瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(19)

 牧野陽子は、ハーン研究家の間に、遠田勝が云うような「雪女」の出典問題をめぐる論争など存在しない、とした。確かにその通りなのだけれども、実は長野県では論争なしに「雪女」は地元の伝承と信じ込まれているらしいのである。
 幾つか例を挙げて置こう。
・和田登『民話の森・童話の王国 信州ゆかりの作家と作品2002年3月3日 第1刷発行・定価4800円・オフィスエム長野市)・558頁・A5判上製本

 537~538頁「本書のためのあとがき」に、初出と出版についての記述がある。537頁2~10行め、

 本書は『信濃毎日新聞』に、平成二年(一九九〇)四月十五日から平成六年(一九九四)六月二十二日にかけ/て、二一五回にわたって連載したものである。連載後にとりあげた幾人もの作家が他界してしまわれたため/の加筆や訂正その他の諸事情が生じたうえに、単行本としての体裁を整えるための推敲などがあったりで、/出版までにかなり手間取ってしまった。
 手間取った理由は、ただそればかりでない。一千枚近い、しかも寝転んで読んで面白いと感ずるような本/と違った、このような性質のものは、なかなか世に出にくくなってきていたがために、こちらも連載後、そ/のまま手元に置いておく時間が長くなってしまったことによる。出版を半ばあきらめいてたところへ、オフ/ィスエムの村石保さんが、何かの雑談の折りにこの原稿の話をしたら、「そういうのこそ、ほれちゃうんです/よね」といった意味のことを言ってくださり、原稿をお預けした経緯*1がある。


