瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

図書館派の生活(6)

 昨日まで児童文学作家岩崎京子の赤マント流言体験について、私は3つの市の図書館から借りた5冊の本を使用して検討した。
 普段だったら途中で返却期限が来て、その本を別の図書館で借り直して対応するのだけれども、上手く借りられなかったりしているうちに他の本の返却期限が来て、結局必要な本を手許に揃えられないまま何もせずに全て返してしまう、と云うことになっていたのだが、今月は2日と3日、6日に合計5館回ったのを最後に図書館には行かず、借りたままになっているから落ち着いて(?)検討することが出来た。
 3月の後半は、20日と21日に都内に出て山手線にも乗った。26日と4月6日には下り方面に出掛けた。以来、電車には乗っていない。緊急事態宣言が出たら図書館が使えなくなると思って、なるべく必要な本は揃えて置きたいと思ったのだけれども、今後電車で都内に出るのもどうかと思ったので、都内の幾つかの区立図書館の本は全て返却して新たに借りなかった。それでも4月3日に往復 50km 自転車を漕いで返しに行く羽目になってしまったが、それ以後は行かずに済んでいる。
 この輪行はかなりの運動になったから、続いて父が毎年楽しみにしている庭の梅の実の蜂蜜漬けを、往復 60km 自転車を漕いで実家に運んで、両親とは硝子戸越しに言葉を交わして来よう、そして2週間後に空けてもらった硝子瓶を回収しにまた自転車で実家に出掛けて、今年の梅を漬けるのに使おう、と思っていたのだが、自転車でも飛沫が飛ぶとか飛ばないとか云うので、これも見合わせている。どうすれば良かろうか。
 今、8つの図書館から視聴覚資料も含めて約70点借りている。図書館の対応は、返却期限を延長せずに、来月の開館*1後に返しに来いと云うところと、返却期限を若干延ばしたところと、返却期限を一律1ヶ月半延ばしたところと、対応は区々である。今のところ2つの図書館が返却期限切れで「延滞」になっている。少々期限を守らなかったこともあるが、原則として律儀に守ってきたので、少し気持ちが悪い。しかし仕方がない。
 私はバブル景気に陰りが見えた頃に大学に入ったから、あまり浮かれた生活をしていない。いや、せずに済んだと云うべきか。酒も煙草も嗜まなかった。但し当時は喫煙者が多かったから、かなり受動喫煙している。子供の頃から一人で調べ物をしているのが好きだったから、コロナウィルスのせいで「友達にも会えない、飲み会も出来ない」なんてこともなく、これまでとあまり変わらない。同僚たちとは職場以上の付き合いはなく、10年近く勤めていた女子高講師室の同僚たち(全員雇い止めで馘首されている)とは連絡を取って、たまに会うこともあるが、普段から頻繁に連絡を取り合うような人はいない。だから、携帯電話の必要性も感じていない。長期休暇は誰とも会わずに調べ物をして過ごしていたから、今はその延長のような按配で、別に寂しくもなければ、出掛けたいとも思わない。その上、花粉の時期なのにマスクもないから、出掛けようと思わない。いや、図書館に行けないので身体がなまって、それは困る。毎年、正月休みに家で和室に居続けているうちに、腰を痛めてしまうのだが、同じようにしているから17日の風呂上がりに腰を痛めて、今日、やっと若干マシになった。それも困るのだが、別に家にいて、図書館から借りた本で調べ物をしておればそれで退屈だとは思わないし、人と話したいとも思わない。
 だからこの週末に都内の商店街や公園、河川敷、奥多摩や鎌倉などに家族連れで出掛けている、と云うニュースを見て、子供がいなくて良かったのかも知れぬと思ったり、それから利根川を越えてパチンコに出掛けるとか、喫煙スペースに密集しているとか、そういうところに行きたい人は大変だなぁと思ったりしている。接待を伴う飲食をしたこともなく、それ以上のサービスをしてくれるところにも行かなかったから、そういうところが恋しい人は大変だろうと思う。――そう云えば、女子高の教え子で大学に進んでからホステスのバイトを始めて、美人でもなく可愛げもなく無愛想な不思議系と云った感じなのだがIT企業だかの社長に気に入られて、高層マンションの部屋を与えられて住んでいるとか云う報告に来たのがいたけれども、私の知っているホステスはそのくらいである。今はどうしているであろうか。
 浪人の時期に歴史から文学に専攻を変えて、そのまま博士論文を書くまで続けてしまったのだが、最後に国立(独立行政法人)の大学院に移ったせいで、もともと研究者になろうと云う意欲が薄かったところに、決定的に足を洗おうと云う気持ちにさせられた。今、国のコロナウィルス対策がおかしな按配になっているけれども、当時私の見聞きした官僚連中の習性と、基本的なところは変わりはないだろうから、当然の結果だとしか思えない。Abe-no-mask のような愚策を止められないのが官僚機構なのである。文科省(文部省)に限っても、あの新テストをそのままやろうとしていたのだから、誰かが碌々検討もせずに決めたことをそのまま修正せずに突き進んでしまうように出来ているのである。日本軍と何ら変わらない。再び敗戦するであろう。
 そして文学は無力である。しかし読み書きの教育はさすがになくならないだろうと思って、女子高に勤めながらけじめとして博士論文だけは出して、女子高の方に残ったのだけれども、それもAO入試や推薦入試の蔓延のためにおかしな按配になって来た。
 それでも博士だと言うと生徒はそれなりに私を尊敬するようであったのだけれども、私の方で博士号を持っていても何の役にも立たない、と否定して、私からするとあまり漢字習得に繋がっていないようにしか思えない漢字検定を、推薦入試の足しになるからとて勧めていたのである。
 かつては専門学校が分担していた職業に直結した実学が、大学に取り込まれていることに驚かされたもので、いよいよ教養が大学から排除されているのだなぁと思ったものだったが、私はそういう風流を解さない生徒たちの自己推薦文や志望理由書、普通の小論文の添削をして、教え子のうちの幾人かを、初めの頃は主として看護学校、終わりの頃には看護学部に進学させたものだった。
 そして、古文・漢文が文系学部の入試でも不要になるようでは文学研究の需要などないが、看護は大変だろうけれども食いっぱぐれないから頑張って、職場体験で看護への志望を決めた、その初心を忘れないように、と励まして送り出し、もし入院するようなことがあったら世話してもらいたい、などと冗談も言ったのだが、幸いその後、入院するようなこともなく過ごしている。
 と云うか、既に(大学院に残っているような物好きもいないだろうから)私の教え子は皆、社会人になっているはずだが、誰とも連絡を取っていないので、どこの病院にいるのだか、分からない。しかし、もう余程のことがない限り日本の医療活動従事者が危険に晒されるようなことはないだろうと思っていたのが、こんなことになってしまった。名前も殆ど思い出せないが、恐怖に怯えながら日々患者に接しているのだと思うと、当時、娘にでも接しているような感じだったから少し切なくなって来るのである。しかしもう私の知らぬ間に成長して、逞しく、いや頼もしくなっているであろうか。(以下続稿)

*1:可能なのだろうか。