・末広昌雄「雪の夜の伝説」(18)
昭和31年(1956)の「山と高原」二月号(第二三三号)掲載「雪の夜の伝説」の「狩山の鼠」は、前回引用したところまでで終わりですが、佐々木喜善『東奥異聞』の「嫁子ネズミの話」の「一」節めは、最後に12月12日付(78)に引いた「山言葉」を説明した1段落がありました。これは平成4年(1992)の「あしなか」第弐百弐拾四輯掲載「山の伝説」の「山の神の伝説」にも採られておりません。
こちらも話は、やはり前回引用したところまでで終わりなのですが、1行空けて最後(17頁下段3〜5行め)に、9月14日付(55)に引いた「古い山日記を整理し」て「これら」の話を掘り出した旨の断り書があります。しかしながら、実態は昭和31年(1956)に自身が雑誌「山と高原」に発表した旧稿「雪の夜の伝説」の改稿だったのです。いえ、この断り書だけなら、末広氏が別に作っていた「山日記」があって、そこに雑誌(サンデー毎日)や書籍(東奥異聞)に拾った山に関する説話・伝承も書き留めていた、と云う可能性も考えられなくもなかった訳ですが*1、「あしなか」の「山の神の伝説」の冒頭に、これも9月14日付(55)に引いたように「昭和三十年代に残雪の東北の山々を歩いた時に」と書いてしまったのは完全にアウトです。かつ、昨日まで検討したように、くどいくらいに「吹雪」や「雪」と云う設定を書き加え、殊更に強調しているのは故意――12月3日付(73)に述べたような事情を想定せざるを得ないのです。
そうすると「山と高原」の「雪の夜の伝説」で、既に雑誌の発行時期に合わせた改竄を行っていた上に、「あしなか」の「山の伝説」で自ら「聞いたこと」にしたのは、虚偽の旅行・調査歴の申告までやってしまったことになりましょう。
「山と高原」誌は、私の高校山岳部時代で云えば「山と溪谷」や「岳人」に当たるような一般向けの商業誌のようですが、末広氏が戦前の雑誌や書籍から「珍しい」話を掘り出し、季節に合わせた設定の改変を行って寄稿したのも、読者の興味を惹き付けるサーヴィスとして、私のような人間からすると有難くないことですが、商業誌の読物としてなら許容出来なくはないことなのでしょう。
しかしながら、それほど本格的な研究誌ではないにしても「山村民俗の会」と云う集まりの、研究資料としてそれなりに利用もされている会報「あしなか」に、現地の人に直に「聞いた」とか「古い山日記」にあった、などの虚偽を加えてしまったことには、厳しい批判を加えざるを得ないと思うのです。(以下続稿)
*1:しかし今となってはかなり無理のある想像と云わざるを得ませんが。