瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介旧居跡(12)

・Lyle Hiroshi Saxon の1990年8月7日(3)
 一昨日からの続き。昨日は地図に載っていない路地の検証に明け暮れてしまった。全くの脇道で、一昨日からの実質的な移動距離は50mくらいにしかならない。
 それでも動画の再生速度を 0.25 に下げて(だからいよいよ音に注意する余裕がなくなるのだが)写っているものを確認して行く作業は骨が折れる。しかし、今日こそはいよいよ、本題の検討に入るつもりである。
 さて、フラワーマンション(東京都北区田端1丁目19-22)の脇の階段、すなわち「上の坂」をやっと上って、00:30:11、坂の上にある入口にあるカタカナを読んで「フラワーマンション」と言っている。そして右手、00:30:25、恐らく田端1丁目18-9の角の家の、屋根に達せんばかりの蘇鉄を見上げながら田端1丁目19と18の間を抜けて、1丁目20との丁字路に達し、00:30:27、屋根越しにパシフィックパレス田端(田端1丁目20-28)が写るからブロック塀の向こうにあるのは1丁目20-4辺りにかつて建っていた住宅であろう。
 そして00:30:34、40、路地の奥に、吉野朔実の「友人のM・R子宅」に当たる住宅がまづ2度、同じような角度から写るのである。現存する住宅と、殆ど変わっていないように見える。
 00:30:34の前に写る、鬱蒼たる、屋根までびっしりと蔦が絡んでいるらしい住宅がどこか、一見しただけでは分かりにくい。――「らしい」としたのは、壁に絡んだ蔦が写った後、逆光になって、瓦屋根にしては不揃いにもこもこした三角屋根が写るからである。その上天に夏の太陽が輝いている。そして木々へとカメラを右に旋回しつつ下げて行って、路地が写り、その奥に日を浴びる「友人・・・・宅」が写る。路地の入口の三叉路になっているところにだけ、道路に日が差している。Saxon 氏が立っている位置から三叉路まで、少々距離がある。そうすると、丁字路の西側、現在、日神デュオステージ田端が建っている田端1丁目19-21にあった住宅であろう。
 吉野朔実の「山吹のおばさん宅」は、「友人・・・・宅」の手前、黒く影になっている2階建てであろう。そして三叉路に日が差しているのは、西南西に折れている吉野朔実の「山茶花の木が並んでいる道」から差しているのである。
 00:30:35、次に写るのは、庭木の影が道筋にほぼ直角に指しているから、丁字路から右、田端1丁目20と18の間、与楽寺坂上の十字路の方を望んでいるらしい。ここが動画のサムネイル画像になっている。それから1丁目20側の住宅を撮しながら、00:30:37にパシフィックパレス田端をはっきり撮す。00:30:27に撮したときとは Saxon 氏の位置が若干異なるようだ。
 それにしてもこの辺りの住宅地、緑の多いやや広めの住宅が多かったようだが、すっかり様変わりして、分割されて何軒か建て込んだり、集合住宅に建て変わったりしている。
 そして前述の通り00:30:40、今度は通りの右手(田端1丁目20)から「友人・・・・宅」を撮す。そして00:30:41、日が差している「山茶花の木が並んでいる道」が写る。しかし逆光だから家や庭木は黒く写っている。脇を通ったはずの「山吹の家」を近くからじっくり撮していない。むしろ日がよく当たっている「友人・・・・宅」が、若干遠くからだがしっかり写っている。
