瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(87)

・末広昌雄「山の伝説」(11)
 小松和彦監修『日本怪異妖怪大事典』と、その基礎になった国際日本文化研究センター「怪異・妖怪伝承データベース」について、12月19日付(85)に、問題点を述べて見ました。もっといろいろ突っ込んだ批判を加えるべきかと思うのですが、今、その余裕も準備もありません。しかしこのままでは準備をしないうちに忘れてしまいそうなので、準備不足の見当に過ぎませんが、その一端につきここに述べて置くこととしたいのです。
 さて、私の挙げた問題点ですが、凡例や解説の説明を読むことで、事例の採録範囲が限定されていること、それから採録した資料の吟味が十分になされていないであろうことも察せられますから、『日本怪異妖怪大事典』及び「怪異・妖怪伝承データベース」の問題点と云うよりも、むしろ利用者側の問題と云うべきなのですけれども、普通はこんな奇妙な(と云ってしまって良いと思うのですが)作りになっているとは思いませんから、特にその筋では有名な監修者の付いた『大事典』の方は、解説文も学界の粋を集め最新の成果を盛り込んだものとなっている、との予断を読者が持って使ってしまうだろうと思うのです。しかしながら、実際には事例の採録範囲が限定されていますから、その怪異・妖怪が歴史的にどの程度遡るのかは『大事典』でも「データベース」でも全く分かりません。そのような説明は『大事典』の各項目の解説文で一々なされるべきだと思うのですが、殆どの事項でそこまで書き込むだけの余裕が与えられていないのです。分布については、面倒ですが「データベース」を一々確認して行けば、これもこのような報告をする民俗学者がいたか、いないかで大きく差が出るでしょうけれども、ある程度は分かります。
 しかしながら私は、そこまで慎重に取り扱う人がどのくらいいるのか、甚だ懐疑的です。何となれば、研究者であっても2011年5月18日付「明治期の学校の怪談(4)」に触れたように、話が記録されていることを、話が発生したことと同一視してしまうようなケースがありましたし、8月24日付(41)に引いたように『大事典』の「幽霊」項には、この末広氏の「山の伝説」の「山の宿の怪異」の要約が事例⑨として提示されているのですが、この項を担当した堤邦彦は8月29日付(46)に見たように、この話を「素朴な聞き書き」と捉えております。しかしながら、実態は「サンデー毎日」の懸賞に応募した作品「深夜の客」の剽窃で、民俗関係雑誌「あしなか」への寄稿ではありますがそもそもが週刊誌の懸賞入選を狙った、そして事実入選するような、小説じみた作品だったのです。いえ、私は「木曾の旅人」にヒントを得て、綺堂のように何を見たかはっきり説明しないのではなく、はっきり見たことにしても十分、いやむしろその方がはっきり効果が上がることを見越して創作した“小説”だったのではないか、と思っているのですが、堤氏は「深夜の客」の改稿と思しき「蓮華温泉の怪話」を「はるかに小説虚構の色彩のみなぎる話柄」と、格段の違いがあるかのように評価するのです。
 私はここに、やはり予断を見ます。――『信州百物語』は「蓮華温泉の怪話」のように小説じみた話ばかりではないので、気を付けて読むとこの「蓮華温泉の怪話」は他とは変に違っているように思えるのですけれども、そこに従来はっきりしていなかった著者が、後年怪談作家として知られることになった杉村顕(顕道)であったことが分かって見ると、流石「顕道の筆は迫真の描写力をもって」と云う評価になってしまいます。「深夜の客」は「蓮華温泉の怪話」に比べたら「素朴」かも知れませんが、大差があるようには思えません。しかしながら、この剽窃が「あしなか」誌に載ると「素朴な聞き書き」と云うことになってしまうのです。もちろん私は、末広氏が「深夜の客」を剽窃して「あしなか」誌に「山の宿の怪異」を書いたことに気付きましたから、このような判断を為易かったことは確かです。しかし「深夜の客」を介在させずに、「蓮華温泉の怪話」との描写内容・文体の比較に限っても、やはり「山の宿の怪異」には相当の文飾があり、直接ではないかも知れないが「蓮華温泉の怪話」に由来する、剽窃を誤魔化すためにちょいちょい加筆改稿した“作品”と判断したろうと思います*1
 9月6日付(47)にも述べましたが、私は「あしなか」誌の民俗報告について、以前『山の怪奇・百物語』を読んで、これはきちんとした、使用に堪え得る報告と云うより読物である、と云ったような印象を持っていたので、素直に信用出来なかっただけなのかも知れませんが。
 しかし、一般的には、それこそ『大事典』及び「データベース」の要約だけ見て済ませようと云う人は、『大事典』及び「データベース」に採録されていることを、一流の民俗学者による“認証”のように見なして、これを疑おうとはしないでしょう。『大事典』も「データベース」も、実は入口でしかないのですが*2。――「あしなか」誌に出ていることを以て、これを「素朴な聞き書き」としてしまうような予断が、研究者にも認められるのですから尚更です。
 では、どうすれば良いか、ですが、――このような予断を持たずに個別に信用し得る資料なのかを検証し、検証する余裕がないまま執筆に使用するような場合には、『大事典』及び「データベース」の限界を把握した上で、出来れば読者にもそのことが伝わるように配慮して使用する、と云ったことを要求したいところなのですが、そんな注意深い人たちばかりではないことが分かっているから――むしろ私如きは極少数派だと分かっているので、つくづく厄介だと思うのです。(以下続稿)

*1:実際には「蓮華温泉の怪話」の前段階の作品「深夜の客」殆どそのままの剽窃だった訳ですが。――「深夜の客」の作者の問題も、白銀冴太郎=杉村顕(顕道)説には何か傍証が欲しいところです。東雅夫の挙げた理由は11月28日付(68)及び12月1日付(71)に述べたように、根拠として採用するには不足です。

*2:しかし、閲覧の困難な雑誌も少なくないから(「不思議な世界を考える会会報」など)なかなか出口まで辿り着けないのですけれども。