・五-3-G「デマの傳播」(2)
一昨日・昨日の続き。ですから本当は(3)なのですが、昨日の「赤マント事件」は独立して取り上げたので(2)として置きます。今回は278頁12行めからこの章の最後、281頁4行めまでを抜いて置きます。
目なし達磨 色々の願ひ事が叶ふ毎に、達磨に目玉を書き込む「目なし達磨」の迷信は、現在/記錄其他で調べられる傳播徑路の本源が四箇所ある。第一は室町桃山時代に宇都宮で盛んに流行し/た。第二は甲府、八王子の徑路を辿つて、德川末期に五日市で行はれ、其後青梅、村山に傳はつた*1/第三は慶長年間靜岡から濱名湖邊に流行、それから平塚に傳はつて第二の系統と合流してゐる。第/四の群馬縣豐岡には、多數の信徒をもつ達磨寺が建立されて、德川末期には盛んに目なし達磨が賣/【278】出され大いに流行つた。其後、達磨寺を起點として二方面に傳播、一つは長野縣上田市迄行つて消/え、他方は達磨寺から中仙道を經て埼玉縣に入り、川越、熊谷、浦和、東京に擴がり、東京では川/崎大師、西新井藥師、柴又帝釋で、現在盛んに行はれてゐる。そして目なし達磨の生産額も、全國/で一年に十萬圓に上るといふ繁昌振りだが、この迷信は地方々々で異るが一般に金錢上の縁起を擔/いでゐるので、長野縣や東北地方の養蠶地や、農村では支持されないのも面白い。
錢洗辨財天 鎌倉扇ケ谷町にある錢洗辨財天は、保元平治の頃、源頼朝が發見し福の神として/祀つたのに始まり、其の後北條時頼が當時天災地變がしきりに起つたので、人民の救濟策の一つと/して、節約、貯金を奬勵、辨財天のお水で洗つた金は懷ろから逃げないと言ひふらしたのが迷信の/起りである。途中、記錄が絶えて、德川末期にまた非常に流行してゐる。それが明治となり紙幣が/發行されると、一時すたれたが、これは紙幣では水で洗へないからだつた。それがまた、大正十年/と昭和二年頃の經濟界の不況とともに盛んになつたのも、人心の一面を反映してゐる。現在東京を/中心に花柳界で專ら流行してゐるこの迷信の傳播徑路は、明治以來黄金開運の講中四團體が媒介し/て横須賀、横濱、川崎、東京に擴がつたが、地元の鎌倉では、一向流行らないのが走行説を裏書き/してゐる。
今次事變の勃發當時、安藝の宮島を本源として、「事變は三年で終る」と言ふ流言が起り、一年後/には東京に迄も傳はつたが、其の因縁と言ふのは日露戰爭の時、神社の燈籠が八本倒れて、戰爭が/【279】八箇月で終つたと言ふのである。たまたま今次事變が起るや、三本の燈籠が倒れたので、三年で終/ると言ふのだが、三本なら三箇月と云ひさうなものなのに、流石にそんなに早くは片附かないと見/たか、三年としたあたり流言の根據に至つては、まことに笑止の沙汰である。
一體流言に惑はされる場合は、知的な打算のもとに合理的に行動するよりは、むしろ本能や習慣/に盲從して、衝動的に行動する事が多いので、理窟より感情や欲求に訴へられると、そんな事がと/思へる樣なデマにさへも、案外脆く術策に陷つて終ふ。人間誰しも自分の欲することを信ずる傾向/が強いからである。
だから事變下のデマには、國際間に飛ぶ軍事、外交に關する政治的デマと、事變相を反映して國/内に飛ぶ生活不安に關するデマと大別して考へられるが、デマの性質としては、政治的デマより、/生活問題のデマの方が、國民に直接の利害が多いので、その傳播力は一層急速で強い。
走行説の結論として、デマの彈壓は、時期を逸せず早急に、卽ち走行期に、その特質と傳播徑路を/よく見究めて行はるべきである。港、停車場、旅館はもとより汽車、汽船、バスの交通機關は、デ/マ防壓の有力なる要所だが、これが取締りには、臨機應變に其の特質を充分考慮しなければならぬ*2/それが國際的政治的デマならば、同じ列車内の移動警察にしても、三等車よりも一、二等車に、一/般生活問題のデマならは*3逆に一、二等車よりも三等車に力を入れなければ效果が薄い。
要するに、敏速にデマの性質を見極めて、要所々々を抑へれば良いのである。【280】
も一つのデマ對策は、そして最上のデマ防止は、眞相の暴露である。一人前の國民なら、誰しも/戰時下の現在、何から何までを知らせよとは云はないが、知らせて良い時期には、機會を失せず、/何事にせよ眞相を發表すべきだ、時機を得た事實の發表は、いかなる對外、對内のデマをも、粉碎/してしまふに違ひない。
「目なし達磨」と「銭洗弁財天」についても、やや特異な説明になっているようです。詳しい検証は資料漁りが可能になってからになりますが、走行説の是非はともかく、これらはあまり適当な例とは言い難いように思われて、どうも、走行説に無理に流し込んだような印象を受けてしまうのです。
なお、少林山達磨寺の所在地(現、群馬県高崎市鼻高町296)を「群馬県豊岡」としていますが、群馬県碓氷郡豊岡村ではなくその西隣の群馬県碓氷郡八幡村です。最寄駅は当時も今も信越本線の群馬八幡駅。豊岡村も八幡村も昭和30年(1955)1月に高崎市に併合されております。
そして、安藝の宮島を本源とする流言を取り上げて纏めに入っていますが、随分楽観的な見通しと云った印象で、もちろんこんな風にしか書けなかったのでしょうけれども、――昨日、赤マント流言の走行説をコロナウィルスのクラスターに喩えて見ましたが、まさにクラスター対策班のような対応を取った上で、事実をきちんと発表すれば良い、と言っているわけです。
しかしながら、本書刊行から80年の今でも、クラスター対策もそれなりにしか出来なければ、真相の暴露と云っても感染者がどのくらいいるのか当て推量でしか発言出来ないような按配で、Twitter を始めとして「自分の欲することを信」じて、対立する見解を抹殺すべきデマと決め付けて闘っている人々を「粉砕してしまう」ような対策はまるで取られそうにありません。ややもすると政府がそのような人々を利用しているようにも見えるのです。
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これにて本書に関する私のメモは終わりです。入力ミスの点検はするつもりですが、再び見る機会があるか分かりませんので、もし気付いたことがあれば御教示下さい。いえ、メモにはもう1点、頁を繰っているときに偶然気付いた、恐らく見出しの誤り、35頁4行め、
◇ミンュヘン爆彈事件
なる誤植が記載してありました。
これは大工の Georg Elser(1903.1.4~1945.4.9)が、1939年11月8日にミュンヘンのビアホール「ビュルガーブロイケラー」でミュンヘン一揆記念演説を行っていた Adolf Hitler(1889.4.20~1945.4.30)を時限爆弾で暗殺しようとした事件で、ヒトラーは予定より13分早く会場を去っていたため無事でした。死者8名負傷者62名。
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