瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(18)

遠田勝『〈転生〉する物語』(02)はじめに②
 前回はハーンの「雪女」について、に終始して白馬岳の雪女には及ばなかった。――「はじめに」が白馬岳の雪女に触れるのはこの次の部分である。4頁12行め~6頁2行め、

 ハーンが案じていたとおり、「雪女」という物語は、ハーン以前には日本語で文字に書き留めら/れていない。ハーンの「雪女」に似た物語は、日本の伝統的説話文学には存在しないものなのであ/る。それではそうした文字の文芸ではなく、口碑の記録のほうはどうかいうと、実はこちらには、/ありすぎて困るほど多数の「雪女」物語が、全国各地に散在している。おそらく読者のうちの多く/【4】の方が、いつかどこかで、ハーンの「雪女」に似た物語を特定地方に伝わる民話として耳にしたこ/とがあり、暗黙のうちに、ハーンの「雪女」は、そうした民話のうちのひとつを芸術的に書き改め/たものだろうと考えているのではないか。
 そうした民話のうちでも、信濃越中の国境にある白馬岳*1の伝説が、ハーンの「雪女」にもっと/もよく似ていて、ハーン研究者の一部は、調布の百姓がハーンに聞かせた話とは、この伝説にちが/いないと推定してきた。
 ところが、ここに困った問題がひとつ出てくる。
 日本における口承の伝説は昔話、いわゆる民話の記録と研究のはじまりをどこに置くかについて/は諸説があるが、それを柳田国男の『遠野物語』とすれば、一九一〇年、また、東京朝日新聞社が/全国の読者によびかけて集めた二五〇余編を整理刊行した、高木敏雄の『日本伝説集』だとすれば、/一九一三年になり、いずれにしても、「雪女」を収める『怪談』が刊行された、一九〇四年のかな/り後になってしまうのである。
 つまり、いかに古い伝説や昔話の面影を残していても、それが採集記録された民話であるかぎり/は、ハーンの『怪談』以前には遡れない。そうして見出され記録された民話を、ハーンの「雪女」/の出典と考えるか否かは、結局は、その民話の古さを信じるか信じないかという信仰の問題になっ/てしまうのである。
 この論文のいちばんの目的は、こうして膠着してしまった「雪女」の出典問題を、従来、「口承」/【5】とされてきた民話を批判的に検討しなおすことで、解決しようというものだが、その過程で、いく/つか別の問題にも目を向けている。


 4頁12行め「案じていたとおり」は少々妙だし、14行め「どうかいうと」は「どうかというと」だろう。
 さて、雪女に関する説明はもう1段落(6頁3~12行め)あるのだが、まだその辺りの問題に対応出来るほどの準備が出来ていないので、白馬岳の雪女の考察を進めつつ、いづれ取り上げることとしよう。
 私は白馬岳の雪女に接する機会もあったはずなのだが、別に何とも思っていなかった。「雪女」の話に接したのは「まんが日本昔ばなし」が最初である。「まんが日本昔ばなし~データベース」に拠ると「雪女」は2回、取り上げられていて、1回めは昭和50年(1975)2月11日放送2回めは平成3年(1991)2月2日放送である。この「まんが日本昔ばなし」については後日確認することとしよう。私が知っているのは前者である。放送を見たかも知れないが、満3歳10ヶ月で、当時住んでいた横浜のマンションのことは7月10日付「芥川龍之介「尾生の信」(7)」の前半に回想した程度*2しか記憶にない。テレビを見た記憶もなければ、何処にテレビがあったのかも覚えてないのである。それでもこの「まんが日本昔ばなし」の「雪女」をよく覚えているのは、その年の夏に転居した静岡県清水市の家で、「二見書房の絵本(サラ文庫)まんが日本昔ばなしの絵本」を良く読んでいた記憶があるからである。5冊ずつ箱に入っていたことも覚えている。『雪女』の入っている第11巻はあった。第2巻と第3巻も記憶にある。他の巻もあったかも知れないが、明確な記憶はない。『雪女』を何故覚えているかと云うと、正体を現した後(?)の、目が真っ赤になったところがこの絵本にも採られていて、それが強烈に記憶に焼き付けられていたからである*3。だから、ラフカディオ・ハーンの「雪女」を知る前に、ほぼ似たような「雪女」の知識があった。そのためか、ハーンの「雪女」にいつ接したのかも、それから白馬岳など、地方の伝説と云うことになっている同工の「雪女」に接したことも、印象に残っていないのである。昔話は、各地に同じような話が伝わっているくらいの知識はあったから、同じ話がここにもあったのか、くらいにしか思わなかったのであろう。
 だから、先に断って置くと、私は白馬岳だと思っていた「雪女」のルーツが捏造だったと云うので憤慨して、自分でもとことん究明してみたくなっただとか、土着した話と比較してハーンの文学性を闡明しようとか、そんなことは思っていない。「雪女」の話は、嫌いではないが、特に好きだと云う訳でもない。リア充ぶりが若干羨ましいくらいである。まぁ美男でない私が茂作と箕吉と同行していたとして、箕吉くらいの年配であっても(某動画サイトのコメント欄にも「但しイケメンに限る」とあったように)多分茂作と同じ運命を強いられていただろう。辺見じゅん「十六人谷」の弥助ならそれでも羨ましいと思ったであろうか。――話を元に戻そう。私の狙いは、飽くまでも青木純二『山の傳説 日本アルプスの、最大の問題作を検証して置こう、と云うまでである。遠田勝『〈転生〉する物語――小泉八雲「怪談」の世界の検証で問題がなければ、私は若干の感想を述べるくらいで良かったのだが、資料集めと手順に色々と問題があるように思われたので手を着けてみた。けれども明らかに準備不足で、早速後悔している。しかし、読者が少ないことを励みに(?)*4たどたどしく資料を手繰って行くこととしよう。
 さて、遠田氏の「はじめに」の、ここまでのところについて、牧野陽子は7月20日付(01)に挙げた論文で、次のように批判している。初出113頁8~12行め、再録253頁12~16行め、引用は後者により前者が小さくしている( )を小さくしなかった。改行位置は前者「/」後者「|」で示した。

