瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

和田芳恵の小説モデル研究(1)

 その後、貴重書扱いされて貸出禁止となってしまったが、以前の千代田図書館では戦前の東京市駿河台図書館以来の本でも貸してくれた。そんな思い出もいづれ書いて見たいと思っているが、次の本は2008年2月23日に借りて3月8日に一旦返却し、改めて借り直して3月31日に返却している。2月23日に読み始め、3月12日に読了。
 以下のメモは当時のもので、並行して読んでいた、同じ和田芳恵(1906.4.6~1977.10.5)の類書『おもかげの人々 名作のモデルを訪ねて』のメモと纏めてあり、4月8日最終更新となっている。
 註記は※印で附している。ルビは( )で当該文字の後に入っている。「確認」は網掛けをして後日確認し次第消去するつもりだったが、そのままになってしまったもの。書影と、若干の修訂を加えて示して置こう。

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和田芳恵『名作のできるまで 作品研究ノート昭和三十二年二月二十八日初版発行・定価二〇〇円・北辰堂・200p.

※本文16行。章の始め、題の上に写真。章題の示し方は目次に拠る。本文では2行に作品名とやや小さく作家名を出す。
  扉
※2色刷り
  口絵「雪国の温泉芸者」横組
  中扉(~1頁・頁附なし)
  目次(2~3頁・頁附なし)
  雪国川端康成(6~19頁)
※写真「駒子がいたという昔の置屋
●17頁12~14 「 「東京新聞」昭和三十一年八月一日附の「名作のヒロインを訪ねて」の第一回に、私は「雪/国」の駒子をえらび、カメラの大竹新助(筑摩書房版「文学アルバム」の撮影者)といっし/ょに、新潟県三条市を訪ねた。そのときの記事を次に掲げる。/」として、17頁15~19頁までが引用らしいが、この連載、『おもかげの人々』との関係如何。
  斜陽太宰治(20~33頁)
※写真「太宰治の碑のある御坂峠遠望」
●22頁13 「没落した皇族」とあるが28頁1「貴族の女」とある。
  如何なる星の下に高見順(34~53頁)
※写真「創作ノート」「現在のレヴュー楽屋」横組
●52頁4 「神精」は「精神」ならん。
  武蔵野夫人大岡昇平(54~68頁)
※写真「ハケの湧水の水源」横組
●58頁14~60頁6 ここの引用は65頁13~67頁8の引用と同じ場面でほぼ重なっているが異同が大きい。仮に違う場面としても殆ど繰り返しの引用は如何。
●65頁13 「貧る」は「貪る」。
  大菩薩峠中里介山(~82頁)
※写真「勝縁荘の介山筆蹟」
●74頁4 「残/逆さ」は「残虐さ」表記確認。
●79頁15 中村「一心齊」は「一心斎」ならん。80頁5・13・14も。
●79頁16 「武井秩父」は「武州秩父」か。
●81頁16 「柔しい」なんと読むのか確認。
●82頁6 「募末時代」は「幕末時代」。
  銀座八丁武田麟太郎(~94頁)
※写真「昭和12年頃,銀座二丁目 グランド銀座夜景」横組
●86頁15 「公郷華族」は91頁10・93頁15「公卿華族」。
  来訪者永井荷風(~106頁)
※写真「市川市菅野附近を散歩する荷風
●97頁14 「木場真」は102頁6「木場真」とあり確認。
●97頁14 「白木」巍は98頁2・102頁6以下「白井」とあり確認。
●99頁4 「慶應義熟大学」は「慶應義塾大学」。
●102頁11 行頭1字下げ。
●105頁16 「葛飾北齊と其(その)流(ながれ)を汲んだ河鍋暁斉」は「葛飾北斎と其(その)流(ながれ)を汲んだ河鍋暁斎」で良いか。
