昨日の続き。
・和田登『民話の森・童話の王国 信州ゆかりの作家と作品』(2)
白馬岳の「雪女」には第2部に登場する松谷みよ子が大きく関わっているのだけれども、本書では、第1部にのみ取り上げられている。
すなわち「第1部 民話編」の「3 妖怪伝説」は、38頁2行め~「雪 女」40頁8行め~「鬼」42頁11行め~「天 狗」44頁16行め~47頁4行め「河 童」の4節。収録順に連載されていたとすれば平成2年(1990)6月から7月に掛けて掲載されたことになる。
さて、1節め「雪 女」は半ば以上、この章、すなわち妖怪の概説に充てられている。そして雪女については最後、39頁16行め~40頁7行めに、
昔にあっては、深山にわけ入れば入るほど、魔性*1のモノの存在感は増し、雪がしんしんと降る夜ともなれ/ば、雪の精が現れることも、狐が化けて戸を叩きにくることも、覚悟していなければならなかった。信州に/は、雪の夜の訪問者の話が圧倒的に多い。白馬地方の「雪女」の話はその代表的な例で、また物語としても/【39】一級である。
だが、雪の精の物語は、なぜ魂を抜き取られるように怖く、こうも哀しいのだろうか。同じ白馬の雪ん子*2/の姉妹の話にしても、雪女ほどの恐怖は感じさせないものの、哀れに尽きる。しかし、この雪の精の姉妹は、/その可憐*3さと純情さゆえに、主人公の若者のように一度会ってみたいような憧憬*4を抱かせる。闇ではない、/輝く夕方の雪尾根に、鈴の鳴るかろやかな楽の音とともに、うす衣をなびかせて現れる少女姉妹。ところが/この少女たちに会ったものは、みな、眠るがごとくに死へ誘われるのである。
多分、山岳遭難から奇跡的に救われた者の甘美な幻視*5、幻想から生み出された民話であろう。
と、妖怪伝説の「甘美」かつ「代表的な例」として、挙げられているのである。
このような連載をしているくらいだから和田氏は民話にも造詣が深いはずで、本書刊行後だが、2019年9月26日付「青木純二『山の傳説』(02)」に取り上げた『信州の民話伝説集成【東信編】』の編著もある。なお、このシリーズでは、2019年10月17日付「須川池(5)」に書影を貼付した、はまみつを 編著『信州の民話伝説集成【中信編】』に、白馬岳の雪女の話が出ているはずなのだが見る機会がないままである。
それはともかく和田氏は、白馬岳の雪女を、「信州」の「雪の夜の訪問者の話」の「代表的な例で、また物語としても一級である」と評価し、さらに「山岳遭難から奇跡的に救われた者の甘美な幻視、幻想から生み出された」と、その淵源まで推測するのである。
しかし、遠田勝『〈転生〉する物語――小泉八雲「怪談」の世界』が指摘しているように、青木純二、村沢武夫、松谷みよ子など白馬岳で雪女に襲われる「茂作」と「箕吉」は、ハーンの「雪女」の「Mosaku」と「Minokichi」と同名である。自然発生的に同じ名前になるとは思えないから、どちらかがもう一方を取ったとしか思えない。もし白馬岳で「生み出された民話」だとすれば、それが東京府西多摩郡にまで伝わって、さらにハーンによって海外に紹介されたことになる訳だから、信州の民話史上でも特筆すべきことになりそうなのに、そのことには触れていない。
尤も、「山岳遭難から‥‥生み出された民話」と云うコメントは、「雪ん子」に限ってのもののようにも読める。しかし「物語としても一級である」は「雪女」に対するコメントであり、ハーンの「雪女」を剽窃した話にこのような評価を与えても仕方がないから、やはり和田氏は、白馬岳の雪女は、白馬岳で――信州で「生み出された民話」と見做しているのだろうと思われるのである。
すなわち、白馬岳の雪女は、ハーンとの類似が疑問視されず、或いは気付かれていても不問にされて、信州の民話の「代表的な例」として位置付けられ、今や強固な存在となっているらしい。そのことは、菅原正孝のブログ「浄るり(浄瑠璃)の広場」の2020年8月1日「雪女」に紹介される、千国街道沿いに設置されている案内板から察せられる。「民話“雪女”」と題していて「白馬は民話で名高い「雪女」の里です」に始まっている、と云うのである*6。(以下続稿)