瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

伊藤正一『黒部の山賊』(7)

 今回も私の手許にある②新版、③定本、④文庫版について。
・見返し(1)
 ③は濃灰色のタントで、遊紙にも何も刷られていない。④は本体表紙をめくると本文共紙の1頁(頁付なし)扉になっている。よって③④については特に記述することはない。しかし②には(恐らく①にも)かなり重要な情報があって、そのために昨日5月29日付(6)に見たように私の見た②はカバー折返しが切除されていたのである。
 ②は黄土色の色上質紙で、表紙見返しは見開きで「山賊の舞台 黒部源流」の概念図。本文中に語られる事件の現場が書き込まれている。範囲やその本文の位置などについては、追って③④の地図と比較しつつ確認することとしたい。
 裏表紙見返しは見開きに2人ずつ、顔写真(3.8×3.1cm)と紹介文を示し、右側の上部にゴシック体横組みで「●山賊たちのプロフィール」下、右寄せで小さく「(昭和三十九年当時)」と添える。
 ①は未見だが、これらの見返しは①も、新たに「(昭和三十九年当時)」と添えた他は同様であったのだろう。
 「山賊たちのプロフィール」は③220~221頁④300~301頁にも載るが、かなりの書き替えがある。
 ②は写真の右に1人め「* 遠 山 富 士 弥*1」の如く名前を示し、写真の下に明朝体で8行の紹介文。2人めの「* 遠 山 林 平*2」の紹介文の間と、それぞれの左右を縦線(7.5cm)で仕切る。左側(裏表紙の裏)の3人め「* 鬼 窪 善 一 郎*3」4人め「* 倉 繁 勝 太 郎*4」も同様。倉繁氏の写真のみ、集合写真から切り取ったもので、他は顔写真として撮ったように見える。
 写真の寸法は③は遠山富士弥(2.9×3.1cm)が残りの3人(3.1×3.1cm)に比して、何故か紹介文との間に余裕がある。④は同じ寸法(3.1×3.1cm)。そして写真の下に、まづ「遠山富士弥 とおやま ふじや」漢字は明朝体太字。紹介文は行間を空けず、同じ大きさの明朝体で、それぞれ5行。④は漢字の氏名は太字にしていないが大きくして、読みが紹介文と同じ大きさ。紹介文を仕切る縦線はない。(以下続稿)

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 緊急事態宣言が解除されて、今週は久し振りに職場に行った。土曜の朝の下りは人が少なく、しかし来週学校が再開されたらどうなるのか。しかし昼の上りはそれなりに人が乗っている。冷房もかかっていたが窓も開けてある。この梅雨に入る前の時期の、車窓から吹き込む爽やかな風を受けるのは何と久し振りだろう! 29年前の初夏の世田谷線を、ちょっとだが思い出した。しかしこれから雨が降ったら、そして極暑に見舞われたら、どうするのだろう。
 以前は職場から1駅歩いて、図書館を冷やかして帰ったものだったが、マスクをして1駅分歩くのは今日の気候でも無理だと思われたので(まだ図書館も休館したままである)今後しばらく(長らく?)止めることにした。

*1:ルビ「とお やま ふ じ や」。

*2:ルビ「とお やま りん ぺい」。

*3:ルビ「おに くぼ ぜん いち ろう」。

*4:ルビ「くら しげ かつ た ろう」。