文化」第四卷第一號 昭和13年(1938)1月1日發行*1
2~3頁(頁付なし)見開きの「目 次」では、2頁8行め「[◇ 塔 の 眺 め…………………濱 本 浩(三〇)]」と3頁13行め「[小説 打棄られツ兒…………………長 谷 川 伸(七九)]」のみ、四隅の切れた太線の枠で囲って、目玉扱いしている(漢数字は半角)。
30~33頁、濱本浩「塔の眺め」は、2段組で1段20行・1行27字でゆったり組まれている。30頁の右側8行分は2段抜きで題と著者、題の上にカット。なお33頁下段の左半分(10行分)は「井筒ポマード」の広告。
冒頭部を抜いて置こう。30頁上段~下段3行め、
私の出世作は「十二階下の少年達」といふ、明治末期の淺/草六區を舞臺に活躍した書生無賴*2の仁俠生活を描いた小説だ/つたので、それ以來、自然に淺草を題材にとることが多くな/り、ひとかどの淺草通*3になりすまして居るけれど、私は淺草/育ちでもなければ、また淺草と特に深い關係を持つ者でもな/いのだから、淺草のことを書く段になると、いろいろ調べな/ければならぬ。ところが淺草と云ふところは魔法の國のやう/なところで、却々正體が摑めぬとみへ、文献はもとより、人/々の記憶もまちまちで、何れが正體だか判斷がつきかねる。
この春も「淺草の灯」といふ長篇小説に、震災直前の十二/階の眺望を書きたいと思つた。
十二階と云へば、僕も二三度登つたことがあつたが、それ/も明治時代だつたか、或は大正になつてからか、はつきりし/ない位ひで、塔の遠望などはもちろん確信がなかつた。ひよ/つとすると僕の登つたのは、曇り日だつたかも知れぬ。
濱本浩の経歴は「高知県立文学館」HPの2016.10.25「【作家紹介】浜本浩(はまもとひろし)」に載るものが Wikipedia「濱本浩」項よりも詳しい。
昭和7年(1932)に改造社を辞職して作家デビューしてから直木賞候補になった頃までの時期の作品については川口則弘のサイト「直木賞のすべて」の「候補作家の群像/濱本浩」にリストアップされているが、「「十二階下の少年達」(『オール讀物』昭和8年/1933年4月号)/ ≫ 昭和9年/1934年9月・竹村書房刊『十二階下の少年達』所収」とある。竹村書房版『十二階下の少年達』(昭和九年九月十五日印刷・昭和九年九月二十日發行・定價二圓也・468頁)は国立国会図書館デジタルコレクションでカラー画像が閲覧出来る。表題作「十二階下の少年達」は、次の選集にも収録されている。
・『淺草の灯』昭和十三年二月十八日印刷・昭和十三年二月廿二日發行・定價壹圓四拾錢・三+三六〇頁
これも、国立国会図書館デジタルコレクションにてカラー画像で閲覧出来る。但し改装されて元の装幀が分からなくなっているが、本書は竹村書房版『十二階下の少年達』と違ってかなり売り出されたらしく、オークションサイトで「装 幀 鈴 木 信 太 郎」の表紙を見ることが出来る。(以下続稿)