瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森満喜子「濤江介正近」拾遺(09)

 森氏は最晩年に旧著を2冊、新装版として再刊しているが、どちらにも森氏が新たに加えた要素はない。
 うち1冊は旧版をそのまま用いている。もう1冊は全面的に組み直している。
⑨『沖田総司・おもかげ抄 <新装版>
 本書は④『定本 沖田総司――おもかげ抄ほぼそのままの再刊で、文字通りの<新装版>である。以下④との異同をメモして置こう。
 ④のカバー表紙・背表紙・裏表紙まで連続する装画は、カバー表紙折返しの最下部右寄りに「装画・宮田雅之」とある。
 しかし、この切り絵画家・宮田雅之(1926.10.30~1997.1.5)の、赤を背景に剣を構えた三白眼の若侍が口から血を垂らしていると云う装画は、他の森氏の著書の穏やかな絵柄に比べて異質である。ちょっと怖い。
 カバー裏表紙折返しは白地、1行め「清澄な明かるさをたたえた一生」と題し下寄りに「森 満 喜 子」、2~12行めは明朝体縦組みで1行35字、2行め「 この夏、私は信州の上高地へ旅をした。」とあるのが導入のエッセイで、ここから話を沖田総司に持って行ってしまう。最上部右寄りに顔写真(2.5×2.5cm)、④ではこの写真(3.5×3.3cm)は一回り大きく若干下が広く、文章の組み方は同じだが文字がやや大きい。それはともかく、④であれば「この夏」が昭和50年(1975)のことと分かるが、本書は初刊年を示さないので分からない。分からなくても良いのかも知れないが。
 カバー裏表紙折返しや裏表紙、それから奥付の記載内容、そして奥付裏の目録類は⑩『沖田総司哀歌<新装版>と合わせてメモすることとしたい。
 見返し(遊紙)はカバー表紙に使われている明るい緑色地。④は鶯色地だった。
 扉は極淡いクリーム色でエンボスの厚紙で、カバー表紙とは同じ文字が緑色で、それからカバー表紙と違う草花が2株、緑色で刷られている。④は少し厚い紙に宮田氏のカバー表紙とは違って図案化された波に向かって顰め面をして立つ沖田を斜め後ろから見た殆ど黒地の絵、文字は白抜きでカバー表紙と同じものが入るが異同は最下部の版元名がカバー表紙では横組みだったのがこちらは縦組みであること。
 1~2頁「はじめに」は④では「序」だった。本文は同じで2頁9行めまで、④は以下余白だったが本書は1行分空けて10行め下寄せでやや大きく「森 満喜子 」とある。
 3頁(頁付なし)は目次の扉で、中央上部にゴシック体で大きく「沖田総司・おもかげ抄 <新装版>  目  次」。④は明朝体でやや大きく左上に「定本沖田総司――おもかげ抄 目  次」とある。4~6頁(頁付なし)が目次の本文だが、4頁1行め、1字下げで④「序」は本書も同じだが「はじめに」にしないといけない。それから6頁左下(10行め)に小さく「カバー画・宮田雅之」とあったのは本書にはない。それにしても本書の装幀は誰が担当したのだか、どうにも分からない。
 7頁(頁付なし)中扉、明朝体で中央上部にやや大きく「沖田総司・おもかげ抄 <新装版>」、④「定本 沖田総司―――おもかげ抄」裏は白紙。
 9頁からの本文は、象嵌修正された箇所があるかも知れないが、④をそのまま使っているようだ。
 214~216頁「あとがき」、1段落めの冒頭3行(2~4行め)が組み直されている。ここでは④(改行箇所「/」)を元に、本書(改行箇所「|」)で改訂されている箇所を灰色太字で示し、註に改訂内容を記して置こう。

 沖田総司の史料をまとめた私の「おもかげ抄」はこの「定本沖田総司――おもかげ抄」*1で四回目と/なる。|『新撰組血風録』『燃えよ剣』を御執筆の司馬遼太郎氏に、昭和四十年にお見せしたのが第一/回の|『おもかげ抄』で。同氏から、


 すなわち、本書の改訂は全て標題の変更に関わる箇所ばかりなのである。
 しかし、どうして標題を変えたのだろう。「定本」とは当時新選組に関する史料の発掘、通説への疑義・新解釈の表明が続々なされる中、これ以上改訂しない、と云う森氏の意思表示だろうから、④以降の成果を盛り込まなかった本書も「定本」のままで良かったのではないか。
 以下216頁3行めまでは一致、本書は2行弱空けて下寄せで4行めやや大きく「森 満 喜 子 」とあるのみだが、④は1行空けて1字半下げでやや小さく「昭和五十年八月 盂蘭盆の日に」とあるがこれは削除されている。5行め、やや大きく「森 満 喜 子 」とあるのは同じ。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 私は初め本書を見て、それから④を見たので、④の刊行から二十余年、加筆訂正したいところ、した方が良いところが多々あったろうに、何故手を入れなかったのか、と思ったのだが、その後、新選組に関する本が(新人物往来社が刊行したものだけでも)枚挙に暇がない程出ていることを知って、下手に手を入れたら大変なことになるし、森氏がほぼ独力で纏め上げた④『定本』をそのまま古典扱いするのが正しい処置なのだろう、と思うようになっている。(以下続稿)

*1:本書「『沖田総司・おもかげ抄』」。