 00:30:42、路地が撮されるが、これは田端1丁目20-6の路地で、奥の2軒は現存している(右が椿マンション)。すなわち「山茶花の・・・・道」にはすぐに進まずに、芥川龍之介旧居跡の勝手口に通じる路地を少し入って、北東に向かう路地を撮しているのである。そして視線を左に向けて行って、00:30:46、三度「友人・・・・宅」が(正確に云うと吉野朔実の回想漫画に「友人のM・R子宅」とされる位置に建っている家*1)が、いよいよはっきり写る。00:30:47、ここで何故か画面右下に「PM 2:32:47」と時刻が表示される。これは恐らく、冒頭、00:00:00~02に「1990  8  7」と出ていてまもなく「AM 11:55:00」に変わり、秒が「01」に変わってすぐに消えて以来の時刻表示である。見ていれば分かることだけれども Saxon 氏はカメラをずっと回しっぱなしにしている訳ではないので、時間の経過を計るに動画の経過時間をそのまま使う訳に行かない。従ってここに具体的な時刻が示されたのは、より深くこの動画を研究する際の(私は多分そこまでしないと思うのだけれども)重要な指標となるであろう。時刻表示は「47」が「48」に変わった直後に消える。さらに、00:30:48、Saxon 氏は「友人・・・・宅」の、舗装された駐車スペースらしき空間の、門扉(これも現存)まで寄って、その奥を撮す。これも現存する、黒い瓦屋根の2階建て住宅が写る。それから「友人・・・・宅」の表札を撮して(しかし判読不可)右に折れる、路地の奥を撮す。この路地もすっかり変わってしまったようだ。00:30:51に写るのはこの路地が更に左に折れて行き止まりになったところであろう。この左に折れるところの左側の角に「20-7」と読める住居表示板が確認出来る。そして00:30:55、今度は路地の奥から「友人・・・・宅」を撮し、続いて00:30:56、正面に小豆色に塗装した2階建ての木造住宅が写る。ピントは合っていないが「友人・・・・宅」で日差しが遮られているところから撮っているので色ははっきり写っている。
 そこで00:30:56、切り替わって写るのは、この路地巡りをする前に歩いて来た、田端1丁目20と19の間(及び20と18の間)の通りであろう。
 00:31:01、ブロック塀に張り付けられた「北 区 田端一丁目19」の住居表示板を大きく撮す。「山吹の家」の向かい、田端1丁目19の北端の角にあったものであろう。
 それから太陽の位置を確かめるようにしてから00:31:05、「山茶花の・・・・道」を撮して、00:31:06には11月2日付(02)に紹介した「東京紅團」の「芥川龍之介を巡る」第二回目「田端を歩く」に掲出されている写真と同じ向きから(パシフィックパレス田端が同じように見える故)、しかしより近くから、すなわち「東京紅團」の写真の、右側に写っている電柱の位置から芥川龍之介旧居跡を撮っている。従って吉野朔実の「ぜんぜん知らない人宅」も「東京紅團」の写真の、塀の外に山茶花がない辺りの塀越しに、はっきり写っている。
 「山茶花の・・・・道」の田端1丁目19側を撮して西南西まで回し、そして00:31:15から「ぜんぜん・・・・宅」の向かいの田端1丁目19-17の路地を撮して行く。この路地も入口の左の家が建て変わっている他は変化がないようだ。それにしても Saxon 氏は行き止まりの路地を一方ならず注意している。一々どんな風に行き止まりなのか、確かめているようである。そして再び、00:31:19、「山茶花の・・・・道」を撮して、「ぜんぜん・・・・宅」や奥にパシフィックパレス田端が見える。
 ここで向こうから歩いて来る女性に気付いてか、また路地の方にカメラを戻し、そしてそのまま、向かい側に並んでいたはずの山茶花は撮さぬまま、切通りの方へ歩き始めるのである。そして00:31:31、カメラが切り替わって「スカイハイム/童橋一番館」と読める銘板が写る。この建物は路地の隣(田端1丁目19-16)に現存しているが銘板には「メゾンド童橋」とある。その西側の、現在は奥が空地になっている路地を撮し、00:31:38「〈田 端/一丁目〉19-14」の住居表示板が大写しになり、00:31:39、田端切通しに出ている。東側を南向きに下る階段の上で、この階段は昨日確認した00:28:10、KEY COFFEE の看板の下に、下から見る恰好で写っていた。(以下続稿)

*1:1990年当時、吉野氏の友人が住み続けていたかは不明なので「友人・・・・宅」は便宜的な呼称と理解されたい。