・遠田勝『〈転生〉する物語』(35)「五」1節め①
「第一部 旅するモチーフ」=「小泉八雲と日本の民話――「雪女」を中心に」の最後の章は、100頁4行め~129頁「五 遠野への道」と題されている。その最後は1行分空けて129頁8行め、
こうして「雪女」は、遠野の昔話になったのである。
と云う芝居がかった一文(!)になっている。まさに上手く着地が「決まった!」と云った感じである。――すなわち、日本に帰化した英国人ラフカディオ・ハーンの、殆ど創作と云って良い再話作品「雪女」が、松谷みよ子の再話した「民話」を経て、日本民俗学の聖地遠野で終に昔話になってしまった、と云う筋を、遠田氏は引いて見せるのである。
私の興味は差当り青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』の影響を見るにあるので、松谷みよ子以降の、信越以外での展開を追うのは程々にして置きたい。それに、当ブログでも度々表明して来たように、私はどうも遠野を特別視する人たちが苦手なのである。
それはともかく、1節め、100頁5行め~102頁12行め「雪女伝説の口碑化」に、100頁6~7行め、
さて、話をもう一度、白馬岳の雪女伝説にもどし、冒頭に掲げたリストのうち、残された、松谷/以降の5~8までの伝承の跡をたどっておこう。
として、8月22日付(26)に引いた、遠田氏が「白馬岳の雪女伝説」の文献を「一定の条件で絞りこ」んでリストアップした「八話」のうち、後半4話(25頁6~10行め)を再掲(100頁8~12行め)する。
そして100頁13行め~101頁6行め、まづ、
5の『アルプスの民話』は、著者が序文で愛読書として青木の『山の伝説』をあげていることか/らわかるように、青木にならった日本アルプスの伝説集である。青木の本は、山岳愛好家を中心に、/熱烈なファンが意外に多くいて、一九六〇年代になってからも、このような模倣作が生み出されて/いる。したがって、ここに載る「雪おんな」もまた、青木に依拠したものであろうが、作中、ひと/つだけ目につく改変がほどこされていて、ここでは雪女が箕吉の命を救うために出現しているので/ある。父の茂作は山小屋のなかで絶命するが、それは雪女の仕業だとは書かれていない。救命救助/のために現われる雪女というのは、これが初めてではなかろうか。
山田野理夫『アルプスの民話』の「はしがき」の冒頭は、7月25日付「山田野理夫『アルプスの民話』(3)」に抜いて置いた。「わたしの父の書棚に、青木純というひとの「山の伝説」という本がありました」とあるが、青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』は山田氏が丁度満8歳になる頃に刊行されている。やはり名前を(わざと?)間違えていることが気になるが、それはともかくとして、――そうすると或いは、小中学生の頃に『山の傳説』を「愛読した」ことが、山田氏が伝説に興味を持ち、そして伝説をあのように扱う、そもそもの切っ掛けになったのかも知れぬ、と想像したくなるのである。
遠田氏は「青木にならった日本アルプスの伝説集である」としているが、7月26日付「山田野理夫『アルプスの民話』(4)」に示したように全90話のうち約60話が『山の傳説』をリライトしたものと思われるので「模倣作」どころではない。「雪おんな」はもちろん「青木に依拠したものであろう」。
それから「青木の本は、山岳愛好家を中心に、熱烈なファンが意外に多くて」と云うのが、ちょっと分からない。遠田氏がリストアップした「白馬岳の雪女伝説」の「八話」のうち、遠田氏が『山の傳説』に拠っていると見ているのは戦前の『大語園』と戦中の『信濃の傳説』と、「一九六〇年代」の『アルプスの民話』の3つだけである。『大語園』と『信濃の傳説』の編者は、山岳愛好家として『山の傳説』を読んだ訳ではないだろうから、山岳愛好家のファンは『アルプスの民話』の山田氏くらいである。それとも「条件」を満たさなかったので除外した文献に「熱烈なファン」の存在を窺わせるものがあったのであろうか。――それならばやはり、考察に含めないまでも、そういった文献は注などに名前だけでも示して欲しかったと思う。
なお『アルプスの民話』の「雪おんな」については、7月22日付(03)に見たように星野五彦が昭和57年(1982)に「八雲作の翻案ではなかったか」として取り上げていた。但し「白馬岳」と云う場所には注意していない。(以下続稿)