瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

和田芳恵の小説モデル研究(3)

 当時のメモには2020年12月30日付(1)に示した『名作のできるまで』の疑問点メモと、2020年12月31日付(2)に示した『おもかげの人々』の初出情報に加えて、一覧表がある。
 しかしここでは、一覧表の後にある註記を先に引いて置こう。

モデル考察本
●『近代名作モデル事典』
●長谷川泉 編「現代作品の造型とモデル」「国文学解釈と鑑賞」昭和五十九年11月臨時増刊号・第49巻第14号・640号・昭和59年11月5日発行・定価1,490円・至文堂・312頁
●神崎清『名作とそのモデル』昭和28年3月・東京文庫
●山本茂『物語の女 モデルたちの歩いた道』昭和54年12月・講談社
 
臼井吉見「モデル問題をめぐって」「文学界」昭和29年4月
 
●都築久義『実説人生劇場』昭和47年5月・白馬出版


 すなわち、これら近代文学作品のモデルについて述べた本も見て、表に加えるつもりで、枠も用意してあったのである。しかしながら、結局、「国文学解釈と鑑賞」について註記したのみで終っている。『近代名作モデル事典』は見ているのだけれども別に取ったメモをここに書き加えていない。しかしかなり関連している(と思われたので)枠を設けて後日、補う機会を待つこととする*1。山本茂『物語の女』については別に記事にするつもりである。ここでは、当時は未見であったが現在国立国会図書館サーチや国立国会図書館デジタルコレクションで目次を閲覧出来る神崎清『名作とそのモデル』について補って置くに止める。
 丸数字は収録順、算用数字は頁。
「名作」=和田芳恵『名作のできるまで』
「お」=和田芳恵『おもかげの人々』
  「お連」=「婦人朝日」連載「名作のモデルを訪ねて」
  「お講」=講談社版『おもかげの人々』
  「お光」=光風社書店版『おもかげの人々』
「モ事」=『近代名作モデル事典』
「解釈」=「国文学解釈と鑑賞」
「神崎」=神崎清『名作とそのモデル』

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

和田芳恵の検討作品一覧(参考欄の太字は和田のモデル研究に言及)

作者 作品 名作 お連 お講 お光 モ事 解釈 神崎
川端康成 雪国 324 164  
太宰治 斜陽 148 262  
高見順 如何なる星の下に       30 178
大岡昇平 武蔵野夫人 304 241  
中里介山 大菩薩峠            
武田麟太郎 銀座八丁         179  
永井荷風 来訪者            
樋口一葉 たけくらべ       187 52  
伊藤左千夫 野菊の墓            
森鴎外       95 71  
谷崎潤一郎 蓼喰ふ虫       195 183  
木下尚江 火の柱            
夏目漱石 こころ       129 131  
芥川竜之介 蜃気楼            
田山花袋 蒲団   276 36
森田草平 煤煙   236 72
島崎藤村 新生   160 111  
宇野浩二 山恋ひ   ×   87  
葛西善蔵 蠢く者   45 91  
谷崎潤一郎 痴人の愛   199 118  
尾崎士郎 人生劇場   × 162 152  
織田作之助 夫婦善哉   300 154  
堀辰雄 菜穂子   224 201  
徳田秋声 縮図   152 189  
若杉慧 エデンの海   ×   305  
壺井栄 二十四の瞳   ×   266  
丹羽文雄 愛慾の位置   × ×      
田中英光 オリンポスの果実     182  

 ※は目次に示されていないが「名作の「モデルを訪ねて」の感想」に取り上げられている。詳しくは後述するが、ちょっとルール違反ではないかと思われる。
 神崎清『名作とそのモデル』は17作品を取り上げており、和田氏と重なるのは3作品、残りを示して置く。――①「金色夜叉 尾崎紅葉」②「不如歸 德富蘆花」③「破戒 島崎藤村」④「坊つちやん 夏目漱石」⑥「春 島崎藤村」⑧「土 長塚節」⑨「黑い眼と茶色の目 德富蘆花」⑩「悲しき玩具 石川啄木」⑪「道草 夏目漱石」⑫「明るみへ 與謝野晶子」⑬「或る女 有島武郞」⑭「無名作家の日記 菊池寬」⑮「破船 久米正雄」⑯「眞知子 野上彌生子」。(以下続稿)

*1:1月21日追記吉田精一 編『近代名作モデル事典』(昭和35年1月15日 印  刷・昭和35年9月25日 3版発行・¥ 260・至文堂・348頁・新書判)を見た。下の表に頁を追加したが和田氏が執筆した項目は太字にした。この表に挙げた以外に和田氏の執筆項目が存するかどうかは確認していない。なお、他の執筆者の項目に『おもかげの人々』が参照されているが、これも一々拾っていない。