・高松家との関係(3)八重夫人との同居
昨日の続き。
私は図書館派なので『三田村鳶魚全集』を持っておりません。今年10月に104歳になる義理の祖母が持っていて、今施設に入っていますが家は近所で他にもかなりの冊数の蔵書がそのままになっていますのでいざとなればそれを借りてくれば良いのですが*1、しかし所有(ではないですね、占有)してしまうとどうも安心してしまって滞ってしまうのです。ですから図書館から借りて見ているのですが、貸出期間を1回延長しても4週間で返却、この間まで借りていた3冊は、その前に借りていた3冊から引き継いだ(?)数十枚の附箋を整理しないまま新たに何百枚と貼り付けてしまい、しかしまだ一部分しか点検していない訳で、――八重夫人との結婚した辺りとか、義妹の操が東洋大学に入学した辺り、中野に新築した辺り、操が皆川豊治と結婚した辺り、満韓旅行の辺り、赤マントの辺り、‥‥などポイントを見付けてその前後をしばらく眺める、と云う行き方をしていて、その間、数年分が未点検のままになっていたりするのです。しかも、ノーチェックの人名の方が遥かに多い。それで4週間、一部は記事にして剥がしましたが、いよいよ増える一方なのですが、しかし附箋をそのままにして返却する訳には行きませんから、先日、返却日に裏をメモに使っている八百屋のちらしの束を持って図書館に乗り込み、附箋の位置だけメモしても仕方がないので、人名(一部は件名)ごとに分類して頭から附箋を貼り付けた日付をメモして行きました。終わったときには、附箋に使っている虫歯予防に噛んでいるガムの棄て紙が山のように積み上がり、くらくらしながら図書館を出ようと時計を見ると4時間が経過していました。普段私は集中力の続かない性質なので、肩が凝ることなど殆どないのですが、返却期限と帰宅時間の双方に迫られて久しぶりに肩から首筋がこちこちになってしまいました。――それこそ、当ブログに1ヶ月分の人名索引を1日の記事にして行った方が、無理なく確実にこなせて良いような気がして来たのですが、明治37年(1904)9月から昭和24年’(1949)12月まで、一部抜けていたりもしますが、500日以上掛かる計算になります。‥‥物理的に、或いは精神的に、もしくは経済的に、身動きが取れなくなったときに取って置くこととしましょう。
しかし、白い附箋に何も書かずに貼り付けていただけだったのを、人物ごとに飛び飛びながら一通り整理してみて、改めてこのような作業から本当は積み上げて行かないといけないのだ、との思いを新たにしました。いえ、『三田村鳶魚日記』の索引があれば、有難く活用させてもらうのですけれども、ないのだからそこからやらないと難しい、と思ったのです。――これまで、三田村氏の協力者と云うと、複数の人物が柴田宵曲(泰助。1897.9.2~1966.8.23)の名を挙げているのですが、その証言を残した人たちが出入りしていなかった時期に、かなり精力的に三田村氏を助けて仕事をしていた人たちがいるのですけれども、『三田村鳶魚日記』公刊後も、本人が死亡していたとしても子供たちが生存していたはずなのですが、何の証言も出ないまま、今やその子供たちも鬼籍に入ってしまい、いよいよ、本当に分からなくなってしまいそうな按配です。
さて、高松家との関係、と云うことを考えたとき、特に八重夫人の弟・龍吉と妹・みさをの2人が注目されるのですが、『三田村鳶魚日記』には龍吉の名の方が先に登場します。
その前に、前回の続きで大正2年(1913)3月19日の婚儀の後、一旦実家に戻った八重夫人がどうなったのかを辿って置きましょう。
三月二十四日(月)条、『三田村鳶魚全集』第廿五巻148頁下段20行め~149頁上段1行め、
今給藜ヲ小石川ニ遣リ、八重ニ親書ヲ与ヘ米崎氏ニ礼物/ヲ致ス。○調息四炷。
これに対して、三月二十六日(水)条、149頁上段7~8行め「‥‥。○八重より来月七日帰宅の旨申/来る。○‥‥」と云うことになりました。この米崎氏も前回挙げた金森氏、木谷氏、中川氏と同様にこの結婚に関与した人なのでしょう。まだ調べていませんが。
小石川は昨日引いた三月十五日(土)条にも見えていたように、八重夫人の実家があったところで、そこに三田村氏の使いとして出向いたのが今給藜平と云う人です。今給藜氏は大正初年から昭和11年(1936)3月に台湾に移転するまで、20年以上にわたって『日記』に頻出し、時期によってはどうも三田村氏の助手のような立場であったらしいのですが、これまで注意されていないようです。今給藜氏については妻や息子、それから今給藜氏の紹介した女中たちをひっくるめて記事にするつもりです*2。
その通り、四月七日(月)条、150頁下段13~14行め「‥‥。○/八重帰宅。」となりました。
四月十三日(日)条、151頁下段5行め「八重ヲ小石川ヘ遣ス。○‥‥」とあるのは、どうも日帰りのようです。(以下続稿)