瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(069)

・遠田勝『〈転生〉する物語』(29)「二」2~6節め
 10月14日付(067)にて『信濃の民話』の典拠表示について問題にしているところを引き、10月15日付(068)からは本書を離れて「信濃の民話」編集委員会について確認するため『信濃の民話』について一通り確認をした。そこから更に『信濃の民話』やその原話の問題を、国立国会図書館デジタルコレクションや図書館等で資料を揃え易い下伊那郡の話を例に取って確認してみようとして、却って(と云うか例によって)種々の問題点を掘り起こしてしまった。
 しかし関係者が死に絶えてしまった今となっては、昨日言及した大島廣志の論文「外来昔話としての「継子の苺拾い」」以上に、ありそうな推測を並べて見せることしか出来ない。――すなわち慌てる必要は全くないので、「継子の苺拾い」については『日本昔話集成』及び『日本昔話大成』の記述を参看した上で先に進むことにして、ここで一旦、遠田氏の著書の検討に戻ろう。
 ただ「二 ハーンと「民話」の世界」の残りの節に関しては、今取り上げても遠田氏の記述をなぞるだけになりそうである。以前見たことのある『民話の世界』も『自伝 じょうちゃん』も手許にない。いや、松谷氏の再話については、遠田氏の見ていない資料を参考にして、『信濃の民話』の「雪女」以外の話を取り上げて検討してみたいと思っている。そこで今回は、差当り各節の題と位置を列挙して置くこととする。追って遡って取り上げることとなろうかと思うので。
・2節め「「民話」という都市芸術」51頁2行め~54頁10行め
・3節め「『夕鶴と「雪女」」54頁11行め~57頁5行め
・4節め「「雪女」の改良・修復」57頁6行め~61頁6行め
・5節め「「情話」から「童話」へ」61頁7行め~66頁7行め
・6節め「増殖する「雪女」と消える足跡」67頁8行め~68頁
 さて、この章はほぼ松谷氏の「民話」とその再話した「雪女」について検討しているのだけれども、遠田氏は章の題に松谷氏の名前ではなく「民話」の方を提示している。松谷氏及びその再話「雪女」に、「民話」を代表させている訳である。確かに遠田氏がこの章の最後に列挙しているように、松谷氏は『信濃の民話』の成功により、さらに手広く再話を手掛けるようになり、民話自体の研究も深めて行く。そして以後、昭和35年(1960)から平成18年(2006)まで、民話集出版の企画のあるごとにこの白馬岳の「雪女」を繰り返し持ち出したものだから松谷氏の「雪女」は版の上では10種以上、総計で100万部は優に出ているはずである。
 確かに目立つ数字ではある。そして1章まるまる使って、如何に松谷氏の再話に力があるか、力説するものだから、本書の読者は、ここでいよいよ長野県の白馬岳の雪女の「民話」=松谷みよ子の再話、と云う刷り込みをされてしまうように思われるのである。
 しかしながら、ここにも「演出」があるように思う。確かに「雪女」が、ハーンの再話文学としてではなく、民話として、全国的な知名度を獲得するには、松谷氏の再話が与って力があったことであろう。いや、松谷氏抜きでは考えられない。しかしながら長野県の白馬岳の麓の白馬村に於いては伝承地(?)だからこその、別の展開があったのである。そこを遠田氏は掬い上げようとしない。8月22日付(026)に挙げたような、職業作家の『信濃の民話』以前の文献による再話を2つ取り上げるだけで、1つだけ気付いていた「あしなか」掲載のものは雑誌は除くという恣意的なルールで排除してしまう。――しかし、この辺りの事情は8月22日付(026)のリストの後半を検討している箇所にて詳細に及ぶこととして、差当り今は、深入りせずに置くこととしよう。

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 松谷氏は第一法規が刊行していた雑誌「学校経営」に「エッセイ 語り継ぐ民話」を連載していた。これは単行本未収録らしい。国立国会図書館オンライン(雑誌記事索引)に拠ると以下の6回。松谷氏はこれ以外に「学校経営」に寄稿したことはないようだ。
・(1)「あの世からのことづて」のこと
  「学校経営」46巻11号(2001.10)69~71頁
・(2)<下切り雀>をめぐって
  「学校経営」46巻12号(2001.11)71~73頁
・(3)貧乏神
  「学校経営」46巻14号(2001.12)63~65頁
・(4)雪女
  「学校経営」47巻1号(2002.1)57~59頁
・(5)鶏の声で仕事が成就しなかった話
  「学校経営」47巻2号(2002.2)51~53頁
・(6)「桃太郎」をめぐって
  「学校経営」47巻4号(2002.3)43~45頁
 ⑵の「下切り雀」はママ。「語り継ぐ民話」とあるから話の紹介がメインであるかのようにも見えるが、⑴⑵⑹の題からしてやはり「エッセイ」のようである。⑷では一体どのようなことを述べているのか、非常に気になる。――本書で遠田氏が推測していたことの、裏付けとなるような記述があるであろうか。(以下続稿)