瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(32)

・白銀冴太郎「深夜の客」(8)
 昨日の続きで、①白銀冴太郎「深夜の客」と②杉村顕道「蓮華温泉の怪話」の比較の最後。構成については8月7日付(26)に対照させてある。
【L】男の述懐
 ①一九八頁1〜7行め

 痴情ゆえに女を殺した彼は糸魚川警察署でおびえながらいった。
「悪いことは出来ません、女を殺して逃げ出すと、たった今殺した女が血みどろの姿そのままで/私の背に縋りついているんです。逃げても逃げてもはなれないんです。冷たい手で私の襟首をぐ/いぐいしめつけます。ですから、こんな怖ろしい目にあうのなら死刑になった方がましだとさえ/思いました。捕まってから女の幽霊は私の背中からはなれてしまいました。でも、今でも、冷た/い手が私の咽喉に蛇のように巻きついているような気がしてなりません。」*1
 涙が、頬を伝うと、留置場の床にほとほとこぼれてゆくのであった。


 ②二〇五頁4〜7行め

 犯人は間もなく死刑台の人となったが、「悪い事は出来ないものです。あの女は何時も、血み/どろの姿で私の背に縋り付いていて、ふり放そうとしても放れません。今でも冷たい手で私の首/を締めつけます。こんな苦しい思いをするより早く死刑にして頂く方が余っ程ましです。」*2
 と語ったそうである。


 ②は、①の小説じみた最後の1行を削っている。異同は、まづ述懐する場所と、時機が違う。述懐内容も①は逮捕され、死刑になるであろうことに満足したのか幽霊は姿を消し、犯人はその影に怯えていたことになっているが、②では最後まで取り憑かれている。
 さて、話の舞台であるが、①では、結末【L】は新潟県の「糸魚川警察署」での犯人の述懐となっている。――2011年1月11日付(05)以来注意して来たように、蓮華温泉新潟県西頸城郡の南端、小滝村(現、糸魚川市)にあって、当然、西頸城郡の郡役所のあった糸魚川の警察署の管轄だったはずである。しかも、8月6日付(25)に注意したように、作者の住所が新潟県越後国)高田市である。或いは、白馬岳は長野県ではないのか、と思った読者もいたかも知れないが、まづ新潟県の話と読めるように出来ている。
 ちなみに当時、懸賞応募者は(筆名を使えば本名不公表ながら)住所が公表されることになっていた。2015年10月13日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(06)」に触れた、同じ「サンデー毎日」が1年半前に行った第2回大衆文藝作品募集については、詳細を調べていないものの、同じ山本禾太郎の、2015年11月23日付「山本禾太郎「第四の椅子」(07)」に取り上げた、昭和3年(1928)の讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」*32015年10月15日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(08)」に取り上げた、昭和9年(1934)の「週刊朝日」の「新大衆文藝『事實小説』募集」でも、予選合格者・入選者の住所が明示されている。①の新潟県高田市の住所については、8月11日付(30)に少々大胆な推理(?)を示して置いたが、住所が公表されることが前提であってみれば、その効果を狙ったとしてもおかしくない。
 ところが数年後に②『信州百物語』執筆の機会が与えられた。そしてこの話を収録することを思い付く。――白馬岳(2932.3m)の頂上は長野県と富山県の県境で、新潟県は白馬岳山頂の1kmほど北北東、大所川の源流に当たる三国境(2751m)までで止まっていることもあって、今、白馬岳を新潟県の山と意識することはまづないだろう。そして富山県側は黒部川の上流部で、蓮華温泉経由の新潟県から登るルート以上に困難な登山道しかないため、白馬岳と云うと自動的に長野県の山、と云う連想がなされるようになっている。杉村氏がこの式を意識したのかどうか、蓮華温泉に登るのが8月9日付(28)に見た【C】の「糸魚川口」からだったのは動かせないとしても、結末【L】を「糸魚川警察署」としないことで新潟県を印象付ける要素は綺麗に排除され、この話を、信州の話のような顔をさせてまんまと②『信州百物語』に潜り込ませることに成功したのである。
 ②で、犯人が刑死直前に述懐したのは金沢監獄であろうか。――①警察署の留置場での述懐であれば、大手柄の松野巡査が糸魚川署で聞いて来て、逮捕に協力してくれた蓮華温泉の主人に伝えるなどと云うことも(当時なら)あり得たかも知れないが、土地を離れてしまって簡単に知り得るものだろうか。それほどの広がりを持つ“事件”となっているのなら、これだけではなく、もう少しこの事件の傍証が得られそうなものである。……と云う訳で私は、結末を糸魚川にしたくなかったため、設定を刑死直前に変えたのだろうと考えて見たいのである。(以下続稿)

*1:ルビ「のど」。

*2:ルビ「いつ/すが/」。

*3:2015年11月22日付「山本禾太郎「第四の椅子」(06)」には、同時に行われた讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞長篇小説」の第一次予選結果を示している。