瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

校舎屋上の焼身自殺(8)

 鶴川氏のレポートの結論部分に戻るべきなのですが、前回触れたに2001年6月16日夕方に立てられた2ch(5ch)のスレッド「多摩美卒業制作で焼身自殺」を一通り眺めて置きましょう。
 まづ「1」番が「何年か前、多摩美の卒業制作に屋上で焼身自殺して、それをビデオにおさめた人がいるって本当ですか?」と書き込んだのに対して、翌6月17日明け方の「3」番が「本当」と応じ、同日昼前に「4」番が、

ほんと。うちの研究室にあるよん。
つーか、毎年卒制で逝ってるジャン。

と、恐らく無責任に、書き込んでいます。こういう書き込みや、無関係な「荒らし」があるのでネット掲示板はそのままでは扱いづらい訳です。
 同日深夜には「5」番が、

それは結構前の話で、、、しかも話が少し食い違っている。/研究室に保管してあるという話は初めて聞いたけど、、、
 
正確に言えば、焼身飛び降り自殺の一部始終をビデオに記録した話でしょ!?

と、飛び下りの件を付け足しています。
 日付が変わって6月18日に「6」番が「卒業制作として認められたの?」と疑問を表明しましたが(当然のことながら)返事はありませんでした。
 6月23日深夜に「13」番が「それって何年くらい前?」と書き込んだのに対して、1ヶ月経って7月22日未明に

おいらが卒業したのが六〜七年前、その時には既にその話が有った。/それで、研究室の上の屋上が閉鎖されたとか、なんとか。

と、平成7年(1995)かその前年の卒業らしい「15」番が応じたのに対して、13分後に「18」番が「何年くらい前の話なの? 関係ないけど、バラバラ殺人はいつの出来事n?」と話を広げ始めます。さらにその7分後に「19」番が、

>15さん
10年前にはすでにそんな話がありました。/その時点で既に「10年近く昔の話だけど・・・」という注釈がありましたので、事実とすれば1970年代末ですかね?
現場は本館屋上とのことですが、それ以上の詳細は・・・スンマソ

と書き込みました。
 さて、「さがまちコンソーシアム(相模原・町田大学地域コンソーシアム)」の学生主導型体験プロジェクト「さがまち学生Club」の「心霊WEB企画/オカルトさがまち/大学のコワイ噂多摩美術大学編〜」に、多摩美術大学の怪談が「7つの噂」に集約されて、多摩美術大学オカルト研究会代表の伊勢智日(本名S・T)によって語られています。この記事は末尾に「取材・文 熊谷/丸山/西端/ 2012.8」とあって、平成24年(2012)夏に取材が行われたものと分かります。――この記事は八王子城について調べたときに、見た記憶があるのですが、当時は多摩美術大学に注目していなかったので読んだだけでした。
 7つの噂の中にはこの半月ほどの間に見たものも幾つかありますが、さすがに当の大学のオカルト研究会代表だけあって、多くの情報を綜合してあります。焼身自殺については以下のように述べてあります。

五つ目の噂
卒業制作で焼身自殺の噂
これはあまりにも有名で、多摩美内ではもちろんネット上でも見られる噂である。
 
曰く、卒業制作で追い詰められた四年生の学生が校舎の屋上で自身の焼身自殺をビデオに録画し、それを教授に提出したという噂だ。
どこの棟かはわからないが、共通するのは屋上で自殺を図ったということ。そのテープの行方については、教授の研究室や総務課で保管してあるとの噂が流れている。
 
これはかなり古くからある噂で、元をたどれば1970年代末頃に起こったという話も見られるようだ。
この学生のその後については諸説あるが、焼身自殺で死んだという人の霊が出るという噂は聞いたことがない。亡くなったとすれば幽霊の噂の一つは聞いてもいい。そう考えるとこれだけ浮いていて不気味だ、と伊勢氏は話してくれた。


 一応突っ込んで置くと、――まづ、誰が録画したのかが分かりません。それから、教授に提出したのが誰かも分かりません。しかし、これは不問に付されていると云うべきでしょう。そこを気にしたらそもそもこの話そのものが成り立ちません。「幽霊の噂」がないのも、そりゃ、本当に死んだ人がいないから(語っている学生たちも薄々そのことに気付いているから)だろうと私は思うのです。
 しかし、それ以上に問題があると思うのは「1970年代末頃」としていることです。根拠は恐らく、先に引いた2001年7月22日書き込みの「多摩美卒業制作で焼身自殺」の「19」番だと思うのですが、「10年前」に聞いたときに「10年近く昔の話だけど」との注釈があったから「1970年代末」と云うのは、単純に引き算すればそういう見当になりますが、これを一人歩きさせるのは非常に危険だと思います。
 この書き込みから確実に云えるのは「10年前」すなわち平成初年にこの話が多摩美術大学にあった、と云うことだけです。「10年近く前」と云うのは、在学生及び在学生の知っている範囲の卒業生に、元の事件の目撃者がいないことを保証する(?)決まり文句に過ぎないでしょう。差当り接触する可能性のある範囲の人は立ち会っていない、と云うことを示したまでで、結局どこまで遡ってもそんな事実を知っている人はいないと思います。――同時代の傍証が欲しいところなのです。(以下続稿)