瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

上方落語「三年酒」の原話(18)

桂米朝『四集・上方落語ノート』(2)
 昨日の続きで、まづ本書の内容を最後まで眺めて置くこととする。
 85~113頁「考証断片・その四」も6項、85頁2行め~88頁「「風の神送り」補足」は『三集・上方落語ノート』の「風の神送り考」の補足、末尾に(平成四年五月)。89~96頁「親は無いか」は江戸時代に行われた褒め言葉の考証、末尾に(平成六年七月)。97~103頁4行め「ちょっとした訂正」は露の五郎著『上方落語のはなし』46頁の写真の説明の訂正と、227頁の写真の説明の補足で、末尾に(平成六年七月)。103頁5行め~109頁「てんのじ村」は、てんのォじ村と発音することや、その住人について、末尾に(平成九年十二月)。108~112頁「火吹きダルマ」は落語「稽古屋」に出て来る火を熾す道具について、末尾に(平成四年八月)。113頁「瓢箪看板灸点」は落語資料研究家前田憲司からの教示、末尾に(平成九年九月)。

上方落語のはなし

上方落語のはなし

てんのじ村―長編小説 (1984年)

てんのじ村―長編小説 (1984年)

てんのじ村―長編小説

てんのじ村―長編小説

てんのじ村 (文春文庫)

てんのじ村 (文春文庫)

 114~124頁「ざつろく」は5項、114頁2行め~116頁3行め「八代目柳枝」は『古今東西落語家事典』の、美談のようになっている六代目春風亭柳枝の襲名について、正岡容から聞いた実のところと、八代目柳枝の襲名時期の訂正。ついでとして『古今東西落語家事典』橘ノ圓都の項の「加賀の千代」の作者とされていることについての訂正もしている。末尾に(平成六年七月)。116頁4行め~118頁10行め「竹川森太郎」は二代目旭堂南陵から聞いた、講釈場の席亭になっていた本人の前で、知らずにやって許可を得たと云うある講釈師の話、これに邑井貞吉十八番「中江兆民」の、中江氏本人の貧民救済によって立ち直った人物が邑井氏に名乗り出たと云う話を添える。これも末尾に(平成六年七月)。118頁11行め~119頁「巴家寅子」は今喜多代(巴家寅の子)の師匠(男性)について、戦時中に東京の寄席で見た記憶を述べる。末尾に(平成九年九月)。120~122頁「演題ちがい」は演題を間違えた実話の列挙で、女子高の講師をしていた私などからすると定期考査の答案に生徒たちが書いた微妙に違っている答えが思い出される。末尾に(平成六年七月)。123~124頁「西洋床」は西洋を冠して呼ばれていたものの列挙。末尾に(平成九年十二月)。
 125~223頁「風流昔噺」は三一書房版『日本庶民文化史料集成*1』第八巻に書き下ろした万延二年(1861)の上方落語のネタ帳の翻刻・註釈の、訂正・補筆。私は以前、『日本庶民文化史料集成』の複写を取って参照していたと思うが、今どこにあるか分からない*2。本書を読んだ当時、訂正・補筆箇所を確認してみたいと思ったのだけれども。
 224~269頁「橋本鐵彦氏との対談」は吉本興業元社長との平成六年四月二十二日の対談。橋本氏の記憶が鮮明かつ答えも的確なことに驚かされる。なお、Wikipedia「橋本鐵彦」項には持田寿一『大阪お笑い学―笑いとノリに賭けた面々 (なにわ雑楽誌)』を根拠に生年を明治37年(1904)とするが、この対談では冒頭、224頁4行め「米朝 橋本さんは何年のお生まれですか。」との問に、5行め「橋本 明治三十五年(一九〇二)、寅の八白です。あなたより二十三年早いです。*3」と答えている。――この対談は Wikipedia には利用されていない。もちろん記憶をそのまま信じるのは当ブログに繰り返し述べて来たように危険で、裏付けが必要なのだけれども、再検討の資料として活用すべきであろう。
大阪お笑い学―笑いとノリに賭けた面々 (なにわ雑楽誌)

大阪お笑い学―笑いとノリに賭けた面々 (なにわ雑楽誌)

  • 作者:持田 寿一
  • 出版社/メーカー: 新泉社
  • 発売日: 1994/07
  • メディア: 単行本
 白紙が1頁あって、奥付、裏に目録、落語関係の6点9冊。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 「三年酒」については前回見たように「ネタ裏おもて・その四」に取り上げられている。今回そこまで進めるつもりだったのだが、次回に回すこととする。(以下続稿)

*1:223頁5~6行め『日本/庶民文化集成』と誤る。

*2:しかし重たい本なので借りずに済むよう複写したはずである。

*3:ルビ「とら・はっぱく」。