瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中学時代のノート(15)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(12)後篇② 怪談(その七)溺れるプール

 18頁13行め~19頁5行め。

 またこわい話の好きな人ばかりだったので、三年の時、帰り/の会に、こわい話のコーナーがあって、いろいろと、知ってる話/を発表していた。とくに川■■代という子がよく話を知っ/ていて、こんな話をした。
 
 どこかの小学校に泳ぎの好きな女の子がおってんな。それ/でその子は、いつもプールで泳いどってん。それで、その子は、な/【18】ぜか浅いところでおぼれて死んでもたんやって。
 その後のプールの時間、男子が一人、浅いところでおぼれた/んやって、足をみたら、髪の毛がからまってたんやって。
 
 ほかにもいろいろ知っていたが、私は忘れてしまった。


 校訂案。

 また、こわい話の好きな人ばかりだったので、三年のとき、帰りの会に、こわい話のコーナーがあって、色々と知ってる話を発表していた。特に川■■代という子がよく話を知っていて、こんな話をした。
 
 どこかの小学校に泳ぎの好きな女の子がおってんな。それでその子は、いつもプールで泳いどってん。それで、その子は、何故か浅いところで溺れて死んでもたんやって。
 その後のプールの時間、男子が一人、浅いところで溺れたんやって。足をみたら、髪の毛が絡まってたんやって。
 
 他にも色々知っていたが、私は忘れてしまった。


 ■田先生は色々と生徒の喜びそうなことを企画したものと見える。さればこそ、夏休み(?)から、実質9月から1月までの4ヶ月半しか担任しなかったのに、強く印象に残ったのである。確か、これは、前に出て話すことになっていた。川■さんとは親しくはなかったが、目が大きくて、雀斑があったように覚えている。しかし女性は結婚して改姓してしまい、かつ出身地に残っていないことも多いので、今、検索した限りでは、どうしているのか分からない。
 この話を「後篇」に入れたのは、何処の学校か分からないことと川■さんが「よく話を知ってい」る理由を、本や雑誌から仕入れていると思ったからなのであろう。「こわい話のコーナー」と云うからには川■さんは何度も「発表」し、他の生徒も話したのだろうけれども、5年後で(!)これだけしか覚えていなかった。目立とうとして嘘臭い話をする奴がいたりしたような覚えは何となくあって、或いはそれが、私の尾鰭を付けた語りや俄に信じられない、リアリティがなさ過ぎてちっとも怖く感じられない作り話を憎む(!)素地になったのかも知れない。
 さて、この手の話は、自分の学校や、知人の誰彼の学校の話として聞いたことはないのだけれども、本などではよく見る話である。どの辺りから広まったのであろうか。プール怪談のルーツは何処まで遡るのだろう。『現代民話考』にはプールの話は4話(単行本)と多くなく、いづれも何年か前のこととして語られ、(1話は時期の指定なしだが)昭和40年代まで遡るような例はなさそうだ。しかも、溺死した人のいるコースで足を引っぱられるとか、髪の毛が絡まったとか、そんな簡単な話で、溺死した生徒の事情は川■さんの話の方が詳しいくらいである。
 これとは全く別種のプールの怪談を、当時私が通っていたスイミングスクールのコーチから自身の高校水泳部の話として2話聞いた。当時20代後半に見えたから10年前として昭和40年代半ばの話と云うことになろうか。もっと若かったかも知れないが。これはなかなか面白い、かつ、実際に競泳をする人間にとっては実感として怖ろしい話なので、私は高校時代に2話に因果関係を持たせて1篇の小説に仕立てて文藝部誌に載せたことがある。――この話もこのノートに収録して良いはずなのだが、何故か私は別扱いして来たことに今更ながら気が付いて、自分でも不審に堪えない。(以下続稿)