瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(143)

・青木純二の経歴(12)横浜での活躍②
 昨日の続き。
 10月27日付(141)に見たように昭和19年(1944)4月には朝日新聞東京本社の整理部に勤務していたが、昨日見たように昭和21年(1946)2月には「神奈川新聞」に連載を持っている。神奈川新聞社に移籍したのかどうか、そこまでは分からないが、その後新聞界から退いた青木氏は、何と芸能事務所の社長(!)になっていたのである。
・『横浜文化名鑑』昭和28年3月25日印刷・昭和28年3月30日発行・非売品・横浜市教育委員会・215頁
 横浜市教育委員会の企画で、横浜の文化の諸相を諸家の寄稿で纏めたもの。69~78頁、青木純二「横浜芸能万華鏡」に、69頁上段3~7行め、

 ミナト横浜は、いろんな点で特異な街である。/そこに、特異な文化の花も咲く。ここでは、そ/の港街を舞台にくりひろげられた大衆芸能のも/ろもろの姿を映し出したい。語ることは多いの/だがこれは「メモ帳」の一部である。

と前置きして、以下4字下げの見出し(明朝体)で以下の項目について述べる。69頁上段8行め「日本最初の曲馬」71頁上段2行め「ゲーテー座」72頁下段5行め「演劇人の古巢」74頁下段12行め「歌手と演芸界の人々」76頁上段11行め「芝居になつた横浜」で78頁下段19行めまで余白なしに詰まっている。
 巻末、白紙の164頁と165頁の間に「文化関係者名簿」の扉があって、題下に3行、

氏名・年令・雅号・出生地・現住所/学歴・勤務先・著作・文化提言/感銘を受けた作品に対する所感・

とあって、165~212頁に3段組で横浜の文化関係者がほぼ50音順で列挙される。165頁中段3~10行め、見出し行以下は1字下げ、5行めの前、1行分弱空け、5行め以下はやや小さい。

青木純二 横浜市中区野毛町/一ノ二五 青葉芸能社 社長
 
 「女の風俗」神奈川新聞昭23 /「ヨコハマ娘の生態」月刊よこ/はま、「赤帽子三楽」横浜日日/昭25ほか。
 市民芸能コンクール・各種市民/文化行事の審査員


 残念ながら年齢・出生地・学歴や文化提言・所感などの記載がないが、前回見た「青葉茂」の筆名との関連からして件の青木純二その人であることは間違いないであろう。(以下続稿)