瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(40)

・遠田勝『〈転生〉する物語』(20)「一」11節め④
 昨日は、11節め「昭和の大説話集『大語園』」に関連して、村松眞一が平成10年(1998)に発表した「ハーンの「雪女」と原「雪女」」にて『大語園』に載る「白馬岳の雪女」をハーンの「雪女」の原話と見做したことと、これを遠田氏が妙な按配に「利用」していることに対する、牧野陽子の批判を見て置いた。
 遠田氏は、村松氏が「勘違いした」理由を、巌谷小波の権威と木村小舟の再話の手腕に帰せしめようとするのである。
 ところで遠田氏は、『大語園』の編纂及び「白馬岳の雪女」が掲載された事情について、次のように説明している。42頁14行め~43頁9行め、

『大語園』は「日本、支那及朝鮮、天竺に流布せる神話、伝説、口碑、寓話、比喩談等を結集大/成」(『大語園』第一巻凡例)し、これを主題別に分類し全十二巻にまとめた昭和初期としては並ぶ/ものない大説話集だが、その編集の方針としては「支那天竺の説話に対して、最も力を傾け」「ま/【42】た我国に於ける説話採録の年代は……明治時代の物は悉く割愛した」とあるので、本来は、インド/中国に由来する古典的説話の全集で、現代に流布する口碑は、収録の対象外のはずである。したが/って、ここに白馬岳の雪女伝説が登場するのは奇妙にも思えるのだが、大正末から昭和のはじめに/かけての巌谷小波は、小舟があきれ気味に「南船北馬と云はふか、東奔西走と申さうか、主として/諸国の講演旅行に、其全力を傾倒」していたために、結果として「従来集積せる書典以外、地方的/の材料をも、比較的容易に入手することが出来」(第一巻「大語園の発刊に際して」四頁)たのであ/る。そうして図らずも書架に積み上がってしまった「地方的の材料」の一本に、青木の書物があっ/て、そこに載る雪女の話のあまりのおもしろさに、小舟がつい、これを抄録してしまったというの/が実情ではあるまいか。


 『大語園』第一巻「凡例」は3頁(頁付なし)11項にわたっているが、遠田氏の引用は1項めと4項めの一部である。なお「全十二巻」は全10巻のはずである。
 1項め(1頁め2~4行め)は遠田氏の引用に続いて「二十五部門」に分類「大別した」ことが述べてある。
 そして4項めであるが、これは2・3項めを承けているので、ここだけ引いたのでは十分に編者の意図が伝わらない。いや、遠田氏の抜き方では少々意図が捻じ曲げられてしまっているように感じられる。煩を厭わず2項めから抜いて置こう。「凡例」1頁め5行め~2頁め3行め、

 本書は其題名を大語園といふ。此の故は支那に語園あり、次で新語園出で、我國にも之に倣へる本朝語園あり、/ 今此等の書典の内容を檢するに、何れも簡短の文章を以て、故事、因縁。物語を收録し、婦女童蒙と雖も、一讀容/ 易に悟了するに足り、而も警世利民を主眼とせるもの、而して本書は此の題名を蹈襲し、特に加ふるに大の一字を/ 以てした。蓋しそは内容の豐富を表さんが爲に外ならぬ。
 大語園の取材範圍は、日本、支那、朝鮮、天竺に限定した。其理由は、我國の文化は佛教の影響を蒙ること最も/ 大きく、佛法東漸に依り、其之に附屬せる因果應報、勸善懲惡の説話は、先づ支那に傳へられ、次で朝鮮に到り、/ 而して本邦に渡來したるものと、又直接に支那より受入したるものとがある。
 日本古来の説話中、特に其地方口碑の一部には、支那天竺に流布したるものゝ翻案、若くは直譯、更に稀には暗合/ かと思はるゝ物もあり、何れにしても竺支二國に負ふ所多きは、疑ふ餘地が無い。
 されば本書には、支那天竺の説話に對して、最も力を傾けた。本文中各標題の下に、(支)とあるは即ち支那を意/ 味し、(天)とあるは天竺の略、(朝)と記せるは朝鮮の略、而して何等の記載なきは、總て我國に傳はる所のもので/ある。【1頁め】
 猶我國説話の取材範圍は、專ら本土に限り、後世新附の琉球、臺灣、並に北海道等は、其文化の道程自ら本土と異/ るもの有るが故に、一も之を採らなかつた。且また我國に於ける説話採録の年代は、神話時代より、徳川末期の俗/ 話に至るまで、得るに隨つて大部分收容することゝし、明治時代の物は悉く割愛した。


