瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

切符の立売り(2)

 昨日の続き。
 私は兵庫県立高等学校の3年生だった平成2年(1990)1月13日・14日に実施された、第1回大学入試センター試験を受験している。
 高校2年のとき、私は国公立文系コースに所属していたのだが、徹底的な数学・英語嫌いの上に、同級の連中との折り合いも悪く、3年進級に当たって追試を受けた上で私立文系コースに転じたのであった。そして3年に1度の割で転勤になっていた父が案の如く東京転勤になり、私は自宅通学可能な東京の私立大学を受験するように言われた。地方大学なら学費の安い国公立に限ると言われた。地方で過ごすのも面白そうだと思って、いろいろ調べてみると、1次試験(センター試験)が3科目で2次試験が小論文、と云う入試を実施している大学が幾つかあることが分かった。
 そこで、センター試験も3科目だけ、受験してみることにしたのである。
 受験会場は山の中腹に造成された住宅地にある大学で、初めて行く場所だったが下見に行ったかどうか覚えていない。多分、行かなかったと思う。今のようにネットで乗換案内を検索出来ないから、行き方には注意したと思うのだけれども。土日とも往路は駅からバスに乗って大学まで行ったと思う。誰かと待ち合わせて行ったような記憶もない。このセンター試験受験のことにも触れている2016年4月3日付「万城目学『鹿男あをによし』(3)」等にも述べたように、私は人に合わせるのが苦手なので、誰とも待ち合わせずに移動したのだろうと思う。当時、私の親しくしていた連中は皆私大受験のみでセンター試験なんか受けなかったから、多分、試験会場で挨拶くらいは交わす連中と落ち合って、土曜の帰路を共にしたのだろうと思う。
 誰か、高2か高1のとき同級だった野郎と、大学を出て小さなターミナルみたいになっていたと記憶するバス停に向かった。誰だったか覚えていない。しかし、誰かとバス停に行ったことは間違いない。
 受験生向けの券売所みたいな小屋があったような気もするが、そんなものはなかったのかも知れない*1。覚えているのは、――私たちよりも先にバス停に着いていた受験生たちに、黒いジャンパーを着た小柄な薄汚い爺さんが、切符を売り付けていた。連れは行列に並ぶとともに、同じように爺さんから切符を買おうとしたのだが、当時それこそ剃刀のような切れ者だった私は爺さんの様子を観察して、爺さんが回数券を買ってそれを1枚ずつ受験生に売り付けて、10枚分の値段で11枚分の売り上げ、すなわち1枚分の儲けを出していることを看破して、連れにその旨注意して、買わせなかったのである。もちろん私も買わない。
 小学校入学からの12年のうち6年を関西で過ごしていても、私は関西人にはなれなかったので、前回引いた桂米朝や金子肇の云う通り、なんでこの爺さんから切符を買わないといけないのか、と云う発想が先に来てしまったのである。それこそ、芥川龍之介の「羅生門」の下人のように、××市交通局と私たちの間に割り込んで、普通なら発生しないはずの1枚分のマージンを得ている爺さんを憎む心が芽生えていたのである。‥‥今から思えば狭量なことであった。
 今、私は第1回センター試験受験のことを殆ど忘れている。覚えているのは3科目受験者の空き時間の居場所が全く考慮されておらず、寒い中、密閉されない空間を彷徨わないといけなかったことと、1日めか2日めか忘れたが曇天で風が強くごく僅かだが雪が舞ったこと、2日めの帰路はバスに乗らず歩いて山を下りたこと、そして着古して袖が少し黒光りする学ランを着ていたことくらいである。
 しかし、この爺さんのことだけは何故かよく覚えていて、今にして私の心を苛むのである。
 さて、大阪では昭和45年(1970)の万国博覧会開催を前に姿を消した切符の立売人であるが、兵庫県は規制の対象にはなっていないだろうから、その後も残存していたようである。しかしかつての大阪の地下鉄のように常駐していたとは思えない。特に私の会った爺さんは、大学入試と云うイベント限定で、不慣れな受験生が大学から出て来る時間を捉えて*2、商売に精出していたのであろう。バスの回数券には有効期限が入っていないはずだから、センター試験の後は二次試験、周辺の私大の入試にも出張して、余ったらまた来年の受験シーズンを待てば良い。或いは、何か別のイベントにも出張していたかも知れないが。
 仮にあの爺さんが未だ生きているとして、相当な高齢になっているはずで*3、もうこんな商売はしていないだろう。当時はICカードプリペイドカードがなかったからバスの利用に際して現金か回数券か定期券が必要だった。受験生が定期を持っているはずもなく、運賃を丁度用意出来なかったときに感じることが予想される後続の乗客たち及び運転手からの圧迫感を回避したいとの心理の上で、こんな商売が成立したのである。しかし携帯電話でも精算出来るようになった今、関西人でもこんな爺さんに現金払いで回数券など、買わなくなったのではあるまいか。――事実は、私の浅知恵の遥か上を行っているかも知れないけれども。

*1:こう書いて見て、大学からの帰途ではなく、往路、すなわち駅前にいたのではないか、と云う気がして来た。

*2:上の註に書いたように駅前のこととすれば、受験会場の大学に向かう受験生たちに売り付けていたことになる。いや、午前は駅前にいて、午後、大学の方で商売をすれば良さそうなものだ。だとすると、私はどっちで見たのだろう。しかしいづれにせよ、普段この路線を利用する大学生や教職員は定期を持っているだろうから、入試時期限定の商売であったことは間違いなかろう。

*3:70歳くらいに見えたが、しかし良い暮らしをしているようには見えなかったから、実際はもっと若かったかも知れない。しかし来月で丁度30年になる。