瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中学時代のノート(08)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(5)
   前篇④ 怪談(その三)犬と人の骨(その四)八十八池

 1行空けて5頁6~14行め、

 怪談だとは言えないが、よくよく考えるとこわいような気/のする話を一つ。先生が子供のころの思い出である。
 
 海のそば(谷八木小?)の潮の香りのする学校で、ある/時浜に出てあそんでいると、骨が出て来た。ほってみると、/人が犬にうでをくいつかれたかっこうだった。聞くところ/によると、魚住(明石市西部)で(飼い主が飼い)犬にかみつ/かれて、もろとも海におちて、それが打ち上げられたらし/いって。


 校訂案。

 怪談だとはいえないが、よくよく考えるとこわいような気のする話を一つ。先生が子供の頃の思い出である。
 
 海のそば(谷八木小?)の潮の香りのする学校で、あるとき浜に出て遊んでいると、骨が出てきた。掘ってみると、人が犬に腕を喰い付かれた恰好だった。聞くところによると、魚住(明石市西部)で(飼い主が飼い)犬に嚙み付かれて、もろとも海に落ちて、それが打ち上げられたらしいって。


 明石市立谷八木小学校には9月14日付(06)に触れた。
 1行空けて16行め~6頁8行め、

 この先生も長くはいなかった。が、学級で物語ノートを/作ったり、班ごとに「先生あのね」というノートをかか/せたりしていて、いちばん三年生の時の先生の中で一番記/憶にのこっている。そう言えば■野先生にもこんな話が/【5】あった。
 
 山手?の方に住んでいて、盆踊りの帰り、八十八池の/そばに、大きな松の木があって、その下を通るのがこわかっ/た。
 
 怪談でもない、ただの思い出話である。しかし、こういうの/が怪談をつくっていったのであろう。


 校訂案。衍字を削除した。

 この先生も長くはいなかった。が、学級で物語ノートを作ったり、班ごとに「先生あのね」というノートを書かせたりしていて、三年生のときの先生の中で一番記憶に残っている。そういえば■野先生にもこんな話があった。
 
 山手?の方に住んでいて、盆踊りの帰り、八十八池のそばに、大きな松の木があって、その下を通るのがこわかった。
 
 怪談でもない、ただの思い出話である。しかし、こういうのが怪談を作っていったのであろう。


 山手は明石市大久保町山手台。学区外に出掛けることが原則禁止されていた私たちには、話は聞いてもよく分からない場所だった。
 八十八池と云う池はなく「八十島池」らしい。私は何と読むつもりでこう書いたのだろう? 大久保町西脇の北東端、現在の大久保町茜1丁目4番に、半分以上埋め立てられながらも存している。航空写真で探した限りでは、付近に松の大木は残っていないようである。地図や航空写真を見るに、山手台の造成は昭和40年(1965)前後らしい。■野先生が当時何歳だったのか分からないが、中学生の頃か、とにかく10代の前半くらいに、開発されたばかりの大久保町山手台の住宅地に移り住んだのであろう。まだ山手台の住人が少なかったので、西脇や山ノ下などの昔からの集落の盆踊りに出掛けていた、そんな時期の話のように思われる。(以下続稿)
9月30日追記】原本の当記事に関連する写真を貼付した。

f:id:samatsutei:20200930122510j:plain
5頁