瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介旧居跡(2)

吉野朔実『お父さんは時代小説が大好き』(2)
 昨日引いた、17頁3コマめのナレーションの続き。

・・・・。 敷地はすでに二分割されて二軒の家族が 住んでいた。【右】/道路の塀際に並んだ山茶花だけは 芥川の住んでいた頃からあったらしい。 手前の家の庭は小さいながらも 白粉花や山吹があふれるほど植えてあって 団地の子供は羨ましかった。*1【左】


 すなわち、3コマめには左右の枠にナレーションがあって、その間に芥川龍之介旧居跡の略地図が描かれている。文字は手書きで「日」字型の敷地の上の枠に「 “ぜんぜん/知らない人” 宅」、下の枠は右寄りに縦線で2つに分割して、縦書きで右の狭い枠に「友人の/M・R子宅」左の広い枠に「山吹の/おばさん宅」とある。路地を挟んで下のブロックに「注・トーン部分が/もと芥川家」との註記があるのだが、「友人・・・・宅」を除く2軒に網掛がしてある。そして左側のやや太い道路沿い、敷地外に真上から見下ろした樹木が5本、うち2本めに「山茶花→」と註記。そして縦書きで、この道路の上部に「 ↑ 至 小学校」下部に「私の家 ↓ 」と記入されている。
 但し、文学散歩を中心としたサイト「東京紅團」の「芥川龍之介を巡る」第二回目「田端を歩く」(初版2001年7月7日・二版2003年5月4日)に拠れば、

・・・・現在は3軒に分割されています。写真の左側の数十メートル続いています塀は当時そのままだそうです。戦災で焼けなかった台所へ通じていた通用門は、3軒に分割された一軒でまだ残されています。

とあって、コンクリート板を積み重ねた塀の外側に、間隔を置いて山茶花(と見ただけでは分からないが)が生えた狭い通りの写真を掲載している。町内会の掲示板もあるから路地ではなく、吉野氏が通学路にしていた通りのはずである。Google ストリートビュー(2019年6月)を見るに「おばさん宅」にワンルームマンションらしき3階建、「友人・・・・宅」にはやはり新しい戸建住宅、そして「ぜんぜん・・・・宅」は更地になって緑色のシートで覆われ「北区管理地」の看板がある。コンクリート塀はなくなっているが掲示板は現存しており、その脇の街灯も18年前の「東京紅團」取材時のまま、そして山茶花掲示板の左右の株が現存している。しかし文字をクリックすると写真が表示される「通用門」は、なくなってしまったらしい。
 それはともかく、吉野氏の図では「友人・・・・宅」が路地に取り囲まれているので、ここだけ敷地外とは妙だったのだが「東京紅團」掲出の「田端周辺地図」と、現在のGoogle earth を照らし合わせて考えるに、芥川龍之介旧居跡は吉野氏が描いたような「日」字型ではなく、むしろ三角形に近く、「おばさん宅」が角になっていて、「ぜんぜん・・・・宅」が通りに面し、そして「友人・・・・宅」は路地の奥であった。実は「友人・・・・宅」も芥川龍之介旧居跡の一部だったらしいのだが、上記のようであれば吉野氏が、いや、友人M・R子が、自分の家は芥川龍之介旧居跡ではなくその隣だ、と思っていたとしても不思議ではない。(以下続稿)

*1:ルビ「おしろい」。