瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

切符の立売り(1)

 当初、昨日の続きで上方落語「三年酒」の原話について書くつもりだったけれども、勤務先の近所の図書館に取り寄せを依頼していた本が、土曜の帰りに立ち寄ったときにはまだ準備出来ていなかった。明日の帰りに借りて帰るつもりだけれども、直ちに記事に出来るかどうか分からない。
 そこで、12月13日付「上方落語「三年酒」の原話(17)」に予告した、桂米朝『四集・上方落語ノート』収録のエッセイ「一枚の切符」に取り上げられている「切符の立売り」と云う商売について、私にも記憶があるので述べて見ることにする。
 これは「地下鉄やバスの回数券を一枚ずつバラ売りする」商売で、「男の人もいたが、たいていは女性で、それも中年以上のおばさん、おばあさんといった人たちだった」。「十枚分の金額で十一枚買える」から「一枚ずつ十一枚売ることによって、一枚」分の「もうけが出る。その僅かな利を稼ぐために、極暑の夏も厳寒の冬も、立ち続けて生活の足しにしていたのであった。いや、それだけで暮らしていた人もあったと思う」。
 今、検索してみるに、横浜市の金子肇(1938生)と云う人のサイト「金子肇のホームページ」がヒットした。 16/10/19付のエッセイ「大阪の地下鉄で」に、大学卒業後就職して、昭和36年度の1年間を大阪府茨木市で寮生活を送った折、大阪に買い物に出たときの体験として、以下のように回想されている。

 地下鉄の改札口前にいつも割烹着姿のおばさんが数人立っていて、乗客がそのおばさんから切符を買っていた。地下鉄当局から委託されておばさん達が乗客の便宜を図っているのだろうと思った。ところがそうではなかった。おばさん達は回数券を買ってそれを売っていたのだ。10枚分の値段で11枚綴りの回数券が買える。それをばらして売り、その1枚分が、立売人と自らが呼ぶおばさん達の収入だった。こんな商売が成りたつとは驚きだった。
 地下鉄の職員でもない人から切符を買う。タテマエを重視する東京では売る方も買う方もとても考えられないことだった。私も最初ためらった。しかし、券売機や窓口に寄らずに改札口に直行できるのは便利だ。せっかく関西に来たのだから、タテマエはどうあれ、便利なものは便利だとホンネで生きる大阪人に同化しようという思いもあって、私も立ち売りおばさんを利用した。


 色々検索すればもっとあるかも知れないが、今はそこまでしないで置く。――それはともかくとして、注目すべきは米朝師のエッセイにはない「割烹着姿のおばさん」たち、と云う観察で、米朝師のエッセイは「季刊おおさかの街」への寄稿だから、当然、読者も記憶している前提で、端折ってしまったようだ。しかしこの「割烹着姿」が街頭に立っている辺りが、大阪発祥の大日本國防婦人會に通じる大阪のおばさんの Vitality を思わせる。
 金子氏はその後、東京勤務になったため、この「立売人」が「消えてしまった」ところには立ち会っていない。桂米朝はこの辺りの事情を、次のように述べている。13頁10行め~14頁5行め、

 なお、この商売は東京では成功しなかったそうだ。東京人はこんなあやしげな立売りの切/符を買う気がしなかったらしく、やってみた人はあったが、ちっとも売れなかったらしい。/それが万国博開催となって、禁止してしまえということになった。世界中から来るお客さん/にみっともない。大阪の恥さらしであるというのだ。どこがみっともないのか。
 私は、これこそ大阪らしさを示す好見本である。むしろ、これを世界に誇って万博に展示/すべきではないか、などとテレビやラジオなどで意気まいたものだが……。【13】
 市のほうでは立売り人の代表者を集めて談合した結果、いくらかの涙金をもらっておばさ/んたちは商売をやめた。えらいことにピタリと無くなった。万博が了ってもこの人たちは約/束を守って、キレイに足を洗い再開することはなかった。
 嘘をついたり約束を破ったりして平然としている政治家も多いのに、この人たちのほうが/ずっと立派といえよう。


 従って、万博の翌年に生まれた私はこのような商売に接する機会がないはずなのだけれども、会ったことがあるのである。但し大阪ではなく兵庫県で、女性ではなく、おじいさんだった。(以下続稿)