瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

卒業式の思ひ出(1)

 私は自分の卒業式のことを余り覚えていない。いや、小学校の卒業式のことは一場面だけ良く覚えているが、思い出したくない。
 中学の卒業式のことは、2018年11月15日付「美術の思ひ出(4)」に触れた。式の後、校庭で(生徒の人数が多すぎて、講堂には入りきらないので)下級生たちと対面して、講堂での卒業式では私と同級の前生徒会長が答辞を読んだが、それとは別に私の近所の女子生徒が、近所と云っても全く交流がなく、たまに避難訓練後に集団下校で一緒になったくらいなのだが、卒業生代表として挨拶して、まぁそんなのに選ばれるくらいだから真面目でしっかりした印象の、まぁまぁ綺麗な子だったのだが、在学中の思い出を列挙した最後に「恋もしました」と言って嗚咽したのには吃驚した。何だか脱力した。それから、海援隊の「贈る言葉」を合唱した。余り声は出ていなかった。そして最後、丘の上の校舎から正門への、コンクリート舗装で○の窪みが規則的に打ってある坂を、吹奏楽部の演奏する「CHA-CHA-CHA」に送られてだらだらと下って退出したのであった。
 しかし、高校の卒業式は、何故か全く思い出せない。思い出せないくらいだから、私の高校時代には全く甘美な要素がないのであった。今朝再放送の「チコちゃんに叱られる」にて卒業式で第二ボタンを渡す習慣が取り上げられていたが、私の場合何の支度も必要なかった。周囲に下さいと言われた男子もいなければ、もらったと言う女子も聞かなかった。だから私にとって第二ボタンは、止め忘れて「恋人募集中?」と冷やかされるくらいの存在でしかなかった。中学のクラスの不良はこれ見よがしに短ランの第二ボタンを外していたけれども。
 それはともかく、高校非常勤講師をするようになって、何回か卒業式に出席することになった。
 非常勤講師は担当する授業とそれに付随する業務を担当するだけなので、学校行事には参加の義務はない。だから、全く出て来ない人もいる。けれども、私は行事が好きなので、参加可能であれば毎度のこのこと出て来て、球技大会でひっくり返ったり、運動会で十数年前の高3の体育祭でリレーのアンカーを務めたことを思い出すような快走を見せたり、文化祭は毎年中間考査の時期に当っていたので講師室で採点しながら全日何となく、いたのである。そして卒業式も、最初に海外に行くことになった知人の後任として年度の途中に入った共学高では、3年生を最終的には5クラスも担当したのに、継続するという話が出ていたらしいのが2月末になって急に覆って馘首されることになったせいか、呼ばれなかったので出席しなかった。次の男子高は3年生を担当しなかったので出る義理もなく、呼ばれたかどうかも記憶していない。次いで産休の代講で女子高2校に出たが、1校めは3年生を選択科目で小人数担当しただけだったので呼ばれず、2校めは3年生だけ担当して1月で授業も私の雇用も終りで、特に招待されたわけでもなかったと思うが、日は聞かされていたので行ってみた。
 時間には間に合わず、初老の専属の守衛さんに元講師の旨を告げると通してくれたので講堂に行くと、受付に体育(ダンス)の女の先生がいて、話したことはなかったのだが私の顔を覚えていて「あ、先生、どうぞお入り下さい」とて中に入れてくれたのである。しかし、式次第は全く覚えていない。――と当初書いたのだが、だんだん思い出して来た。
 秋にはいたのに冬になると授業に全く来なくなった生徒がいて、生徒たちも担任も他の教員たちもその長期欠席を別段話題にもしないのである。私は聞かなくても良いことは聞かずに済ませよう、と云う性質なので別に聞きもしなかったのだが、ある日、さすがにこのままでは出席日数が足りなくなるのではないか、と思って、授業で出席を取ったときに生徒たちに聞いてみるに、生徒たちは、あぁそうか、先生は知らなかったのね、と云った按配で「フィギュアスケートの選手なので競技のシーズンになると学校に来ない」のだと説明してくれた。すなわち公認欠席(公欠)で、壮行会も行われたらしいのだけれども、講師は行事には原則として呼ばれないので知らずにいたのである。――3年間ずっとそうで、2年生に上がるときにクラス分けをして3年には担任もそのまま持ち上がっているから、彼女らにとっては当り前過ぎて、何の説明もなかったのである。
 そして卒業式で、この生徒の名が呼ばれたときに「はいっ!」と明るく大きな声でにこにこしながら返事をしたのを見て、秋に何度か会っているはずだのにいなくなるまで別に注意もしてなかったから、初めて、あぁこういう子だったのか、と思ったのである。
 式で印象に残っているのはこれくらいである。――進学先ももちろん知らなかった(講師はそういう資料には触らない。そもそも触る必要がない)が、その年の年末、全日本フィギュアスケート選手権に出場するのに気付いた。しかも滑走順を見るに某有名選手の後だったので、ひょっとしたら放送されるかも知れぬ、と思って見ていたのだが、演技を終えた有名選手のインタビューの背後で「×番、△○◇▽さん。××大学」との場内コールが聞こえたのみであった*1
 余談で長くなってしまった。――さて、式が終わって、生徒たちは教室に戻り、私も1月までいた講師室に行って、空いたままになっている席に落ち着いてみたのだが、懇意にしていた同僚も来ていなかった*2ので、どうしよう、何時引き上げたら良いのか知らん、と思っていると、3年生4クラス中、特進クラスは教えなかったが残りの3クラスのうち1番上手く行っていた理系クラスに呼ばれて、しばらく生徒たちと話すことが出来たのだった。中に、私を見て感激して、泣き出した生徒もいたのだが、もちろん私個人にそこまでの魅力がある訳がないので、卒業式と云う日と、もう会うこともないと思っていた人と思いがけず再会したこととが、たまたま斯くの如き感涙をなさしめたのだろうと思ったのだが、これが或いはその後、私が卒業式にほぼ毎年行くことになった直接の原因になったのかも知れない*3。(以下続稿)
追記】この産休代講の女子高で卒業式に出席したことは、2018年1月22日付「吹奏樂部の思ひ出(2)」に既に触れていた。

*1:滑走順は抽選で決めているらしく、別に有力選手が並んでいた、と云う訳ではなかったようだ。それで地上波放送ではインタビューの時間として活用(?)されてしまったのである。

*2:誰かに会ったと云う記憶がない。1月末に、やはり1月末までの任期だった新卒の数学講師(男性)としみじみと話し、そして文集製作のために遅くまで残っていたところに部活の指導を終えて戻って来た、やはり若い体育講師(女性)といろいろと話したことは、よく覚えているのだけれども。

*3:ここまで書いてしまってからフィギュアスケートの選手のことを書き足した。この理系クラスの生徒だったのだが教室では何の挨拶もしなかった。まぁ授業で殆ど会っていないのだから当然である。