瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(074)

 昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(33)「四」
 83頁6行め~100頁3行め「四 ハーンの「雪女」を読む」は、遠田氏の「雪女」読解である。――私には「雪女」をどう読むか、と云ったところまで先行研究を辿り直して検討するだけの準備は出来ていないので、この章も「二」章2~6節め同様、差当り、素通りすることとしたい。
・1節め「異類婚姻譚の構造」83頁7行め~87頁6行め
・2節め「奪われた視線」87頁7行め~91頁13行め
・3節め「母と子の構図」92~96頁6行め
・4節め「母性の神話と父性の神話」96頁7行め~98頁9行め
・5節め「悲しみの正体」98頁10行め~100頁3行め
 但し1節め「異類婚姻譚の構造」冒頭、83頁8行め~84頁4行めに、

 日本において、ハーンの「雪女」が『怪談』を代表する傑作として愛されつづけ、残酷で不可解/な筋書きをもつにもかかわらず、「童話」として多くの児童文学全集に収められ、さらには、「民/話」として日本各地で口碑化していった背後には、ひとつの大きな理由があった。それは、木下順/二との関連でも触れたけれども、「雪女」が物語の大きな枠組みとしては、異類婚姻譚という型式/に属していることである。これは、わたしたち日本の説話世界では、もっとも人気のある話型のひ/とつで、『夕鶴』に代表される鶴女房も、信田*1妻として多くの芝居や語りものになっている狐女房/の物語も、この型式に属している。
 ただしハーンの「雪女」には、この伝統的な型式から大きく逸脱した部分があり、それこそが、/【83】ハーンの魅力であり、独創性であったと見ることもできる。では、その部分が民話版「雪女」にど/う伝えられていったのか、あるいは、伝えられなかったのか。ひとつの個性的で独創的な文学作品/が、「民話」化されるとき、その個性や独創性にどんな変更が加えられるのか。異類婚姻譚という/伝統的説話の型式に注目しながら、この問題を考えてみたい。

とあるように、白馬岳の雪女など地方の伝説として扱われている話に触れた箇所もある。そこだけ以下に摘記して置こう。
 3節め「母と子の構図」95頁13~15行め、

 越後地方を中心に、雪女の伝説は、しばしば、人魚の肉を食したために八百歳まで白く若々しい/肌を保ったという八百比丘尼*2の伝説と交錯しているが(59)、ハーンの物語でも、彼女は、若い美しい/外観とは裏腹に、永遠の齢をへた老女の心をもっている。‥‥


 「注」は244頁7行め「(59)藤澤衛彦『日本伝説研究』第二巻、六文館、一九三一年、一―三頁。」とある。
 『日本傳説研究』第二卷には大正14年(1925)大鐙閣版、昭和6年(1931)六文館版、昭和10年(1935)三笠書房版の3版がある。国立国会図書館デジタルコレクションでは大鐙閣版のみがインターネット公開になっている。しかし六文館版・三笠書房版も目次を閲覧することが出来、大鐙閣版と全く一致している。恐らく同版であろう。
・藤澤衞彦『日本傳説研究』第二卷(大正十四年九月 十 日印刷・大正十四年九月十五日發行・定價貳圓五拾錢・大鐙閣・口絵4葉+三+一四+三八三頁)
 同版だとすれば六文館版ではなく大鐙閣版を挙げるべきだったろう。かつ、八百比丘尼と雪女の2つについて取り上げた1章め「八百姫と雪女――不老長生傳説――」は一頁から六五頁までで、何故遠田氏が三頁までで切っているのかが分からない。一九頁7行めまでは、まづ雪女について、中盤から後半は八百比丘尼について述べ、さらに一九頁8行め~四八頁「人魚傳説考」、四九~六五頁「雪女傳説考」にて多くの画証を挙げて個別に論じている。――なかなか画面で読むのに慣れないので熟読出来ていないのだが、遠からず(印刷するなどして)精読することとしたい。(以下続稿)

*1:ルビ「し の だ 」。

*2:ルビ「はっぴゃく び く に 」。