瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(146)

・青木純二の経歴(14)
 2019年10月30日付(144)から随分経ってしまった。その間、それなりに準備していたのだが、なかなか先に進められずにいたのだが、今回、纏まった材料を得たので報告して置くこととする。
 青木純二(1895.6.10~?)が当初、牛尾兵志と云う名前だったことは、2019年10月21日付(136)に見た遠田勝『〈転生〉する物語――小泉八雲「怪談」の世界の指摘するところであった。「改名」と云うからには戸籍名も変えたのであろうか。
 順序としては先に「純二」と名乗り始めたようである。
 「牛尾兵志」名では著述活動をしていないらしいのだが、「牛尾純二」名では幾つかヒットする。すなわち、国立国会図書館サーチでは次の2件、
・「接吻――小説」「恋愛」1巻2号(大正10年2月・日本性学会・112頁)100~109頁
・「愛の涙――小説」「恋愛」1巻5号(大正10年5月・日本性学会・120頁)104~112頁
 雑誌「恋愛」は月刊で大正10年(1921)1月から6月まで6冊が国立国会図書館に所蔵され、国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館/図書館送信限定」である。
 青木氏の学歴・新聞歴については2019年10月27日付(141)に纏めて置いたが、当時青木氏は満25歳、高田新聞(社会部)の記者だった。
 ネット検索でヒットするのはこの2件だけだが、2015年10月10日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(03)」に取り上げた書誌書目シリーズ(78)『戦前期『週刊朝日』総目次』を参照することで、もう1件追加することが出来た。
 すなわち、下巻の巻末、492~279(214)頁「戦前期『週刊朝日』総目次 執筆者索引」を検索するに*1、468(25)頁の左列25行めに「牛尾純二…………………………… 3-1」とある。そこで上巻を見るに、75頁下段8行め〜77頁下段8行め「週刊朝日』一九二三(大正十二)年一月一日新年特別号(第三巻一号)目次」条に、77頁上段8行め「◇ 雪にからまる伝説 ◇」として、以下下段7行めまで22篇が列挙されるうち、14篇め(上段22行め)に「雪の中に咲く百合花           牛尾 純二 60」とある。この年、青木氏は東京朝日新聞社に入社して(恐らく高田支局主任となって)いる。
 これは青木純二『アイヌの伝説と其情話』80~81頁6行め、32話め「雪の中に咲く百合の花」と同じもの(初出)であろう。

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 なお、念のため「執筆者索引」468(25)頁の「牛尾」姓の人物もついでに確認して置こう。左列24行めは牛尾健治(1898.11~1958.8.20)でウシオ電機代表取締役会長(設立者)牛尾治朗(1931.2.12生)の父、「37-4」一九四〇(昭和十五)年一月二十一日号に随想「厄年礼讃」を寄稿している。そして26行め牛尾平之助は「22-7」一九三二(昭和七)年八月七日号に「潜水作業の話」を寄稿している。明治38年(1905)に東京帝国大学工科大学造船工学科を卒業、著書としては昭和18年(1943)に『軍艦読本』を出しており、この他に幾つか雑誌等に執筆している。(以下続稿)

*1:この索引は左開き横組み2列で括弧内はこの目次限定の頁付。