以下に述べることは考えて見れば当り前のことである上に、私自身、大体こんなものだろう、と云う見当は、持っていたのだけれども、最近の学界の議論は承知していないし、自分でも十分に整理し切れていない。かつ、本書に限った問題でもないので、ここで不慣れな見得を切るようなことをするのは少々気が引けるのだが、これから具体的な問題に及ぶつもりなので、敢えて提示して置くこととする。
・編纂物としての伝説集
杉村氏は商業学校の教師をしつつ、本書を書き上げた。但し「自序」では、前付7頁7~10行め、
唯、今日に至つて如何にも遺憾に思ふことは、私も一定の仕事を持つ/てゐる以上、知友から折角面白い話を知らせて頂いても、實地踏査を行/ふ時間の餘裕が無かつたことである。その爲め、或は多少の誤謬なきを/免れまいと疑惧している。切に讀者の御叱正を仰いで止まない。*1
と云う書き方で、勤務先について*2は触れていない。
ところで、教員が民間伝承について調査する場合、生徒に課題として昔話・伝説のレポートを書かせる、と云う手法は早くから試みられており、佐々木喜善『聴耳草紙』にも教員から佐々木氏に送付された、小学生の書いた昔話が収録されている。そして戦前に学校絡みで地域の伝承を纏めた本として靜岡縣女子師範學校の『靜岡縣傳説昔話集』や川越高等女學校の『川越地方昔話集』等がある。生徒の中に「全くこうした話を知る者がな」いとしても、父母、祖父母の世代にはそれなりに蓄積があったはずで、そこから伝承を引き出す仕事も出来たはずなのだが、これら昔話集にやや先行する時期だったせいか、残念ながらそのような発想を持ち得なかったようである。そのため、本書は「宿の老婦」や「知友」から直接「知らせて」もらった話を含んでいるとしても、そのような民俗調査的な作業の成果報告はごく少数に止まっており、実態は、大正期の伝説集、例えば藤澤衞彦編『日本傳説叢書』と同様の、既存の諸書から伝説を集成した編纂物、と云うべきものとなっているのである。そのことは「自序」の、昨日引用した6頁にも「図書館に諸書を渉猟し」た、と表明されていた。その上で不分明な箇所を「古老識学の士に糺して」と云う文脈だったのである。
しかしながら7頁の、上記引用では「知友から折角面白い話を知らせて頂いても」としていることが引っ掛かる。恐らくその殆どを「図書館」の「諸書」に得ているはずなのだが、その「諸書」について本文では(後述するように)ある条件を満たしたもののみ挙げて、本題に関するものはほぼ、示していないのである。その上でこのように書かれては、「面白い話」を「知友から」直接「知ら」されることが多かったかのように読めてしまう。そして、話を聞いても、県域の広い長野県では「実地踏査を行う時間の余裕」は得られなかった、しかし「話」自体は直接「知友から」聞き取ったかのように、読めるのである。
この、実際には書物からの孫引きが主であっても、そのことを明示せず、そればかりか直接聞き取り調査を行って得た材料によって著述したかのように装う手法は、伝説集には珍しくない、はずである。何となれば、伝説のようなものは誰が調査しても似たような話を得られるはず*3で、そもそも独自性(originality)を主張出来るようなものでない。そのためか、先行する書物からそのまま引き写していても*4その典拠を一々示すような習慣もなかったのである。今なら差し詰め、ネット上で得た情報をそのまま自分のSNSに典拠を示さずに上げる人の感覚、と云ったところであろうか。ネット上の情報はそれがオリジナルであるかどうか、俄に判断出来ない。その、責任や権利の所在が曖昧なところに、ネット検索することを以て「調べた」と云う人が少なくない。確かにネット検索もなかなかに手間であるけれども。――当時の伝説集に見られる、先行書からの摂取(悪く云えば窃取)も、これと似たような感覚で、執筆者は自分の「調べ」に満足して、別にそれが後に私のような人間によって問題にされるとも考えずにやっていたことなのである。
私も、小学6年生の頃に「昔話研究」に勤しみ、市立図書館から戦前の昔話集を借り出しては原稿用紙に筆写して、2穴パンチで穴を開けて母が編み物に使っていた毛糸で綴じて冊子にして悦に入っていたものだが*5、大正から昭和戦前、そして、柳田國男が8月11日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(098)」に引いた青木純二『山の傳説』の序文「山と傳説」に述べているように、伝承を資料として「採集」する手続きについて注意を促し始めて以後の、戦後から現在に至るまでであっても、一部にはこのような感覚で編纂された、典拠に関してルーズな伝説集が存在し生産・再生産され*6続けていることに、私たちはもっと注意を払うべきだと思うのである。何となれば、「伝説集」と名乗っているだけで、すなわち古老の「話」を集めた書物だと決めて掛かってしまう人が、少なくないのである。『信州の口碑と伝説』がどのくらいの影響力を持ったか、まだ十分に調べが行き届いていないが、『信州百物語』改題して『信濃怪奇伝説集』については、この伝説集=伝承を聞き集めた本、と云った美しき誤解によって、過大に評価されてしまった嫌いがある、と云わざるを得ないのである。(以下続稿)
*1:ルビ「たゞ・こんにち・い か・ゐ かん・わたくし・いつてい・し ごと/いじやう・ち いう・せつかくおもしろ・はなし・いたゞ・じつち とうさ/じ かん・よ ゆう・た・あるひ・た せう・ご びう/まぬが・ぎ ぐ・せつ・どくしや・ごしつせい・あほ・や」。
*2:【2021年12月4日追記】何故か「教職にあることに」となっていたが、前回「杉村顯『信州の口碑と傳説』(2)」に引用した箇所から何処かの学校の教師をしていることは明らかである。暑気に当てられて錯乱していたのであろうか。よって灰色太字の如く訂正する。
*3:【8月26日追記】理屈としてはそういうことになるが、実際試みるとそうは上手く行かない。実は私も小学6年生のときに父の郷里で調査を試みて、挫折し、そして中学では同級生たちからの怪談の聞き書きへと切り替えたのである。しかし、世間ではこのような実態が認識されていないために、本に載っているような伝説がそのまま現地でも伝承されている、と(何となく)思い込まれているのである。
*4:いや、そのまま引き写しているが故に、と云うべきかも知れないが。
*5:当時(昭和58年)は複写も印刷も今ほど容易ではなかったから、別にそれを印刷して発表したい、などと思うようなことも(小学生だった訳だし)なかったのだけれども、しかし、ただ借りて来て写しただけなのに、何だかエライことをしたかのような気分にはなったのである。
*6:【8月26日追記】投稿当初「伝説集と云うものが存在し」であったが灰色太字にした箇所を削除・加筆した。