瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森於菟『解剖臺に凭りて』(4)

・丸井書店版(昭和十四年十月六日印刷/昭和十四年十月十日發行・定價壹圓參拾錢・前付+284頁・四六判)
 国立国会図書館デジタルコレクションに拠る。
 表紙は上部右寄りに楷書体横書きで「てり凭に臺剖解/   著菟於 森 」著者名はやや小さく、平仮名はさらに小さい。下部には木箱のスケッチがあって書名は筆記体で「tei」。
 装幀だが折返しがあるように見える。しかし国立国会図書館蔵本はカバーは保存しないはずなので、これは小口折(フランス表紙)なのであろう。遊紙を挟んで扉。表紙も扉も1月11日付(3)に見た昭和書房版を全く踏襲しておらず、太線の匡郭の内部を縦線2本でで左右に仕切り、文字は明朝体縦組みで右の枠の上部にやや大きく「 森  於  菟  著」左の枠の下部に「丸 井 書 店 刊 」中央の枠には上部に大きく標題「 解 剖 臺 に 凭 り て」。
 口絵は同じ。
 序(頁付なし)は2頁で、1頁めは昭和書房版に一致。まづ2行取り字下げなしで大きく「序」とあり、3行空けて本文。ここは昭和書房版により全文を抜いて置こう。

 毎年殆ど同樣の解剖學の講義を機械のやうに繰返し、學術上の仕事と云へば餘程の馬鹿/でない限り出來るやうな事をコツ/\やる外に能のない私、そして又圍碁も將棋も、釣魚/も、園藝も何一つ趣味を持たない私が、ふとした事で學生諸君の新聞雜誌に、それも自分/の慰だけに書いたものがジヤーナリストの眼に止つた。それから度々書け書けと云はれ/る。所が私の頭の中にある戸棚の抽斗には二通りしか準備がない。一つは專門の解剖の事/をもぢつた「グロ」物であり、他は父に就ての記憶を賣物にした「鴎外」物である。御注/文のある度に、「へい承知しました。どちらを差上ませうか」と抽斗をガタ/\させるので/あるが、專門家でない悲しさには、同じ事をいろ/\形をかへて書いたり、うまくつぎ合/はせたりする手際がないので、いくらも書かないのにどうやら材料が種切になりそうであ/る。尤も以上二つの外に抽斗がない譯ではないが、其中のものは賣物にはならぬかも知れ【1】ぬし、又開けて見て案外空つぽかもしれない。然しそれはともかく今後の事に屬する。昭/和書房が私の「グロ」と「鴎外」を一所にして本にしてくれると云ふ。物好きな本屋もあ/るものだと思つたが、別に否むべき筋もないので其意に任せた。本書が即ちそれで、「解/剖室夜話」はグロ物を收め、「父鴎外と私」には鴎外物の外に私の身邊雜記をもいれた。「筆/の雫」は其校の學友會誌に連載した物であり「葉卷の灰」は昔ある非公刊廻覽雜誌に載せ/たもので今となつては破り棄てたい項もあるが、いづれは小さい人間私の生活記録である/ので卷末にとどめた。見る人は寛容の心を以て對せられたい。


 1行空けて3字半下げでやや小さく「昭 和 九 年 一 月」、次の行は19字半下げで「大宮町盆栽村にて」、最後の行に29字下げ「著     者」。
 丸井書店版は「昭 和 九 年 一 月」が削除されているのみで、2頁め1〜2行め「昭和書房」もそのままになっている。(以下続稿)