瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(84)

・末広昌雄「雪の夜の伝説」(19)
 今回は昨日の続きで、ここまでの検討につき一応の結論を述べるつもりでしたが、その前に細かいことを2つ、取り上げて置きましょう。

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 「嫁子ネズミの話」の「一」節めの類話が、同じ佐々木喜善『東奥異聞』に見えているので触れておきましょう。
 『東奥異聞』の4章め「磐司磐三郎の話」の最後、「」節めの本文末に、

 このほかにも磐次という名まえの狩人の情けによって首尾よく安産した不浄の女性、じつは山神さんが、その報謝のしるしに豊かな山幸をその人に与えたという話(2)が他にもあるがあまりながくなるから、まずこのくらいのことにしてこの話の終りとする。

とあって注に、

(2)秋田県北秋田郡荒瀬村地方に残っている口碑。少々詳しく述べると、あるとき狩山に八人組と十人組のマタギが山籠りしていた。そこに一人の綺麗な女がきて泊めてくれといったが、八人組のほうでは女という語さえ厳禁しているマタギのことなれば、ならぬと断わった。そこでその女人は十人組のほうの小舎にいって頼んだに、その小舎の頭のマタギがこれはただの女ではないと見て取って心よく泊めた。するとほどなく女は子どもを産んだほどに、その小舎に大事にいたわり育てておいたれば、その女はいつとなく小舎から姿を消してしまった。これは山の神さんであった。それからその組には大猟があったという。これは荒瀬村字中村という山間からきたクマの胆売りの鈴木竹治という青年から聞いたものである。

とあります。これまで検討して来た6章め「嫁子ネズミの話」とはマタギの人数が異なる他、引き受けた方が大猟であったのは同じですが、断った方がコダマ鼠になったと云う結果にもなっておりません。――しかし、こちらには話の出所が明示されています。
 話者の鈴木竹治ですが「広報あに」第214号*1(昭和55年6月20日秋田県阿仁町役場総務課 編集・発行/8頁)の最後、8頁5〜6段め「慶弔だより 5月」の6段めの囲み「■おくやみ申し上げます。」として挙がる6人の最後に「鈴木 竹治(75) 中 村」と見えているのがその人でしょう。昭和55年(1980)5月歿、明治37年(1904)か明治38年(1905)生と云うことで、まさに大正末に二十歳前後の「青年」でした。
 それはともかく、一方「嫁子ネズミの話」でコダマ鼠の話を語った「同所の老人のマタギ」と佐々木氏とは、一体どのような縁で知り合ったのでしょうか。
 なお「嫁子ネズミの話」と云う題は『江刺郡昔話』の「鼠となつた娘の話」の梗概である「二」節めに拠るものですから、「」節め単独では別の題で呼ぶべきだったのですが、勝手に妙な題を付けてもナンですから、しばらくそのままにして置きます。
追記】これまで「荒瀬村」の位置を、12月5日付(75)のように何となく荒瀬駅附近すなわち「荒瀬村荒瀬(現在の北秋田市阿仁荒瀬)」のつもりで書いて来ましたが、現在の北秋田市のうち、秋田内陸線の駅で云うと阿仁合駅までが阿仁合町、そして荒瀬駅以南が荒瀬村だったので、荒瀬村中村は現在の北秋田市阿仁中村、阿仁マタギ駅附近です。荒瀬村(大阿仁村)と、その中の荒瀬集落と、同じ「荒瀬」なので、うっかり混乱させてしまいました。昭和12年(1937)に荒瀬村を大阿仁村と改称したこともこれに関係しているかも知れません。こうなると佐々木氏が話を聞いた「老人」が「荒瀬村」のどの集落の人だったかも気になるところです。さらに昭和30年(1955)に阿仁合町と大阿仁村が合併して阿仁町になっていますから、末広氏がこの話を最初に雑誌に寄稿した当時、旧荒瀬村の範囲を指して「荒瀬」と称することは、流石になくなっていたのではないでしょうか。

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 9月14日付(55)に触れた、「あしなか」第弐百弐拾四輯14頁中段右に掲載されている略地図について、もう少し細かく見ておきましょう。方角は注記されていませんが、慣例通り上が北です。――西側にやや右に傾いた白黒のJR線があり、文字は明朝体で北端の切れ目に「五所川原方面」、南端の切れ目に「秋田方面」とあります。途中、北寄りに○があってその左にここのみ縦組みで「JR能代」とあります。JR線はこの○の下で少し西に曲がっています*2。○から東に、やや南下気味にJR線が分岐して、中央やや右上の○「JR/鷹巣」に至っています。JR線はそこからやや北東に向きを変え、切れ目に「大館方面」とあります。JR鷹巣から南に1本線に枕木を足した私鉄線が伸び、○「荒瀬」から▲「大平山」と▲「森吉山」の間を抜けて○「比立内」に至っています。荒瀬の少し上に○「阿仁合」があるのですが何故か路線上に位置していませんし、少々「荒瀬」から離れすぎているようです。1年前の平成元年(1989)4月に秋田内陸縦貫鉄道は全通していましたから「比立内」までとなっているのは少々古い情報です。しかしそれ以上に問題があるのは「JR能代」で「秋田方面」及び「大館方面」に通じる奥羽本線と、「五所川原方面」に向かう五能線が分岐していることで、五能線東能代駅奥羽本線から分岐しているので、1つ先の能代駅は五能線の駅なのです。この地図では能代駅の位置は合っているのですが、実際には能代駅の1駅手前、少し西に曲がる前に位置する東能代駅が分岐点なので、鷹巣駅までの奥羽本線はやや南下気味ではなく実際にはやや北上気味なのです。(以下続稿)

*1:表紙に拠る。奇数頁(3)頁、(5)頁、(7)頁の左上の頁付に添えられる号数は「第217号」に誤るが「北秋田市」HPを見ても第214号で間違いないようです。

*2:海岸線は記入されていませんが、男鹿半島が切れてしまいますからこれは省略した方が良かったでしょう。