●106頁1 「版異」は「版画」か。
  たけくらべ樋口一葉(~119頁)
※写真「吉原に残る刎橋の跡」
●113頁11 「不幸の子」は「不孝の子」ならん。
●116頁3 「表組」は116頁4以下には「表町組」とあり。
●112頁9 「一葉は、この年(=明治二十九年)の十一月二十九日に、二十五歳で死んだ」とあるが、119頁7「明治二十九年、十一月二十三日」が正しい。
  野菊の墓伊藤左千夫(~130頁)
※写真「現在の矢切の渡し
●121頁14 「紫又」は「柴又」。
  雁森鴎外(~143頁)
※写真「お玉が住んだ無縁坂風景(現存)」横組
●137頁9 「斉藤緑雨」は「斎藤緑雨」。
●139頁7 「ひつとが」は「ひとつが」。
  蓼喰ふ虫谷崎潤一郎(~157頁)
※写真「連載当時の毎日新聞」横組
●144頁5 「小出樽重」は「小出楢重」。
  火の柱・木下尚江(~172頁)
※写真「新聞連載当時のさしえ・平民新聞社」横組
●162頁7~8 「き/ずかい」は「きづかい」。
●167頁9 「齊藤緑雨」は「斎藤緑雨」。
●170頁6 「一(おほ)言に掩へば」ルビ位置。
●171頁14~15 「旧約聖書のヨシュ/ア記や土師記の故事」の「土師記」は「士師記」。
  こころ夏目漱石(~187頁)
※写真「漱石の墓のある雑司ヶ谷墓地」横組
●175頁11 「伯父」は185頁2「叔父」が正しい。
●176頁1 「先生の私」は183頁12「先生と私」が正しい。
●176頁5~6 「 漱石は金之助といい、慶応二年一月五日、江戸牛込馬場下の名主夏目小兵衛直克の五男と/して生れた。……」とあるが179頁8「彼は慶応三年に江戸牛込で生れたが」が正しい。
●177頁7 「心要」は「必要」。
●177頁9 「加納治五郎」は「嘉納治五郎」確認。
●178頁11 「天元去私」とは? 「則天去私」か?
●179頁7 「裸か」は「裸」書き癖か。
●181頁3~4 「明治三十九年、三十八/才で「吾輩は猫である」を書きはじめて」の「明治三十九年、三十八」は「明治三十八年、三十九才」が正しい。
●181頁12・16 「美彌子」は「美禰子」。
●183頁12 「先生の遺書」は176頁1「先生と遺書」が正しい。
●184頁11 私の父が「脳溢血でぶらぶらしていた」というが、本当か?確認。
●185頁5 「幼純粋少のとき両親を失った先生は」とあるが、高等学校進学直前で「幼少」ではない。
  蜃気楼芥川竜之介(~198頁)
※写真「現在の鵠沼海岸
●191頁14 「素戔鳴尊」は「素戔嗚尊」。
●195頁15 「粋純な」は「純」。
  あとがき(~200頁)
全国出版協会の機関誌「読書タイムズ」の連載企劃「名作タイトル物語」。カメラ担当榊原和夫記者。
●199頁13~200頁1 「 新進の作家で、日本文学を専攻した原(誠。長野県松本市の出身・東北大学の国文科を卒業・東京大学の大学院に籍・現在、都立板橋高等学校の教諭)さんは、私の考えをのみこんで、ただ思いつきだけ【199】のような私の仕事をりっぱに整えて「名作のできるまで」にしてくれました。」とあるが、本書は悪文。校正も不備多し。
〔メモ〕109頁15~16「 現在、「たけくらべ」のような文体は、英語を読むよりむずかしいという若い知識層もで/てきた。‥‥」

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 誤入力かと思われる箇所もあるがそのままにした。今は借りることが出来ないし、所蔵する図書館に出掛けてもゆっくり時間を掛けて閲覧する訳に行かない。だから多少問題があってもそのまま出して置こうと思ったのである。(以下続稿)