瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中学時代のノート(14)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(11)後篇① 怪談(その六)血が出る蛇口

 それでは続いて、18~29頁「後篇」を眺めて行くこととしよう。
 18頁は1行めに1字下げで「後 篇」とあり、1行空けて3行めから本文。まづ3行め、前置きに当たる文章がある。

 先生が本で読んだもの、と、出所のわからない話を収めた。


 伝承経路が明らかでないものを排除しようとしているのは、小学6年生のときに読み囓った昔話研究の流儀を真似たのである。
 2行空けて6~12行め、

 三年のときの、■田先生は、次のような話もした。
 
 AくんとBくんといて、Aくんの部屋にはかぎがついてて、水/道の蛇口がある。ひねってみると、血が出る。それはAくんの(行/方不明)だった)お父さんの首につながっていた。
 
 実にうそくさい話である。だれかの創作だろう。


 要するに作り事めいて全く本当らしくない話を排除したのである。しかしこれでは「Bくん」が、蛇口を捻って、そして血の源を確かめたのだろうけれども、全く断片である。「Aくん」は何故そんなことをしたのだろう? 鍵の付いた部屋に対する憧れと、後ろめたさが投影されているのであろうか。まだ春の目覚めのような年頃ではなかったが。
 校訂案。

 後 篇
 
 先生が本で読んだもの、と、出所のわからない話を収めた。
 
 
 三年のときの、■田先生は、次のような話もした。
 
 A君とB君といて、A君の部屋には鍵が付いてて、水道の蛇口がある。捻ってみると、血が出る。それはA君の(行方不明だった)お父さんの首に繋がっていた。
 
 実に嘘臭い話である。誰かの創作だろう。


 誰が作ったのだろう。■田先生はどうしてこんな話をする気になったのか。子供の抱いている、口煩く自分を監督する親に対する敵意なのであろうか。
 こんな話のことは忘れていたのだが、今、打ち込んでいるうちにふと、酒鬼薔薇聖斗(中学3年生)の事件を想起した。男児の首が見付かった中学校は、隣の市で私の小学校から直線距離で15kmほどである。同じ市内の3km余しか離れていない中八木や谷八木でさえ良く分からなかった当時の私には、さっぱり分からない土地の話だったろう。いや、今だってあの辺りのことは、よく分からない。しかし、そのまま住んでいたらやはり隣の市と云うことで戦慄しただろうか。しかしあれは■田先生がこんな話をして17年近く後のことで、既に関西から離れて久しく、こんな話を書き留めていたことも忘れていた修士の院生だった私には、特にそのことについて何の感慨もなく、周囲と同じようにたまに話題にするばかりで、TV番組に出ている学者やコメンテーターが犯人像を色々推理して見せるのを、ほんまかしらん、と思いながら眺めていたのである。
 とにかく、私は本当らしい話か、如何にも話らしい話が好きで、変に生理的な気持ち悪さを狙ったような、嘘臭い話が嫌いなのである。聞いても感心しない。だから中学・高校ではこういう話は殆ど聞かなかったし、聞いても聞き流して記録しなかった。この期間に聞いた話を細大漏らさず記録しようとしたから、このノートに例外的に残ったのである。(以下続稿)
9月30日追記】原本の「後篇」冒頭部の写真を貼付した。

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18頁
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19頁