瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

杉村顯『信州の口碑と傳説』(10)

・「南信地方」(5)下伊那郡
 昨日の続きで、青木純二『山の傳説 日本アルプスと共通する話を挙げ、典拠と認められそうなものを「←」、部分的に一致するものを「≒」で示した。
 356頁8行め~376頁3行め「下伊那郡」6題、但し6番め、371頁4行め~376頁3行め「赤石嶽」は2項に分かれており、合計で7話である。
下伊那郡【2】金 賣 吉 次(361頁4行め~366頁)
  ←南アルプス篇【24】金 賣 吉 次(神坂峠)290頁7行め~296頁1行め
下伊那郡【6】赤  石  嶽
 前半(371頁4~7行め)
  ←南アルプス篇【4】赤 石 の 名赤石岳)245頁2~7行め
 後半(371頁8行め~372頁3行め)
  ≒南アルプス篇【1】足 利 調 伏赤石岳)240頁2行め~242頁2行め
下伊那郡【6】赤石嶽/一 猿の顔は何故赤い(372頁4行め~374頁7行め)
  ←南アルプス篇【3】猿      赤石岳)243頁3行め~245頁1行め
下伊那郡【6】赤石嶽/二 江戸の香具師山椒魚の話(374頁8行め~376頁3行め)
  ←南アルプス篇【5】山  椒  魚赤石岳)245頁8行め~246頁
 「南アルプス篇」31話のうち、前回見た「上伊那郡」に1話、ここに5話、そして既に8月26日付(05)に見た「更級郡」に1話、8月27日付(06)に見た「諏訪郡」に3話、『信州百物語』には8月18日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(105)」に見たように7話、合計で杉村氏は17話を採っている。(以下続稿)

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 前回、文学部は金が掛からないのに国民の知的レベルを向上させることを売りにすべきだった、と述べたのだけれども、それで思い出したことがある。
 院生時代に男子高に1年勤務したことがある。幼稚園から大学まであるので、順調に伸びている子と、勉強しなくてもエスカレーターに乗せてもらえることが分かって、甘え切った連中との差が激しかった。高校だけでもそれなりに差が出て、中学からだと相当の差が出るのに、ここは幼稚園・小学校以来である。私はもちろん、甘え切った方を担当させられて、いろいろと大変だったのだが、やはり図書館マニアとして図書室には出入りしていたらしい。どんな本があって、と云ったようなことは今となっては全く覚えていないのだが、しかし司書の女性教諭に次のような話を聞かされたことを覚えているくらいだから、それなりに顔を出して、本についてもあれこれ話していただろうとは思うのである。
 さて、高2は勉強しない上に開き直って憎たらしいのだが、高1はまだ開き直っていない上に、見た目や態度が中学生、いや、小学生みたいで、それこそうっかり、頭を撫でたりちょっとしたことを褒めそやしてやったり、それこそ幼児をあやすような態度を取りそうになってしまうくらい、幼くて子供っぽかったのだが、ある日の放課後、授業は聞いていないのに教室外では馴れ馴れしい連中に話しかけられて、長話をしてしまったところに司書教諭が通りかかったのである。それが切っ掛けになって連中は帰って行ったのだが、それを見送りながら司書教諭がしみじみと、「うちの子たち、子供みたいでしょう」と言うので「そうですねぇ」としみじみ応じると、「ゲームをして夜更かしばかりしているから背が伸びないんですよ」と言うので、そういうものなのかと思っていたら、それは、政権が馬鹿になるようにしているのだ、と言うのである。すなわち、今の政権*1はツケを将来に回すようなことばかりしている。だから、若者が賢くなって、そのことに気付いて異議を唱えられると困るから、あんなふうに馬鹿になるようにしているのだ、と言うのである。私は、そのときは、何なんだこの陰謀論は、と思いながら聞いていたのだが、そのうち、――当たっているかも知れないな、と思うようになったのである。本当に、推薦入試頼みの連中は勉強しない。しかし、落第させる訳に行かないから、大甘な問題で点を取らせ、大甘な採点で得点を水増しし、そして大甘な平常点加算で進級させてしまうのである。いや、中学までは落第させられないから、高校で急にこれまで勉強させずに育てて(?)来た連中に厳しくする訳にも行かぬのである。そしてそのまま内部推薦で大学に入ってしまう。もちろん、こういう連中を引き受けている訳だから大学の評価は低くならざるを得ないけれども。
 内部推薦でこういう連中が大学生になってしまう、と云うのは昔からあったことだから異とするに足りない。しかし、昔は少数だった。私の現役時代には、大学附属高出身者を除けば、殆どなかったのである*2。問題は推薦入試で、学科試験を課さないで合格させる大学が増えたこと、そして学科試験があっても古文・漢文は受けなくても良い、とする大学が増えたことなのだ。私が相手をした連中と同じような、まともに古文・漢文、そして現代文にも取り組まずに、いや、取り組ませずに*3、大学にじゃんじゃん入れてしまっては、確かに若者を纏めて「馬鹿になるようにしている」ようにしか、見えないではないか。
 では、どうすれば良いか。私は大学が何とかするしかないと思う。
 4月の頭に、当ブログで揉め事があった際に、私は「別れたる友Bに送る手紙」と云う戯文を書いて、10年くらい会っていない、今や大学でそれなりの地位を確保しつつある旧友に、八つ当たり的に送り付けてやろうと思ったのだが、結局送らなかった。その一節を引いて置く。

