昨日今日に述べた出来事については、20年余り前に書き留めて置いたので、それで今でもある程度思い出せるのだ、と思っていたのですが、どうもそうではなくて、他に書いたことのない中学の時のことをいろいろ、思い出しています。
11月9日付「校舎屋上の焼身自殺(17)」に触れた教室の石油ストーブですが、ストーブの係があって、朝だったか、用務員さんに灯油タンクに詰めてもらって、それを教室のストーブのタンクに石油ポンプで注入する役目でした。明らかに嫌われる係だったのですが中1のとき、この係をやらされました。中2中3の2年間はパン牛乳係で、これは余所の中学にはあまりない係なので、愛校心溢れる私は自分でも気に入ってやっていました。私の中学には給食施設がなく、近隣の小学校には給食施設がありましたから、地域の分を纏めて作る給食センターのようなものがなかったので、昼は各自準備することになっていたのですが、弁当を準備出来ない生徒のために、出入りの業者がパンと牛乳を販売していたのです。そしてこれも、係がクラスごとに取り纏めて、朝、注文を出すのです。昼に牛乳と出来上がったパンが届くので、それをパン小屋と呼ばれていたプレハブに取りに行って、教室で注文者に配布する、と云う係で、当の私は母が専業主婦だったので弁当持参でしたけれども、週に1度、パンを買っていたような記憶があるのです。灯油をこぼして顰蹙を買ったストーブの係と違って無難に勤めたのですが1度だけ間違いを起こしたことがあって、3年の2学期だかに、受けた注文の袋を一旦机の中に入れて置いたのですが、注文に行くときに1つだけ取り出すのを忘れてしまい、昼に注文したのに届いていないと言われて机の中を改めると、と云うことがあって、その女子生徒に土下座して謝りました。私の弁当を差し出す訳にも行きません。友達が弁当を分けると云うのでそちらにも重々謝したことでした。
同じ女生徒とは、同じ頃にこんなこともありました。――休み時間に狭い机の間を通ろうとしたとき、膝を折って後ろに蹴り上げるような按配で邪魔な鞄をやり過ごそうとしたところ、背後で「きゃっ」と言う声がするので何事かと振り向くと、その女子生徒が「わー、■■ちゃーん」と友人の肩に縋り付くようにしながら逃げて行くのです。呆気に取られていると周囲の男子がにやにやしながら「何色だった?」と言うのです。すなわち、私の後ろに伸びた長い(!)脚が、ちょうど彼女のスカートの裾に掛かって、めくり上げていたと云うのです。何色も何も全くの偶然の事故で、何も見ていないのですが、これが私の生涯でたった1度だけのスカートめくりとなったのでした。
他にもいろいろ思い出しているのですが、学校名を特定させるような内容になりますので暫く控えて置きましょう。そして、どうして担任の助言に従わなかったのか、と改めて考えてみるのです。
私は、正直変な奴だったので、良く云えば個性的だったので、基本的に放置されていましたが、たまには、何をしたらどうか、みたいな助言を受けたこともあります。しかしながら、あまり従ったことがない。どうでも良いようなこと、あまり詳しく知らない、知ろうと思っていないようなことはその通りにしたろうと思いますが、「美術部入んな」みたいな、学校生活を決定付けるようなことは頑なにその通りにしなかったように思うのです。
それは、私が筋金入りの臍曲りだからだくらいに思っていたのですが、院生時代に先行研究を検討した際にも、そして当ブログでいろいろやっているうちに、――どうも私は、人からこうだと決め付けられると*1、他の考え方・他のやり方・他の可能性があるのではないか、と考えてしまう癖があって、実際、精査して見るとこうじゃないことの方が、学界みたいな場所でも少なくないのです。
10代の頃の私は妙に自信に満ち溢れていました。英語と数学は捨てていましたが、社会と国語は面白がって、授業では取り上げないような本まで読んでいました。それだのに、自分では大して意欲を持っている訳でもない美術にセンスがあると言われたくらいで入り込んで行こうとは思えなかったのです。かなりの凝り性であることは確かですから、もし上手く嵌って美術に深入りするようなことになったら、現時点で美術よりも私の心を捉えている歴史や地理・文学などに割く時間を減らさないといけなくなります。そしてその先に控えている可能性も捨てることになるかも知れません。それが、どうにも勿体ないように思えてならなかったのです。
しかし、やはり基本は自分勝手なのでした。2016年4月2日付「万城目学『鹿男あをによし』(2)」及び2016年4月3日付「万城目学『鹿男あをによし』(3)」に書いたように高校の遠足で班の連中とは別行動を取ったのは、やはり周囲に掣肘されることが厭で、私も周囲を自分に合わせたいとは思いませんから、そうすることが一番だと確信したからなのでした。