 まず著者は、冒頭で、ハーンの「雪女」が日本古来の物語なのかどうか、「そんな基本的な質問|にさえ、ハー/ン研究者の答えは分裂」(「はじめに」四頁。以下、当該著書からの引用は、頁数のみを記|す*5)していると述べ、「膠着/してしまった「雪女」の出典問題」(五)を解決し、〝「雪女」論争〟に|決着をつける、と記す。私は驚いた。「雪/女」の出典について研究者の見解は分裂も膠着もしてい|ないし、そもそもそんな〝「雪女」論争のことなど、私は初耳だったからである。


 7月20日付(01)にも述べた通り、これは全く牧野氏の云う通りなのである。遠田氏の云うように「ハーン研究者の一部」が、このような説を唱えたことはあった。しかし飽くまでも「一部」にそのような説を(誤って)立ててしまった人がいたと云うまでで、その「一部」を拡大して両説が「膠着してしまっ」ているとか、「答えは分裂している」などとするのは、確かに問題である。
 牧野氏は今野圓輔や小松和彦の見解*6を取り上げて、民俗学者たちも「ハーン研究者の多く」と同じように、白馬岳の雪女などのハーンの「雪女」にそっくりな話を「ハーンの作品が土着化していった」とする「一致した見解」を取っていることを指摘するのだが、遠田氏は「民話」を取り上げながら、それを専門としているはずの、口承文藝の研究者(国文学者)や民俗学者の見解を顧慮しようとしていない点が、甚だ気になる。
 だからこそ「「雪女」の出典問題を、従来、「口承」とされてきた民話を批判的に検討しなおすことで、解決しようという」、大胆な問題設定が飛び出したように思われるのだ。この辺り、牧野氏は「文学作品が口碑化していく例や、民話の伝承過程に書物が介在する例など、いくらでもあるのではないか。ちょっと思い浮かべただけでも、‥‥」として、毛利元就の三本の矢、浦島物語、昔話「味噌買橋」を例に挙げて、「そもそも、文字による記録というものが登場して以来、書承と口承とは、相互に作用しあいながら、時をへてきたのではないか。」と、遠田氏の問題設定を批判している*7
 しかしながら、やはり7月20日付(01)にて遠田氏を少し擁護したように、世間には「民話」=「口承」と云う式が強固にあって、先述の青木純二『山の傳説 日本アルプスもそうだし、当ブログで取り上げて来た(そもそもはそういうつもりで取り上げたのではなかった)杉村顕『信州の傳説と口碑』『信州百物語 信濃怪奇傳説集』のような、ほぼ先行する書物から丸取りしているだけの編纂物が、未だに民俗学の資料として位置付けられ、これに由来する話が白馬岳の雪女に限らず「怪異・妖怪伝承データベース」に混入して、話の由来に無頓着な民俗学者によって論文やコラムに取り上げられると云う実情が存するのである。(以下続稿)

*1:ルビ「は く ば だ け」。

*2:他には、キャベツ畑の向こうに「モーテル××」が見えたことくらいである。

*3:まんが日本昔ばなし~データベース」の「全話一覧」に拠ると「雪女」は昭和51年(1976)12月4日に再放送されている。幼稚園児(年少)だった私はこれを見ただろうと思う。

*4:多少好い加減なことを書いても殆ど影響しない

*5:初出はこの括弧内全て読点。

*6:詳しくは後述する。【2023年12月29日追記】小松氏の見解とされるものについては、2023年11月20日付(104)に投稿した(執筆は2021年8月下旬)。

*7:尤も、牧野氏も「雪女」に関する限り、その援用する「民俗学者の‥‥見解」は、飽くまでも「ハーン研究者と‥‥一致した」ところを探し出して、取り上げるに止まっているように見える。