 貴君に毒づくのは間違っているだろうか? いや、それを承知した上でも訴えざるを得ない。一体どうなっているのか? と。
 そうだ、研究会の後の呑み会で、貴君が絡んできたときのお返しだと言って置こう。――■■■大学の教職課程の国語科教育法か何かの講義で漢文を担当した貴君は、高校の国語の教師になろうと云う学生たちなんだから今更漢文を通り一遍に確認したって仕方がない。だから訓読法も実は1つではなく、道春点の他に文之玄昌点などがあったことを紹介してやれば、彼らが教壇に立ったときに生徒たちの興味を惹く話柄として使えるのではないか、と準備して臨んだのに、そもそも彼らは漢文をまともに読めないのだった、と、そんな話をした貴君に、
「××さん、一体高校では何を教えているんですか?」
と責められたことがありました。私は「そんな学生を入れたくなければ大学がきちんと漢文を入試で課して、落とせば良い。大学が推薦入試だのと勉強しなくても入学出来る(早めに学生を確保出来る*4)ようにしたから、こっちも生徒が漢文の授業なんて聞かなくても、試験直前に出そうなところを丸暗記すれば楽勝だ、みたいな態度で迷惑してるんだ。むしろ、こっちが大学の姿勢を責めたいくらいなのに」と思いながら、愛想笑いで済ませたことがありました。
 あれの仕返しだと思って下さい。と、同時に、▲▲研究界隈は無法地帯なのか? と、お門違いだろうが当時の貴君の苛立ちにあやかって、貴君にぶつけてみた次第である。