女子高講師時代に一番調子よく授業を進めていたのも、やはり授業内容について掣肘を加えられていなかった時期でした。古典は学年で共通の範囲・問題でしたけれども、現代文は範囲だけ年間計画で大体決まっていて、定期考査は担当者がそれぞれ作ることになっていました。「古典は文法中心で大きな差は出ないが、現代文は担当者によって重点の置き方(解釈)に違いが出るから合わせられない」と云う理屈で、院生として有名な研究者たちが1つの作品について両立し得ない説を提示し合っているのを見ていた私にも、これは納得の考え方でした。随分おかしな解釈で授業をしているのに、生徒からは支持されている同僚を見て、結局教員本人が腑に落ちた考え方でないと、説得力を持たないのだろう、と思ったものでした。
ところが、あるとき、同じ内容の授業を3クラス以上纏めて担当する、と云うことになっていたのが風向きが変わって、5人の教員で1〜2クラスずつ分担し、その5人が持ち回りで全クラス共通の問題を作成する、と云うことになったのです。何故、こういうことになったのか、明確な説明はなく、この方式を推進しているらしき専任教諭は「打合せを密にすれば出来ます」と自信満々で、しかし滅多に打合せもなくたまにネットから拾った参考資料を刷ったものが配布されるばかりで、そうすると変な解釈も多いので依拠して来なかった“指導書”に一応従って置くことになり*2、そのうち自分で腑に落ちるまで教材研究する意欲が失せてしまいました。まぁ頻繁に打合せをされても困ったと思うのですけれども。――何故こんなことをしたのか、旧来の、雑談ばかりして真面目に授業をやらないタイプの国語や社会科の教師を駆逐しようとしていたのか(最近はこういう授業に対して保護者からクレームが寄せられるようですから)、しかし国語の場合、細切れで担当させられては、担当する授業の種類が多くならざるを得ず、それに伴って負担も増え、深く読み込む余裕がなくなりますから、それこそ差当り“指導書”に合せるような、味気ない按配になってしまうのですが、その後移った共学校などでもそんな風で「夢十夜の問題では出すところ決まってますからね」などと話し合っているのです。私はそんなことはないと思うのですが、共通問題ですから自分だけ突出する訳にも行かず“指導書”のうちから当り障りのないところで筋を引いて、教科書に提示されている質問も従来なら適当に取捨していたのですが、作問担当者がどう扱うか分からないので、一々取り上げざるを得ません。言えば良いではないか、と思う人もいるかも知れませんが、毎回細々とした確認が必要になって打合せの時間を合わせるのも大変で、時には自他の勘違いを直接指摘し合うことにもなる訳ですから、疲れます。それに、私は人に合せるのが嫌いなように、人を自分に合せさせるのも厭なのです。これまで通り、それぞれ勝手にやれば良いではないか、と思うのですが、なかなかそういう訳にも行かなくなったのでしょう。それで砂を噛むように授業して、――本当にこれで良いのだろうか、と密かに嘆息するばかりなのでした。
妙な論文でも通説となるようなことがある*3のは、書いた本人が納得しているからで、そうでないのに周囲を納得させることは出来ないだろう、と思い、そして生徒も私も納得出来ない状態で女子高を追われることとなったのです。
それはともかく、ブログくらい掣肘されたくないと思い、それで今は匿名でやっていますが、いづれ個人的な事情にも及ぶつもりでそのときは匿名を止めるつもりです。いえ、私は人の書いたものの疑問点を追究する行き方を、やられた方は厭かも知れませんが知らずに誤りを垂れ流し続けるよりは、結果的に遙かに役に立っているだろうと思っていて、他にあまりいない、私のような発想をする人間ならでは特技として、認めてもらえたらなぁと思っているのです。そして美術部に入れと言われたことに従わなかったのも、同じ傾向のこととすれば腑に落ちるように、今にして思われるのでした。(以下続稿)
*1:【11月25日追記】「云われると」と「決め付けられると」に改めました。――この辺り、2011年3月22日付「幽霊と妖怪」及び2011年5月13日付「柳田國男『遠野物語』の文庫本(12)」にも「デリダによれば」の先輩、折口信夫、吉本隆明への違和感として書いたことがありました。
*2:昔のように受験がほぼ一般入試のみであれば良いのですが、推薦入試の方が多いような学校だと、定期考査の点が大きな意味をもちます。そうすると、授業で言っていなかったことが出題されたり、授業で強調していたことが出題されなかったり、と云ったことが(私の感覚ではどちらも別に構わないと思うのですが)大きな問題になってしまうのです。そこで、指導書のようなものが教員共通のテキストとして力を持ってしまうのです。――そうすると教科書ガイドのようなものを買う生徒は、苦手科目の授業を聞く気持ちにならなくなる訳で、いろいろ悪循環なのです。