瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中学時代のノート(21)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(18)後篇⑧ 怪談(その十一・中)あの老婆は死神か

 校訂案。

 五年になると、■本先生が通称「足の話」P₇をしてくれた。が、同じときに本で読んだ話として次の話をした。
 
 (あらすじ)
 大阪にセールスマンがいた。四十歳ぐらいの働き盛りの人だった。セールスマンというのは、売りに行って、売れれば給料も多く、売れなければ給料も少ない。百軒廻って一軒しか売れないことがある。それで夏の暑い日も、懸命に廻っていた。
 ある日も、一日中廻って帰って来たのが十時だった。その人は。家で(疲れが溜まって)倒れてしまった。(高熱を出して唸るので)救急車を呼んだ。病院に行って診てもらうと、三日目が山だ、と言われた。
 何しろ病人のことやからいつ起きるかわからん(昼間寝てたら夜起きるとか……)、その人は、真夜中目が覚めてんな。そして辺りを見回すと。病院のドアの窓の向うに、白い布が、ヒラヒラァ……ヒラヒラァ……と動いている。なんやろっと見てみると、カーテンのようでもある。「誰か付けてくれたんだな」と、よく見てみると、お婆さんの喉にガーゼが貼ってあって、それが、ヒラヒラァ……と蠢いてるのだ。見舞いに来てくれたんかな、と思った。
 二日目に起きたのも真夜中だった。病室を見回してみると、昨日の婆さんが病室の中に入っている。顔はにこにこ笑ってる。昨日カーテンのように見えたガーゼが喉で風もないのに、ヒラヒラァ……ヒラヒラァ……と動いている。息はしてるようだ。ヒラヒラァヒラヒラァ……。よく見ると、ガーゼの隙間から、喉の中が見えた。
 三日目の真夜中、山と言われた日時だった。見ると「ワアァ」なんと婆さんは腰を曲げて、その人の顔の真上でにこにことしている。ガーゼは風もないのに
  ヒラヒラァ……ヒラヒラァ……
と動いている。息はしているようや。
 そこでその人は考えた。
死に神と違うかァ。」「そうや、死に神や。」「負けてたまるか、妻も子供もおんのやでェ」「わしは生きるんや」と、グーッと力を入れた。すると、婆さんは、昨日の場所に下がり、どんどん下がって行って、終いには戸の外に出てしまった。
 その人はそのことを話したが、相手にされなかった。それで、この病院に五、六年勤めている看護婦さんにそのことを話すと、看護婦さんは青くなって、次の話をした。
 五年前、どこだかのお婆さんが、具合が悪くなって来た。診ると、喉の癌だった。手遅れだったが一応手術だけはした。が、この部屋の、このベッドで亡くなった――。と。
 
 「この話はそのセールスマンの人の書いた本に載ってた」と言うてた。あと二つある。次にしたのはこれ。


 この話の原話らしきものが載っているのは、2016年8月17日付「淡谷のり子「私の幽霊ブルース」考証(2)」に触れたように、平野威馬雄『お化けについてのマジメな話』である。「目次」1~9頁(頁付なし)、1頁は扉。11頁「1.世にも不思議なお化け体験」扉(頁付なし)裏は白紙。この1章めは本文13頁からで50頁まで。13頁1行めに「二人の訪問者」の節見出し、但しこの章はこの1節のみである。前置きに当たる文を抜いて置こう。13頁2行め~14頁2行め、

 ぼくがはじめた『お化けを守る会』は、昭和四十八年の晩秋が発会だったのに、はやくも数百/人が会員になり、そのほとんどの人が、多かれ少なかれ、常識家から見ると、信じられないよう/な、不思議な体験を経たひとびとであった。
 『お化けを守る会』のことについては、あとで、ゆっくり書くことにするが、発会後三回ほど/例会のようなことをしたが、その都度、異様なフンイキがただよい、ありうべからざることが、/ひんぴんとして、くりかえし、生起する事実の前で、ぼくは呪縛されたように、緊張してしまう/のである。
 そして、ぼくの家へは、いろいろな人からの電話や直接訪問によって、「とても、ほかの人に/話しても信じてもらえないので」といいながら、それぞれの経てきた、ぞっとするような体験談/をきかせてくれるようになった。
 そうした訪客の中から二人だけをえらんで、この二人のしてくれた話をここにうつしてみる。/この二人をえらんだのには、べつに何の理由もないのだが。【13】
 杉並に住む中村四郎さん、五十年配の、ほっそりした紳士で、あらかじめ、数回の電話で、面/会の打ち合わせののち、来られたのである。


 続いて14頁3~4行め「お化けに魅せられた一家/――中村四郎さんの話」とあって、これはこの節の総題ではなく中村氏の1話めの題らしい。中村氏の話は43頁5行めまでで、43頁6行めから「ある老人の告白」と題する2人めの話になるが、この2人めの名前はメモもしていない。――私の手許には、緊急事態宣言前に取った部分的な複写しかないので今、残念ながら詳細に及ぶことが出来ない。それでも中村氏の年齢等の参考になりそうな箇所は複写して置いたつもりなのだが、今、その箇所を突き合わせて見ると、誤植としか思えない矛盾があって、やはり改めて中村氏の談話全文を検討して見ないことには何とも云えない。だからそういうことは再度『お化けについてのマジメな話』を借りる機会を得て果たすこととして、今回はとにかく問題の箇所だけ眺めて置くことにする。
 ところで、当時の平野氏の家は奥付の前の頁にある「平野威馬雄<ひらのいまお>のプロフィール」の末尾に「千葉県松戸市上本郷2011」とある。これは現在の松戸市北松戸、JR常磐線北松戸駅の東、数百mの辺りの住宅地のようだ。ところで、Wikipedia「お化けを守る会」項にも発会の時期の記載がなく、確か吉田悠軌も間違った時期を当て推量で書いていたと思う。――ところが、この記事投稿直前に念のため検索して見ると、Twitter の方には平野氏の著書からこの時期であることを紹介した tweet が既に存していた*1。(以下続稿)

*1:しかし、私の気付いた tweet は2つとも先月のものだから、この話に気付いた時点ですぐに記事にしておれば発見者面出来た訳だ。――新発見と思っても、うっかりしていると往々にして、こうなる。