瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

湯浅初江、もしくは湯浅初枝(4)

・『ローム ミュージック ファンデーション SPレコード復刻 CD集 日本SP名盤復刻選集 Ⅳ』解説書(3)
 一昨日からの続き。
 49頁3行め~65頁14行め「CD3 日本人音楽家海外録音」の解説は、11月15日付(2)に述べたように、49頁4行め~60頁16行め、クリストファ・N・野澤「【楽家とその背景】」と60頁17行め~65頁14行め、濱田滋郎「【楽曲解説】」と云う分担になっている。
 クリストファ・N・野澤(1924.4.24~2013.8.13)*1の「【楽家とその背景】」は、1人ずつ写真入りで説明を加え、CD3に関しては1人め「近衛秀麿」から2人め、51頁22行め~「鰐淵賢舟」が詰まっている他は1行分空けて次の人を取り上げる。12人の録音が収録されているが湯浅氏は9人め(57頁11行め~58頁1行め)である。まづ1段落め、57頁16行めまでを見て置こう。

 1902年生まれの湯浅初江に関しては資料が少なく、経歴の/詳細は不明である。東京音楽学校でペッツォールトに習っている/が、同校を卒業せずにヨーロッパに留学したものと思われる。1930/年代ウィーン在住と書かれた文献もあるが、ベルリンを本拠にして、ドイツで音楽活動を行った。多くのリ/サイタルを、ここに収録したレコードと同じマイツネルのピアノ伴奏で行った記録がある。またヨーロッパ各/地を回っての演奏旅行も行ったという。


 13行めまでの字数が少ないのは、57頁右上にキャプション「湯浅初江」とゴシック体で下に右寄せで小さく添えた写真が掲載されているからである。雑誌もしくは新聞掲載の写真から背景を切り取って、別に下が灰色で上が白いグラデーションの背景を添えている。
 東京音楽学校の卒業生名簿に記載がないのであろうか。父親のことや、マイツネル(マイスナー)と結婚していたことなどは、判明していなかったようだ。
 2段落め、57頁17~20行め、

 1933年から1934年にかけて、やはりドイツ留学をした指揮者で作曲家の貴志康一(第Ⅱ巻の解説書/参照)が作ったドイツ、ウーファー社の2つの短編文化映画『鏡』と『日本の春の祭り』に出演しており、日/本古謡の《さくらさくら》等を歌う映像を見ることができる。因に貴志は、1934年に『鏡』のフランス語版を/作ったが、そこでは関屋敏子を起用している。


 貴志康一(1909.3.31~1937.11.17)の伝記は3種出ている。湯浅氏も登場するであろうから、確認して見ることとしよう。関屋敏子(1904.3.12~1941.11.23)の伝記は20年くらい前に読んだことがあるが、殆ど忘れているのでこれも確認することとしよう。なお、Wikipedia の「関屋敏子」項には、貴志康一との映画制作について記載がない。
 3段落め、57頁21行め~58頁1行め、

 湯浅のレコードは全てドイツ録音(1929~32年頃)で、日本パーロフォンと日本ポリドールから発売され/た。著名なフリーダー・ワイスマンや、アロイス・メリハルの指揮によるベルリン国立歌劇場管弦楽団の伴/奏で、オペラのアリアを歌っているものもある(歌詞は日本語)。


 湯浅氏の録音で、CD化されている3曲と YouTube で視聴出来る2曲は、11月8日付(1)に挙げて置いた。(以下続稿)

*1:略歴、生歿年は「WEB青い弓 青弓社の連載読み物サイト」の平林直哉「盤鬼のつぶやき」の2015年4月23日「第45回 クリストファ・N・野澤先生をしのぶ」に拠る。歿後、2万枚を超える洋楽SPレコード等のコレクションは東京藝術大学附属図書館に「野澤コレクション」として寄贈されている。