瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

伊藤正一『黒部の山賊』(6)

 今回は私の手許にある②新版、③定本、④文庫版について。
・カバー折返し
 まづ②は見返しに印刷してある図や文字が隠れないよう切除されている。カバー表紙折返しは白地で 1.0cm ほど存しており、下部は何か色刷の右端に沿って切断したようだ。カバー裏表紙折返しは上が狭く 1.1~1.7cm ほど存している。左(0.4cm)はカバー裏表紙から続きの黄土色地で、残りは白地、文字等の有無は不明。
 ③のカバー折返しは黒地で、表紙折返しに文字はなく、裏表紙折返しには上部に著者の山の上でカメラを手にした写真(5.0×5.0cm)があって、その下に白抜きで、まづ中央揃えで「伊藤正一 いとう しょういち」とあって以下に細かい縦長の明朝体で紹介文。
 ④のカバー折返しは白地で、裏表紙折返しには文字等なく、表紙折返しの上部に横線(3.6cm)が3本、1本めの上・右詰めで「Profile」とあり、2本めとの間(1.5cm)中央やや左寄りに明朝太字でやや大きく「伊藤正一」、2本めと3本めの間(5.4cm)に紹介文、まづ「いとうしょういち/大正12(1923)|年、‥‥」と読みを示す。
 紹介文はほぼ同文だが生前刊行の③と歿後刊行の④では書き替えがある。③の改行位置を「/」、④の改行位置を「|」で、異同を灰色太字で示し④の書き替えを註記する形で見て置こう。それから、③の奥付の前の頁にも、縦組みで数字は「十」を用いた全角漢数字にした同文がある(他に異同は句読点が最後の1文の3つが半角になっている他は全て全角である点)。これは改行位置を「\」で示して置こう。

大正12(1923)|年、長野県松本市生まれ。8歳のとき*1|木/曾御嶽へ登って以来、北アルプス|をくまな\く歩いて現在にいたる*2。昭和21(1946)年、|三俣蓮華小屋(現在の三/俣山荘)、水|晶小屋を譲り\受け、「山賊」たちの協|力を/得て、湯俣山荘、雲ノ平山荘を|次々と建設し、*3昭和31/(1956)年に|は*4北アルプスの最後の楽園「雲ノ|平」への最/短ルート、伊藤新道(現在、|一般登山道としては使われ/てい\な|い)を独力で完成させた*5。日本勤労|者山岳連盟創/設者として、大衆登山|発展のため、熱意を注いできた。な著書に伊藤正一写真集『源流の記憶――「黒部の山賊」と開拓時代』がある。平成28(2016)年6月、逝去。


 末尾の灰色太字部分が④に於ける加筆。
 ③のカバー裏表紙折返しには装画の説明があるが、これについては5月26日付(3)に取り上げた。

*1:④はここに半角読点。

*2:④は「歩」。

*3:④「建設する。」なおここまでの3行(4箇所)の読点は全角。

*4:④はここに全角読点。

*5:④はこれ以降の句読点全て全角。二重鉤括弧は半角。