 B君はその後、次第にトーンダウンしたのだけれども、私の対案は「入試は大学が行うのだから、きちんと選抜試験をして、出来ない奴は落とせば良い」に限る。もっと早めにやって置くべきだったのだ。それなのに横並びに易きに就いたから漢文が、そして古文が身に付かなくなり、さらには現代文も終わろうとしている。
 推薦入試の弊害はまだ、ある。現代文の授業は、良くも悪くも授業担当者が、自分の納得した解釈を語るものだと思うのである。私みたいに慎重な態度ではいけないので、強引でも、間違っていても、自信満々で「こうだ」と決め付ければ、そっちの方が生徒にアピールするのである。まぁ私が生徒だったら「違うんじゃないですか?」と突っ込んでやるけれども。それはともかく、以前勤めていた女子高の、初めの頃は現代文の授業は担当者ごとに力点が違うから、共通の問題で定期考査は出来ない、と云う理由で授業担当者がそれぞれ自分の担当クラス用の問題を作っていたのだが、私の勤めた末期には定期考査を共通問題でやることになってしまい、自分勝手な私は非常に窮屈に感じたのである。2018年11月14日付「美術の思ひ出(3)」には、――昔良くあった雑談に終始するような授業に対し、近頃保護者がクレームを寄せるようになったので、それを排除するための対策だったのだろう、と述べて、実際に定年後に講師として勤められる権利を行使せずに、人によっては早期退職で、女性教師が5人ほど次々と辞めて行ったから確かにそうした側面もあったのだけれども*5、共通問題にしたことに関してはそれ以上に、評定に差を付けない、と云う推薦入試対策が大きかったように、思うのである。その女子高は相対評価で、担当者ごとに試験が違っても成績に差が付くような仕組みではなかったのだが、表向きは絶対評価と説明していた(何故そんな説明をしていたのはよく分からないが)ので、試験問題の難易度に担当者ごとに差があること、かつ授業もそれに伴って差があることを、推薦入試のせいで評定を極度に気にするようになってしまった生徒や保護者が、問題視するようになってしまったのである。そこで、古典の授業で実施されていた習熟度別クラスが廃止され*6、そして特進クラスや授業数の少ない理系クラス以外の殆どのクラス(担当者5人)を共通問題にするようになったのである。これだと、定期考査の問題は同じだから、そのことでのクレームは来ない。ただ、担当者にはクレームが来る。担当者が強調していたところが出題されなかったら、そのクラスだけ損をすることになるからである。担当者の気苦労ばかりが募り(押しの強い人間は良いかも知れないが)、そして自ら発見し読み解いていく教材研究ではなく逸脱しないよう指導書頼みになり、教科書の問題に対する指導書の解釈に納得出来なくても、そのことを教員間で一々協議していられないから誤魔化すような按配になってしまう。現代文の授業はいよいよ面白くなくなる。
 しかし、全ては手遅れの気がする。大学の人たちはこうなる前に色々と意見を言うべきであったろう。――私は、推薦入試が諸悪の根源だと思っているが、とにかく「大学入学共通テスト」を利用するとしても、これとは別に大学独自に古文(出来れば漢文も)の試験を課せば良いのである。現代文も「文学教育」らしき問題を課せば良いではないか。大学生を選抜するのは大学なのである。今更お上に文句を言ってもどうにもならないだろう。もっと前から、推薦入試に反対する恰好で運動して置けば良かったのに呑気にしていて、火の粉が降りかかってきたから大慌てで騒いでいるようにしか見えない。今から覆る見込みがない以上、大学独自の選抜条件を別に付けるくらいしか、ないであろう。

*1:自民党政権。念のため。

*2:私が県立高校3年間で同級になった100人余りの者の中で推薦入試で進学したのは、評定平均が4.5以上だった男と、囲碁のプロになっていた男の2人だけで、推薦されるだけの理由があったのである。

*3:国語に限った話ではないけれども。

*4:そのために高3なのに教科の勉強をせず秋にはだらけてしまう。このことは2018年10月16日付「閉じ込められた女子学生(13)」にも触れたが、非常に問題だと思っている。――苦しい受験勉強に耐えて稔りの時期を迎える前に、まだ青い内に刈り取ってしまうのだから「青田買い」ならぬ「青田刈り」である。そして、この稔りの中から、国語科ではまづ漢文が排除され、そして古文がこれに続き、そして文学自体が退場に追い込まれようとしている。

*5:但し5人中3人はきっちり授業をやるタイプの人だったと思うので、雑談の制限とは別の窮屈さが原因だったと思われるのだけれども、非常勤講師は職員室に席がないし、教科会にも出席しないから正確なところは分からない。

*6:そのため講師に回って来るコマ数が減り、同僚が馘首されることになった。その後、雇い止めで結局全員馘首されることになったのだけれども。