瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小金井喜美子『鴎外の思ひ出』(4)

 単行本は口絵に続いて「序にかへて」が4頁で頁付は単独。
 まづ一頁、3行取り6字下げでやや大きく「序 に か へ て」と題し、さらに1行空けて2字下げで短歌。
 文庫版5頁は4行取り4字下げでやや大きく「序にかえて」とあり、3字下げで短歌。

   あ や し く も 重 ね け る か な わ が よ は ひ
          八 十 四 歳 一 瞬 に し て
 これは今年の正月の私の誕生日に、子供達が集った時に口ずさんだのです。
 いつか思いの外に長命して、両親、兄弟、主人にも後れ、あたりに誰もいなくなったの|は寂し/いことですが、‥‥


 6行め途中まで抜いて見た。改行位置を「|」で示した。単行本は短歌を1行にしているが、文庫版は(収まらなくはないが)下の句を改行している。「/」は単行本の改行位置で、他に異同は歴史的仮名遣いであること。
 さて、筆者の年齢であるが、「序にかへて」の末尾、四頁6行めに3字下げでやや小さく「昭和三十年盛夏」とあり、昭和30年(1955)の1月に「八十四歳」の「誕生日」を迎えたことになる。
 「誕生日」については、単行本の奥付の左上に位置する「著者略歴」に記載がある。――縦組みで、まづ2行取り2字下げで「著 者 略 歴」とあって、以下明朝体で、初版には

明治四年一月二十九日、島根県津和野に生る。(兄林太郎十/才、篤次郎五才)
明治六年上京、向島牛島小学校、千住小学校、一ツ橋女学校/(お茶の水高等女学校の前身)を卒業、同時に東大教授小金/井良精に嫁す。
現住所 東京都文京区駒込曙町三
著書「かげ草」(森林太郎と共著、明治三十年春陽堂刊)「泡/沫千首」(昭和一五年自刊)「森鴎外の系族」(昭和一八年大/岡山書店刊)

とある。再版では「現住所」の行が「昭和三十一年一月二十六日歿す。享年八十五才」に差し替えられており、『泡沫千首』と『森鴎外の系族』の刊年が「昭和十五年」及び「昭和十八年」と、「一」ではなく「十」に訂正されている。すなわち著者は昭和30年(1955)1月29日に満84歳となり「序にかへて」冒頭の和歌を詠んだことになるのだが、翌昭和31年(1956)1月26日に歿しているので満年齢だとまだ84歳、数えでは八十六歳だから「享年八十五才」が疑問である。
 なお、文庫版の森まゆみ「解  説/――知的で品格高い明治女性の随筆――」、1月2日付(1)に引いた続き、1行空けて286頁14行め〜287頁4行めには、

 小金井喜美子は明治三(一八七〇)年十一月二十九日、旧亀井藩の城下町である石見国津和/野に森静男(旧名静泰)、峰の長女として生まれた。静男は養子で峰が家付き娘である。/本名キミ。君、喜美、君子、喜美子、きみとも書く。八つ上に長兄林太郎(鴎外、文久/二年生れ)、三つ上に次兄篤次郎(三木竹二、慶応三年生れ)と祖母清が家族であった(の/ち九つ下に弟潤三郎が生まれる)。

とあって(西暦年の漢数字は半角)、は単行本の「著者略歴」より2ヶ月前に生れたことになっている。
 検索するに、事典類でも明治三年(1870)十一月二十九日(太陽暦1871年1月19日)、明治四年(1871)一月二十九日の両説がヒットする。どちらが正しいのか今、突っ込んで調べる余裕がないので疑問として示すに止める*1が、明治三年十一月説を採った「解説」には、この「序にかえて」との矛盾について説明する必要があったと思うのである。(以下続稿)

*1:或いは、太陽暦ではは翌年1月生れであることから、明治四年一月生、そして日は厳密に換算せず「二十九日」のままにしたのであろうか。なお、兄弟との年齢差については別に改めて述べることとする。