瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「東太郎の日記」(19)本文⑨

 日記の8日め。【 27 】頁下段11行めから【 28 】頁下段4行めまで。
 28頁上段12行めまでの字数が少ないのは、この頁の右上に階段を描いた挿絵があるからで、床に届こうという暖簾により階段の先は隠れています。暖簾は「江ん」つまり「××さん江」の下部が描かれています。階段は4段でさらに下に続いているのでしょう。

 ×月×日、山田、日本座初日。*1
 午後七時樂屋入り。*2
 二階の樂屋部屋へあがらうとすると、階段の下でおふくさんに出會つ/た。自分とおふくさんとは默つてそこに向ひあつたまゝ立つた。やがて/おふくさんは自分の兩肩に手をかけ、胸に顔を押しあて吐息をもらし/た。二階廊下のスリツパの跫音が階段を降りて來さうだつた。自分達は/階段のうしろを廻り、眞つ暗な空部屋に這入つた。*3
 自分とおふくさんとは言ひあはせたやうに、そこに坐つた。*4
「ネ。山木さん。あんた……こんなになつても……まだ……ネ、ネ……」*5
 おふくさんは暗闇のなかで、自分の耳に 唇 をつけた。自分は舞台か*6【27下】ら聞えて/くる圓八/君の浪花/節を聽い/てゐた。*7
「アンタ/は、どう/してアン/ナ夫をも/つてゐる/んです」*8
 おふく/さんは肩にかけてゐた手を離した。*9
「あんた、ほんたうにさう思つておくんなはる?」*10
 おふくさんの聲は闇のなかに眞劍に響いた。*11
「あんたに夫がなかつたら……」*12
 おふくさんはしばらく默つてゐた。*13
「わたし、うれしい。キツとあの人と別れます。別れて見せます」*14
「しかし、それはよほど困難ですよ。そんなことを下手に言ひだせば、/あの人のことだから、どんな目に遭ふかもしれない。あんたは殺される/かもしれませんよ」*15
「そんなこと、ちやんと決心してゐます。覺悟もおます。どんなことし/たて別れます。一年待つておくんなはれ、ネ……ネ……キツと……」*16
 自分はくらやみのなかで肯いた。*17
 廊下に人の跫音がした。*18
 滿員、大入出る。*19

*1:ルビ「やまだ・につほんざしよにち」。

*2:ルビ「ごご・じがくやい」。

*3:ルビ「かい・がくやべや・かいだん・した・であ/じぶん・だま・むか・た/じぶん・りやうかた・て・むね・かほ・お・といき/かいらうか・あしおと・かいだん・お・き・じぶんたち/かいだん・まは・ま・くら・あきべや・はい」。

*4:ルビ「じぶん・い・すわ」。

*5:ルビ「やま」。

*6:ルビ「くらやみ・じぶん・みゝ・くちびる・じぶん・ぶたい」。

*7:ルビ「きこ/ゑん/くん・なには/ぶし・き/」。

*8:ルビ「をつと」。

*9:ルビ「/かた・て・はな」。

*10:ルビ「おも」。

*11:ルビ「こゑ・やみ・しん・ひゞ」。

*12:ルビ「をつと」。

*13:ルビ「だま」。

*14:ルビ「ひと・わか・わか・み」。

*15:ルビ「こんなん・へた・い/ひと・め・あ・ころ/」。

*16:ルビ「けつしん・かくご/わか・ねんま」。

*17:ルビ「じぶん・うなづ」。

*18:ルビ「らうか・ひと・おと」。

*19:ルビ「まんゐん・おほいりで」。