 4年2ヶ月1週間の連載で初回の平成2年(1990)4月15日は日曜日、以後毎週1回の連載で、年末その他に休載があったとして大体、215回になりそうだ。しかし最終回の平成6年(1994)6月22日が水曜日なので、実は不定期だったのかも知れないが、回数からするとやはり毎週連載だったように思えるので、最初(第1部)は日曜でその後(第2部)水曜に移動したらしく思われる。その辺りは「信濃毎日新聞データベース」で確かめるよりなさそうだ。
 新聞・雑誌の連載が、初出紙誌とは別の版元から刊行されている場合、どうして初出の版元が本にしないのだろうと思うのだが、なかなか単純ではないらしい。逆に、自社のPR誌への連載を他社から出して評判になり(のち、さらに別の社から文庫化)退職後の再雇用に響いたと云う人もいる。
 それはともかく、私なぞは取り上げた作家の物故などは「あとがき」或いは「追記」などで断れば良いので、本文は余程の間違いでもない限りそのままにして、一々掲載日を示して掲載日現在と云うことで通してしまえば良かったのではないか、と思う。地方紙は紙面を確認することも面倒なので尚のこと。いや、だからこそ、この新聞連載を1冊に纏めて刊行した英断に感謝したい。本になっていなかったら、内容はもちろん存在も分からなかった。しかしながら版元の有限会社オフィスエム長野市)は、昨年6月に破産してしまった。いよいよ「世に出にくくな」るだろう。
 どうも、1節が連載1回分らしいのだが、細目は今後、長野県の図書館に「信濃毎日新聞データベース」をゆっくり見に行くことにでもなれば、その確認のために作成することにして、ここでは章までを確認して置こう。
 3~17頁(頁付なし)「目 次」
 18頁(頁付なし)【凡 例】
・19頁(頁付なし)「第1部 民話編」の扉。以下10章、各章は4節ずつ。
 20~28頁「1 山と水の伝承」。
 29~37頁「2 民話の主人公たち」。
 38~47頁「3 妖怪伝説」。
 48~56頁「4 神の使者としての動物たち」。
 57~66頁「5 乱世の物語」。
 67~76頁「6 民話のなかの家族」。
 77~86頁「7 笑い・ユーモア」。
 87~96頁「8 善光寺をめぐる物語」。
 97~105頁「9 文明開化に生まれた民話」。
 106~114頁「10 現代社会と民話」。
 115~119頁「民話編のためのエピローグ」。
・121頁(頁付なし)「第2部 童話編」の扉。36人、1人に4~7節。
 122~133頁「島崎藤村 童話への想い捨てがたく」5節。
 134~143頁「中 勘助 幼年時代への固執と鋭い文明批評」4節。
 144~155頁「土田耕平 故郷/諏訪への郷愁と童話への執着」5節。
 156~165頁「吉江喬松 独自の自然観と戦争否定の精神」4節。
 166~181頁「酒井朝彦 信州への想い入れと文学への心酔」7節。
 182~197頁「塚原健二郎 庶民の発想と戦争否定に徹した理想主義」7節。
 198~207頁「中村亮 人類の超越者への祈り」4節。
 208~219頁「木内高音 宮沢賢治の評価と弱者への視線」5節。
 220~229頁「林芙美子 新しい時代の到来を夢みて」4節。
 230~241頁「武井武雄 童画に幻想的宇宙を確立した平和主義者」5節。
 242~251頁「横井弘三 童心が横溢した天衣無縫の画家」4節。
 252~261頁「藤森成吉 権力否定としてのヒューマニズム」4節。
 262~273頁「中島孤島 孤高を守り続け世界を見据えた仕事」5節。
 274~283頁「小百合葉子 「劇団たんぽぽ」に結実した精神」4節。
 284~295頁「坪田譲治 野尻湖を愛した夢物語」5節。
 296~305頁「佐藤春夫 詩人が創りあげた幻想物語」4節。
 306~315頁「平林広人 庶民の心を貫いたアンデルセンのこころ」4節。
 316~329頁「宮口しづえ 藤村の世界から語り続けた子どもの世界」6節。
 330~338頁「宮下正美 少年時代への固執と次世代に託したもの」4節。
 339~352頁「菊田一夫 「鐘の鳴る丘」に結実した戦災孤児への想い」6節。
 353~362頁「土方浩平 おんどり座にかけた波乱の人生」4節。
 363~374頁「加藤明治 家族愛と村落共同体への連帯から生まれた物語」5節。
 375~384頁「熊谷元一 独自の絵物語に描いた子どもたちへのメッセージ」4節。
 385~394頁「いわさきちひろ 平和への祈りを込めた描いた〈ちひろの世界〉」4節。
 395~404頁「新田次郎 少年たちへ託した独自の児童文学」4節。
 405~414頁「宮崎 惇 飛躍した発想から生まれた幻想小説とSF」4節。
 415~423頁「平沢清人 響きあう農民の楽天性とロマンチシズム」4節。
 424~437頁「松谷みよ子 信州で開花した芸術的感性と庶民性」6節。
 438~446頁「庄野英二 キリスト教的精神と信州との絆」4節。
 447~458頁「いぬいとみこ 論理的で社会派的なファンタジー」5節。
 459~475頁「山室 静 明日の社会を考え続けたヒューマニスト」7節。
 476~484頁「柴田道子 弱者の側に立ち続けた壮烈な活動」4節。
 485~494頁「大川悦生 世界平和を希求した戦争民話」4節。
 495~504頁「小宮山量平 強靱なヒューマニズムに貫かれた出版活動」4節。
 505~513頁「C・W・ニコル 強い意志と自然に育まれた独自性」4節。
 514~529頁「椋 鳩十 ハイジの心をもったヒューマニストの自然への畏敬」7節。
 530~536頁「童話編のためのエピローグ」。
 537~538頁「本書のためのあとがき」。
 558~546頁「作品索引」左開き横組み。
 545~540頁「人名索引」左開き横組み。
 本人に直接聞いた、当人の著書にも見られない証言もある。しかし校正は甘いようだ。1箇所だけ気付いたところ挙げて置くと「大川悦生」の章の1節めの終わり近く、487頁7行めに「‥‥、戦中坂城に疎開*2し、旧制上田中学三年に転校で入った‥‥」とある。2節めの冒頭部に連載を元にしているらしく繰り返して、12~13行め「‥‥。都内の世田谷区立/第十二中学校に学び、途中疎開で上田中学へ。‥‥」とある。8行め「‥‥、生年月日は、昭和五年(一九三〇)七月六日。‥‥」だから中学3年生は昭和20年度である。もちろん旧制で、そうすると世田谷区立中学から転校するはずがないので、昭和14年(1939)2月3日創立の東京府立第十二中学校である。昭和16年(1941)4月1日には東京府立千歳中学校と改称、7月10日に、昭和11年(1936)10月1日に東京市に併合されるまで東京府北多摩郡千歳村だった、世田谷区粕谷19番地に新校舎落成・全校移転、昭和18年(1943)7月1日の都制実施に伴い東京都立千歳中学校と改称している。戦後、学制改革に伴い東京都立千歳高等学校になり本書発行日の前日の平成14年(2002)3月2日に58期生の卒業とともに閉校、平成15年(2003)4月に東京都立明正高等学校と統合して千歳高等学校の校地に新築した校舎で、新たに東京都立芦花高等学校が開校している。――すなわち、大川氏が入学したときは東京府立千歳中学校だったので、色々間違っていることになるのである。(以下続稿)

*1:ルビ「け い い」。

*2:ルビ「そ か い」。