・遠田勝『〈転生〉する物語』(21)「一」11節め⑤
遠田氏は「白馬岳の雪女」の流布と定着に『大語園』が大きな役割を果たしたように読みたいらしいが、影響は殆どなかっただろう。
従って『大語園』に関しては差当り、村松眞一の「勘違い」と、これを「利用」した遠田氏の恣意的な読みについて確認すれば十分であろう。
なお、牧野陽子は9月6日付(39)の引用に続けて、108頁9行め、
だが、はたして『大語園』自体は、口碑として「白馬岳の雪女」の話を収録したといえるのだろうか。
とし、『大語園』の内容や書物としての性格を考察して、108頁14~16行め、
‥‥。つまり、巌谷小波という/児童文学作家の監修による『大語園』そのものの趣旨が、民俗学の見地から各地のさまざまな口碑を集めること/ではなく、各種文献の中から物語性の強いものを選んで収録することにあったと考えられるのではないか。
と反論するのだけれども、では「白馬岳の雪女」をどう云うつもりで収録したのかと云えば、やはり、前回見た第一巻「凡例」の語を借りれば「傳説、口碑」或いは「地方口碑」のつもりで、収録したのであろう。――所詮はハーン「雪女」の翻案の縮約に過ぎない『大語園』の「白馬岳の雪女」を、遠田氏がやたらと「口碑の記録」或いは「本物の口碑伝説のよう」などと強調し、繰り返し「口碑」になりおおせたとの刷込みを行おうとしていることが酷く鼻に付くのは確かだけれども、問題はそこではなくて、如何に遠田氏が古さと出来の良さを褒め称えようとも「雪女」の伝承や研究に関して『大語園』の影響はほぼ認められないこと(村松氏と遠田氏くらい)と、「凡例」に「明治時代の物は悉く割愛した」と云うのは話の内容についての断り書きであって、書物の成立・刊行時期や話が語られていた時期*1とは無関係である点を突っ込むべきであった。私はひょっとしたら遠田氏は、牧野氏が指摘する第十巻の「引用書目一覽」を見ていないのではないか、と思っている。「引用書目一覽」を一覧すれば、牧野氏が云う「仏典、史書、中世の説話集、近世の随筆、縁起、同時代の郷土史など」に加えて、前回挙げた『聴耳草紙』や『伊豆伝説集』その他、多くの同時代の口碑伝説集が挙がっていることに気付いたはずで「現代に流布する口碑は、収録の対象外のはずである」等とは思わなかったはずだからである。
それよりも気になるのは、遠田氏がどうやって青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』に辿り着いたのか、本書では全く説明していないことである。牧野氏に「演出」と批判されるような構成を取っているのに、何故か肝腎の「青木純二」発見の経緯を説明しない。
牧野氏はまづ、本書がありもしない〝「雪女」論争〟なる問題設定を前提としていることを批判している。確かにそんなものは、ほぼ存在しない(と云うか、信州の人たちは論争もなしにこれを土地の話と信じている、と云う、流行りの言葉で云えば一種の〝分断〟が生じている)のだが、こうした架空の問題設定を本書で「演出」して見せたのは、遠田氏の出発点が、実はそこではなかったからなのではないか。
8月22日付(26)に見た遠田氏の「白馬岳の雪女」探索結果のリストであるが、「白馬岳の雪女」の伝承(?)圏と見られる、長野・富山両県に関係する伝説集を細かく点検して見付け出して行ったのではなく、9月5日付(38)にも指摘したように、ハーン研究者の村松眞一や中田賢次の指摘から辿って行ったようである。3村沢武夫『信濃の伝説』は、中田氏が挙げていた4松谷みよ子『信濃の民話』から遡ったのであろう。詳しくは後述する予定。1青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』も同じように2『大語園』から遡ったのであろう*2。
元々遠田氏は、「雪女」にはハーンが序文で断っているように元になる話があった(かも知れない)と考えていたところに、村松氏の文章を読んで、自分でも神戸大学附属図書館所蔵の『大語園』を繙くに、村松氏が「山の伝説として伝えられる」としている末尾の「(山の傳説)」なる表示が、前後の項目を眺めることで9月6日付(39)に確認したように実は書名――つまり依拠資料であることに気付いたのだろう。
そのことを伏せたのは、村松氏の「勘違い」を個人的な誤謬ではなく一般論に格上げして、巌谷小波の権威と木村小舟の再話の技量が、「白馬岳の雪女」土着化に貢献したかのような筋を引くためであった。しかし、9月5日付(38)に触れたように、長野・富山両県では『山の傳説 日本アルプス篇』刊行から2~3年で早速反応が現れており、その流れが継続して今に至っているので、遠田氏の云う「「巌谷小波」という最高のお墨付き」が「白馬岳の雪女」の流布・定着に影響があったと云う形跡は、全く(と云って良かろう)認められないのである*3。
遠田氏には、どうも、全ての材料を一直線に並べて処理しようと云う傾向があるように感じられるのである。しかし系譜を辿れば、当然行き止まり、或いは孤立した流れと云うものがある。『大語園』は『山の傳説 日本アルプス篇』から派生した小さな瘤のようなもので、村松眞一がこれをハーン「雪女」成立論の資料として投じてみたものの、何らの議論も反響も巻き起こさなかった。ただ遠田氏一人が、これを大きな意味のあるもののように書き立てたことは、牧野氏の批判するように、何らの実質を伴わない「演出」と云うべきもののように、私にも思われるのである。(以下続稿)
*1:「白馬岳の雪女」はそもそも語られていなかったのだけれども。
*2:遠田氏は「白馬岳」にルビを附した2箇所、8月14日付(18)に見た5頁4行めと、2019年10月22日付「胡桃澤友男の著述(1)」に見た17頁9行めで「はくばだけ」と読ませている。青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』では76頁11行め・80頁1行め・87頁8・9行め・89頁4行め・91頁9行め・93頁11行め「しろうまたけ」77頁2行め・79頁2行め・100頁2行め「しろうまだけ」83頁11行め・84頁2行め「はくば たけ」94頁7行め「しろひまたけ」で殆ど「しろうまた(だ)け」と読ませており、問題の「雪 女(白馬岳)」でも96頁1行め「しろうまたけ」である。何故「はくばだけ」と読んでいるか不審だったのだが、どうやら『大語園』のルビ「はくばがたけ」に(『大語園』がそもそもの出発点だったので)釣られたもののように思われるのである。
*3:いや、流布・定着に対して、ではなくハーン研究者に「白馬岳の雪女」が先行すると思い込ませるような「最高のお墨付き」と云うつもりかも知れない。しかしそれならいよいよ、牧野氏の云うように村松氏と遠田氏――非常に限定的なもの、すなわち小さな瘤に止まるであろう。