瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介旧居跡(13)

・Lyle Hiroshi Saxon の1990年8月7日(4)
 引き続き後半、田端切通しを童橋で渡って以降の足取りも辿りたいところなのだが、草臥れた。それに「芥川龍之介旧居跡」については、前回取り上げたところで済んでいる。
 そこで、後半については別の題で追って取り上げることにして、ここで平成2年(1990)8月7日当時の芥川龍之介旧居跡について確認して置こうと思う。
 なお、住宅の呼称は11月2日付(02)に示した、吉野朔実『お父さんは時代小説が大好き』の「山吹と山茶花と」に載るものに拠り、さらに適宜省略したものを用いることとする。
山吹のおばさん宅(山吹の家)」00:30:34~35、40~41、56
友人のM・R子宅」00:30:34~35、40~41、46~49、55~56
ぜんぜん知らない人宅」00:31:06~11、18~19
山茶花の木が並んでいる道」00:30:41、00:31:04~14、18~19、24~27
 このうち現存するのは「友人・・・・宅」と「山茶花の・・・・道」のみである*1
 当時、案内板などは設置されておらず、Saxon 氏はここが芥川龍之介旧居跡であることに気付いていない。そこを繰り返し撮影したのは「友人・・・・宅」など行き止まりになっている路地*2がこの辺りに集中しており、Saxon 氏にそういうところを一々撮影して置こうと云う意志があったためらしい。だから偶然なのだけれども、約1分(00:30:34~31:27)附近に止まっての撮影となったのである。
 なお、11月9日付(08)に述べた、芥川家の通用門が「友人・・・・宅」に現存しているのではないか、との見当だが、Saxon 氏の撮影した「友人・・・・宅」の表は、現在Google ストリートビューで確認出来る外観と変わりなく、 「東京紅團」の「芥川龍之介を巡る」第二回目「田端を歩く」(初版2001年7月7日・二版2003年5月4日)にリンクされている写真のような通用門は存在しない。そうすると、「山吹の家」か「ぜんぜん・・・・宅」に移されていたのだろうか。写真をよく見ると「〈田 端/一丁目〉20-13」と読める住居表示板が張られているようである。これは芥川龍之介旧居跡3軒の住居番号とは異なるようだ。門の前が草の生えた文字通りの《路地》になっているのも異なる。残念ながら現在、Google ストリートビュー及びマップの3D表示で見ても、芥川龍之介旧居跡周辺にこのような門及び路地は、見当たらないようである。
 Saxon 氏は1992年5月10日にも、田端を訪ねている。

1992 大塚 巣鴨 駒込 田端 新宿など Otsuka Sugamo Tabata Etc 920510
 07:30~09:23、山手線外回りで田端駅に到着、南口を出て不動坂を上り、東台橋の上から田端切通しが見通され、そして北口から入って山手線内回りに乗っている。(以下続稿)
2020年1月2日追記】Saxon 氏はこの芥川龍之介旧居跡を通り掛かった散歩散策の前夜、1990年8月6日の晩にも田端駅を撮影していた。

1990 Nighttime Tabata Area, Etc. - (900806)

1990 Tabata Station at Night - (900806)
 後者は前者の抜萃。
 8月7日撮影分からの抜萃もあった。

1990 Old Wooden Apartment Bldg in Tabata (900807)

*1:但し昨日も註記したように、昭和47年(1972)頃、吉野朔実が出入りしていた頃のままではなさそうだし(「山吹の家」はそのままらしいけれども)建替え後も友人の一家がそのまま住み続けていたのか、分からないので「友人・・・・宅」と云うのは飽くまでも便宜的な呼称であることを再度断って置く。

*2:この用法は正しくない。しかしながら、行き止まりになっている道が舗装されていなかった幼時からの習慣で、うっかり「路地」と呼んでしまうのである