瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中学時代のノート(04)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(1)目次と自序

 オキナ株式会社の「縦けい19行」のB5判糸綴じノートで、表紙の題を書く横罫に「■■■■■」と標題を油性ボールペンでごく薄く控えめに書いている。やはり当時からこの標題を堂々と表に出すには気恥ずかしさがあったものと見える。その下の記名欄に「1の7 ■■■■」と私の名前があるが、これは油性サインペンである。
 綴じ目は紺色布目模様のテープで隠し、補強されている。テープの幅は 2.5cm くらいで表紙側に 1.5cm、裏表紙側は 1.0cm で、表紙側の下部、題と記名する欄の丁度右に、綴じ目(右)側を上に横転した金の印(縦 0.6cm)が3つ並んでいる。1つ(横 0.9cm)は紺で[MS]と抜き、2つめ(横 0.6cm)は枠と文字が[MB]と金、3つめ(横 1.3cm)は[30枚]と紺で抜く。その 0.9cm ほど下に、やはり右を上に「W22」と横転した文字を押し窪ませている。
 私はこのノートを、後述するような理由で中学2年のときに書いたと思っているのだが表紙には「1の7」とある。これは、中学1年のときに何か書くつもりで買って名前が書いたが、そのまま何もせず、しばらくして2年生になってから、怪談を書き留めるのに使った、と云うことだろうと思うのである。
 表紙の裏、右寄りに目次がある。上部に「■■■■■/前   篇/後   篇/附   録」下部に「⑴/⑵/⒅/(30)」とある。
 ノート本文は60頁あるが、記載があるのは31頁まで、小口の下の角に頁付を記入して置いたのが丁度半分の30頁までで、残りの29頁は余白。
 薄い緑がかった灰色で子持枠(21.0×15.0cm)があり、1行めと19行めは幅 0.8cm、枠側に 1.0cm 間隔で20個の・が打たれる。それがない2~18行めは若干狭い。余白は1頁は上 1.8cm、左 0.9cm、下 1.7cm、右側のノドは計測し難いが 1.0cm くらい、上辺の上に枠(0.9×6.9cm、右側9行分くらい)があってヘッダ(柱)の記載が出来るようになっている。私はここを使用していない。裏の2頁の余白はこれを左右反転させた寸法になっているが、柱の位置は1頁と変わっていない。
 以下、行数は空白の行も勘定に入れて全て1頁19行とした。
 1頁、まづ2行取り1字下げで「■■■■■」と標題、3行めは空白、4~14行めに序に当たる文章。

 私は小学三年から五年生迄の三年間、兵庫県明石市に/住んでいました。五人の先生に持ってもらいましたが、うち/二人は話題が豊富で、いろいろな話を知っていました。「こわ/い話して」とたのんでも「あとでしてやる」とか言われて数話/しか聞けませんでした。その記憶もこの二、三年のうちにかなり/うすれてきたので今のうちに書き記しておこうと、筆を起/こしたのです。私は勝っ手に文飾をしたり、付けくわえる/とか言うことよりも、話した人の一句、一字をだいじにす/る方なので、方言で記すことにしました。前篇と後篇に/分かれていますが前篇は先生が、直接だれかから聞いたも/の、後篇は本で読んだものです。


 校訂案を示して置こう。

 私は小学三年から五年生までの三年間、兵庫県明石市に住んでいました。五人の先生に持ってもらいましたが、うち二人は話題が豊富で、いろいろな話を知っていました。「こわい話して」と頼んでも「後でしてやる」とか言われて数話しか聞けませんでした。
 その記憶もこの二、三年のうちにかなり薄れてきたので今のうちに書き記しておこうと、筆を起こしたのです。
 私は勝手に文飾をしたり、付け加えるとか言うことよりも、話した人の一句、一字を大事にする方なので、方言で記すことにしました。
 前篇と後篇に分かれていますが前篇は先生が、直接誰かから聞いたもの、後篇は本で読んだものです。


 2行空白で17行めに1字強下げて「三年」とある。
 さて、表紙には「1の7」序には「三年」とある。しかし私の記憶、と云うか現時点の考えでは、このノートを執筆したのは2年のときのことなのである。
 私の中学には夏休みに、教科の宿題がなく「課題学習」と云って、自由研究だけをすれば良いことになっていた。――私が妙な調査に入れ込むことになってしまった原因はこの3年間にあったと云って、過言ではないかも知れない。
 細かい事情は、当時の資料を発掘すれば明らかに出来るはずなのだが、今、その余裕がないので記憶に頼って書いて見る。だから実は違っているかも知れない。――中学1年の夏、私は中学の地元の神社仏閣や小祠・石仏を調べ、住宅地図の写しに場所を示して、地元のガイドブックを作成したのである。これに加えて、父の郷里に家族で帰省した折に祖父や父から聞いた話を纏めて提出したのである。ところが、社会科の「課題学習」を取り纏めた教師は、私が力を入れたガイドブックよりも、父の郷里の伝説や体験談(大したものではないのだが)を纏めた冊子の方を評価して、そちらをメインにして市の社会科研究発表会に出品したのである。
 作業量は明らかにガイドブックの方が多かったから、私にはこれが悔しかったのである。思えば、当然のことで、
実際に寺社を訪ねて、住職や住職夫人、宮司に話を聞いて戦前に活版で印刷した略縁起をもらったり、看板にある由緒書を書き写したり、石仏や灯籠・手水鉢の銘文を読み、炎天下(と云っても今からすると懐かしいくらい快適だったが)自転車で学区の内外を走り回って、図書館で住宅地図のコピー(1枚20円)を取って、と云った手間を掛けてはいるが、別に独自情報がある訳でもなく、区誌を見れば分かるような内容でしかない。対する父の郷里の話は、町史を見れば載っているような伝説と、狐の嫁入りや人魂の、ただ見たと云うだけの目撃談ばかりで、やはり全く面白くないのだけれども、一応オリジナルではある。
 それで、2年生のときには version up した地元のガイドブックのみを提出して、話の聞書は提出しなかった。無理からにガイドブックの方を評価させようとしたのである。それで、代わりに
*1「1の7」のときに何かに使うつもりで買ってそのままになっていた、この縦罫のノートに、数年前に聞いた話を書いて見たのである。
 と、思うのだけれども違っているかも知れない。じゃあ「三年」とは何なのか、と私も思うのだけれども、3年の夏の「課題学習」は『人から聞いたはなし』と題する、これまでに私が聞いた怪異談を集成した冊子を提出したので、同じようなものを別に拵えていないだろうと思うのである。(以下続稿)
9月30日追記】原本の当記事に関連する写真を貼付した。

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表紙
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裏表紙
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目次
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自序

*1:投稿後追記】最近の私は何となくこんな風に思っていて、そこで一応そのつもりで筋を通して書いてみたのだが、これは絶対違う、と思えて来た。――父の郷里の話を纏めた冊子の標題に、父の郷里の地名を使ったのだが、社会科研究発表会の賞状をもらったときに校長がその地名を読み間違えたのである。その校長は、1年のときの校長ではなく2年3年のときの校長だった。そうすると1年ガイドブック、2年父の郷里の話、3年これまで聞いた話、と云う順序になる。十分資料を揃えないで、何となく思い込んでいることをそれらしく書くと、自分のことでもこんな風に簡単に捏造することになる。そこで、思い違いを補強して書いてしまったと思われる箇所を灰色にして示した。――死ぬまでに訂正しなければ。