多摩美術大学関連の怪談について、3日前から見ている2ch(5ch)のスレッド「大学にまつわる怖い話」の続き。従って、今回も「閉じ込められた女子学生」の話題には及びませんが、乗り掛かった舟のようになってしまいましたので、一通り眺めて置きましょう。過去の書き込みのうち「73」番までは10月10日付(07)に、「103」番までは10月11日付(08)に引用してあります。
「37」番によって2度「73」番めと「103」番めの書き込みによって強く否定されたにもかかわらず、立教大学助教授教え子殺人事件の話題は2度蒸し返されることになります。
7月21日午後の「121」番は、
おらがT美の学生だった頃聞いた話だよ。タ○ヤの前で大型トラックに曳かれて足を切断する事になっちまった女の子がいただ。
建○科の、可愛いので有名な子だっただ。ところがあとで助手さんに聞いたら、T美では4〜5年に一度必ず右足を失う事故に逢う女の子が出るそうだ。
例のオ○バ助教授に殺され埋められたた女性の右足の骨が見つかっておらんからじゃと。建○科の子も...。右足じゃった...。
まあ、タタリのせいかどうかは判らんが、4〜5年に一度大事故に逢う女学生が出たのはほんとうじゃよ。
と、呪いが続いているかのような話を昔語りめかして書き込みました。しかし、そうでなくても多摩美術大学は怪談(とそれを語りたがる関係者)の多い学校らしく、これに応じて同日夕方に新たな書き込みが続けざまに5件、まづ「124」番が、
これも、T美大。オレが大学生時代に学友総会に出席した時の話。
大学当局への要望がその日の議題だった。
最初は学費の値下げ希望とか、設備の充実要望と云ったお固い議論が続いたが、やがて、委員長が「もっと身近な要望もドンドン発言して下さい。」との言葉に、たぶん1年の女子学生が立ち上がって、「本館3階の女子トイレに鏡が無いのが困るんです。」と言った。
しかし委員長は真面目な対応で、「ああ、無理です。あそこには鏡はつけられないんですよ。」と答えた。
「何故ですか?」
...あそこに鏡つけると、写っちゃうんですよ。」
と書き込み、続いて「127」番が、
タマBだったら、漏れの聞いた話だと、美研の上にあった油画研究室がコワカッタらしいぞ。
教授室の隅っこからなにかが歩いてくるらしい。霊感の強い学生は近寄らないようにしてたうだ。
あと、血の手形の付く電話ボックスは漏れの情報だと昔の寮のまえにあったヤツだって聞いた。
拭いても拭いても手形がつくから、ボックス外しちゃったって。その後しばらく、雨曝しの公衆電話があるから、新入生が不思議がっていたってさ。
と書き込み、ここで流石に全国の大学の怖い話のスレッドであるにもかかわらず、異常に高い多摩美術大学関係者率を「129」番が、
こんなところに多摩美ネタがおおくてびびった
確かにあそこ付近はやばいからね…
と突っ込み、「129」番は続けて「130」番めに「あなたのうしろにタマビさんが・・・」のHNで「たまBの陶芸科の教授のK.M先生は宮尾すすむにコワイほど似ている...。」と和ませよう(?)とするのですが、直後の「131」番に「↑間違えちゃった。K.N先生だよう。みんなにキンペイ先生って呼ばれてる」と訂正を入れております。
ところが、次の書き込みをきっかけに、多摩美術大学の書き込みはなされなくなってしまいます。
8月12日の夜に昭和期の学生と思われる「182」番が、
多摩美術大学
・近くに道了堂跡がある
・昔の処刑場だったので地名が鎗水、(鎗についた血を洗ったという沼があった)
・昔、どこかの教授が生徒を殺害し、遺体を捨てた(大学敷地内らしい)
・過去の生徒で自分の焼身自殺ビデオを撮影したひとがいる
・プール横の建物はかつての学生寮だが、あまりにも出るので閉鎖になった
随分前に卒業したのであのへんは地形も含めかなり変わったとおもいますが
と、自分の知っている話題を一通り並べるような書き込みをして再び立教大学助教授教え子殺人事件に触れたところ、日付が変わって13日になった頃、「185」番めに、
>182
このスレ、最初から3回読み直してください。既出中の既出。おなかイパーイ。つイエローカード
と、以前見たような書き込みがあり、13日未明にこれに対して「187」番めと「189」番めに暴言の応酬があり、最終的に「190」番め(IDは「187」番めに一致)に「182」番が折れて、収まりましたが以後、多摩美術大学関係の書き込みはなくなってしまうのです。この「185」番めも、IDが同じ「189」番めに「既出のツマンネ話カキコしてえらそうにするなボケ」とガラが悪いことを書き込んだり、「既出」に激しい拒否反応を示すところからして「37」番らしく思われのです。……別人でもおかしくありませんが。
しかし、私は嫌いではありません。真面目に書き込んでいることは良く伝わって来ます。
そして、卒業生であっても、事件に近い時期に在学していたとしても、学校の過去の出来事を正確に把握している訳ではないことが、よく分かります。当時、実際に見たのでなければ、確かなことは云えないのです。いえ、在学当時の事件だとしても(学校当局は学生・生徒に不祥事の詳細をアナウンスしたりはしませんから)正しく理解出来ている訳ではありません。むしろ当局が正しく理解させないから、妙な噂が絶えないのだ、とも思えるのです。
事情通のような顔をしている先輩から伝わって来る話が、確かなのかどうか。――確かでないからこそ全国の学校に似たような「七不思議」が(現地に合わせて若干合理化された形で)あるのでしょう。さらに私たちは勘違い・記憶違いを起こします。――間違いないと語った話が実は間違っていた、と云うケースはざらにあるので、どうしても傍証が欲しいのです。当時の報道があれば一番ですが、さもなければ別のグループからの証言が欲しいところです。(以下続稿)