瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(142)

・青木純二の経歴(11)横浜での活躍①
 青木氏の名は横浜の資料に幾つか見えている。
横浜市総務局市史編集室 編『横浜市史Ⅱ』第一巻(上)平成5年3月31日発行・定価6,797円・横浜市・1397+15頁
 240頁に青木氏の発言が〈青木純二・元朝日新聞市政記者〉として見える。出典は横浜市文化政策委員会 編「月刊よこはま」第2巻第10号(昭和24年10月・横浜市文化政策委員会)掲載「今は昔 市政放談―長老にきく楽屋ばなし―」である。
 横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」にて検索するに、私が横浜市民だった頃にしばしば参照した(しかし重いので借りて帰ったことはない)次の本にも記述があることが分かった。
横浜市中央図書館開館記念誌編集委員会 編集『横浜市中央図書館開館記念誌 横浜の本と文化』平成6年3月31日発行・横浜市中央図書館・頒価5,000円(消費税を含む)・833頁
 23~263頁「出版」の180~225頁「マス=メディアの系譜」の3節め、202~205頁「戦後の新聞事情」、執筆者は末尾に(山室清)とある。832~833頁「編集委員・執筆者・協力者(機関)敬称略」に拠れば、山室氏は「編集小委員」で肩書は「神奈川新聞社友・横浜文芸懇話会副会長」である。その1項め、202頁上段3行め~下段16行め「神奈川新聞の誕生」に青木氏の名前が見える。すなわち、下段8~10行めに、

‥‥。『神奈川新聞』では青葉茂(本名・青木純/二)の「黒船交友秘譚」や「横浜開港女の風俗」の長期連載が人気を/呼び、‥‥

とあり、上下段の間に「黒船交友秘譚(一)」が図版として掲出されているが読みづらく、2段組の左端何行かは切れている。キャプションはない。
 さて、830~769(1~62)頁「索引・図版一覧」は829~804(2~27)頁「書名索引」、803~777(28~54)頁「人名索引」、776~769(55~62)頁「図版一覧」から成るが、これを見るに「人名索引」801(30)頁左(3列)39行めに「青木純二…………………………………………[出]202」と見え、48行めに「青葉茂………………………………………→青木純二」とあり、「図版一覧」774(57)頁右(2列)31行め「202 [1]『神奈川新聞』 1946年2月24日………………………横浜市中央図書館」とあって、青木氏の新聞連載初回掲載日が分かる。
 青木氏はこの「青葉茂」の筆名を、戦前から使用していたらしいのだが、それは近々示す予定の「青木純二著述目録(仮)」にて触れることとしたい。
 横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」ではもう1件、PDFにて青木氏が関わった書物を閲覧出来るのだが、これについては次回に回すこととしよう。(以下続稿)