 2項め、『語園』と『新語園』が「支那」の書物であるかのように読めるが、前者は一条兼良編、後者は浅井了意編の、ともに日本で編纂された China 説話集である。
 それはともかく、4項めに「支那天竺の説話に対して、最も力を傾け」と云うのは、その前に「されば本書には」とあるように3項めを承けているので、3項めを見れば日本の説話の淵源が「支那天竺の説話」に求められることが多いので、その原話の探索に「最も力を傾け」たと云う文脈なのである。しかしながら、やはり日本の説話が圧倒的に多くなっている(勘定した訳ではないが。勘定してみたいとは思っている)。遠田氏が『大語園』を「本来は、インド中国に由来する古典的説話の全集で」とするのは、少しズレているように思われる。
 そして「現代に流布する口碑は、収録の対象外のはずである」と云うのは誤読であろう。遠田氏がその根拠としている4項めの「また我国に於ける説話採録の年代は……明治時代の物は悉く割愛した」との記述は、書物の成立の「年代」ではなくて、その「説話」が舞台とする時代こととしか読めない*1。それが「現代に流布」していようがいまいが「対象外」にはならない「はずである」。青木純二『山の傳説 日本アルプス』は『大語園』刊行の5年前、昭和5年(1930)刊行だが、細かく点検した訳ではないが他にも昭和期刊行の書物が(例えば昭和6年刊行の佐々木喜善『聽耳草紙』や後藤江村『伊豆傳説集』*2)少なからず含まれている。況んや明治大正をや。――国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来れば直ちに確かめてもらえるのだが、それが叶わなくなっているのが残念である。
 それはともかく、雪女に取り殺されただの、雪女と夫婦になっただのと云う話が「明治時代」以降の出来事であるはずがないから(そんなことはいつの時代にも有り得ないなどと突っ込まないように)割愛対象にならなかっただけのことである。『聴耳草紙』や『伊豆伝説集』に載る、何時のことだか示されていない話も、同じような扱いである。――それを「雪女の話のあまりのおもしろさに、小舟がつい、これを抄録してしまったというのが実情では」、などと推測するに至っては、多くの「ハーン研究者」ともども「白馬岳の雪女」の「正体を見抜けなかった」うっかり者の仲間入りをさせられてしまった木村小舟が可哀想になって来る*3。(以下続稿)

*1:湯本豪一が明治期の新聞から拾い集めた妖怪・怪異の記事からも分かるように、明治時代になってからも相変わらず「徳川末期の俗話」と同じような話題が世間では少なからず取り沙汰されていたのだが、そこは時代で区切った、と云うまでのことである。

『明治期怪異妖怪記事資料集成』は2011年4月13日付「港屋主人「劇塲怪談噺」(1)」に書影を示した。

*2:9月10日追記】前者は「一」4節め「『山の伝説』」にて、青木純二『山の傳説 日本アルプス』の古さを強調するために、25頁12~13行め「‥‥、柳田国男の『遠野物語』の採話者である佐々木喜善が自身の『聴耳草紙』を刊行し/たのが、これより一年遅い、一九三一年であるから、‥‥」と持ち出されていた。なお「採話者」は「話者」で良かろう。

*3:いや、3項めの「特に其地方口碑の一部には、支那天竺に流布したるものの翻案、若くは直訳、更に稀には暗合かと思はるる物もあり」との一節からすると、わざと、つい二十数年前のハーンの『怪談』から地方に定着したらしい例として採った可能性も考えられるのではないか。もちろん、素直に「地方口碑」として採ったと考えるのが、一番ありそうな筋だけれども。