一昨日の続き。
9月17日付(1)に引いた「あとがき」に、佐藤氏本人が述べているように「いささか風変わり」で「すこし破格」な本書は、すんなり計画が進んで刊行された訳ではないらしい。410頁8~11行め、
この本はすでに暗示しているように、いくつかの出版社での刊行が予定されたり検討されたりしながら、さまざまな/理由から実現にはいたらなかった。詳細は省くが、現在の出版をとりまく窮状をまえに、編集者が刊行をあきらめたく/なる気分もわからないではない。そんななかで草稿に目を通し、研究書として一冊にすることの意義を認め、がんばっ/てくれたのが中村憲生さんで、弘文堂にはこころより感謝している。‥‥
尤も、9月18日付(2)に見たように第一章のもとになった論文は2013年7月の発表で、本書は2016年2月刊だからせいぜい2年半である。
それはともかく「省」かれた「詳細」の一部が語られているのが「あとがき」の第二章に関する箇所である。409頁16行め~410頁7行め、
第二章は、江戸東京博物館での報告書に載せた「民間学者としての喜多川周之」[『喜多川コレクション』調査報告書第/二二集、二〇一〇年三月:一二三-一四八]と「喜多川コレクションの魅力――民間学者の遺産」[『喜多川コレクション 第二集』/調査報告書第二六集、二〇一二年三月:三七-五五]を素材にし、全面的に構成しなおした。東京都江戸東京博物館の行吉/正一学芸員が、開館以来の課題であったコレクション資料の研究を進めることを思い立ち、誘ってくれた成果である。/できあがってみたら、私なりのライフヒストリー研究になっていた。あえて第二章をこのように置いたのは、十二階研/【409】究の視界そのものをつくり上げた研究主体の存在形態を重視したかったためだ。対象があり主題があっても、それだけ/では研究は成り立たない。対象を掘り起こし、主題を追求し、そのための方法を工夫する主体のたえまない実践なしに/は研究は生みだされない。これが民間学者としての喜多川周之論となったのは、この素材ゆえの必然である。ある出版/社の編集者からは、この章は多くの読者にとってたいして関心がないし、意味がわからないだろうからいらないのでは/ないかと言われた。それよりスカイツリーを論ずる章を設けたほうが現代的で、ふつうの読者に興味をもたれると提案/されたが、それが正しいかどうか以前に私には書くべき内容が思いつかなかった。なによりも、そんなふうな本づくり/しかいまは許されないのかと悲しかった。
佐藤氏は『江戸東京博物館 調査報告書』の題を「喜多川コレクション」としているが「喜多川周之コレクション」が正しい。この報告書は私がまだ都内に勤めている頃、立ち寄った区立図書館の地域資料のコーナーで手にしたことがあったと思うのだが、当時の私は浅草十二階に別段深い関心を有していた訳ではなかったので、借りて眺めることもなかった。いや、今だって特に興味がある訳ではないのだけれども。
ところで、喜多川周之の蒐集した資料は、「江戸東京博物館デジタルアーカイブス」の「喜多川周之浅草コレクション」にてそのごく一部(196件)をカラー画像で閲覧出来るのだが、その「概要 / description」には、
郷土史家・喜多川周之氏(1911~1988年)が生涯にわたって収集した、東京下町関係の一大コレクション。約35,000点にのぼる。喜多川氏は、版画業を営みながら、「凌雲閣」(浅草十二階)に関する研究と資料収集を進め、台東区郷土資料調査員などを務めた。本コレクションは、凌雲閣や浅草六区などの盛り場を描いた絵画や刷物、絵葉書、写真などを中心とし、このほか関連する典籍・図書類も多い。
とある。しかしこの生歿年が間違っている。いや、本書86頁5行め「戸籍謄本によると、生まれたのは明治四四年六月九日」だから、生年は合っている。しかし第二章の冒頭(81頁2行め)の次の一文からして、歿年は間違いである。
昭和六一年(一九八六)一一月一三日、ある郷土研究者が亡くなった。
すなわち「喜多川周之(1911.6.9~1986.11.13)」なので、何故こんな誤りをしたものだか「ご意見・ご感想」に指摘して送信しようと思ったのだが、氏名とメールアドレスが必須だと云うので止めにした。
その人は何故、このような著述をしたのだか、そして内容に偏りがある場合、関心を持った切っ掛けや使用した資料が問題になって来るから、私もそこまで吟味することにしている。従ってこの喜多川周之論は非常に興味深いし、先行研究を活用するためには是非とも必要な手続きだと思う。しかし「多くの読者にとってたいして関心がないし、意味がわからないだろうからいらないのではないか」と云うことで、当ブログの閲覧者も恐ろしく(!)少ないのだろう。しかし、それにしてもスカイツリー論を書け等とは、全く何を求めているのだろうか。そんな上滑りなことをやっているうちに、学界も出版界も頽勢を立て直せなくなりそうだ。実際、もう相当危ないと思っている。(以下続稿)