瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(57)

・丸山隆司「【研究ノート】民話・伝説のポストコロニアリスム」(6)
 一昨日見たように、丸山氏は「悲しき蘆笛」の粗筋を紹介、末尾は原文のまま引用して、次のように述べる。39頁下段9~17行め、

‥‥。も/うすこしあからさまにいえば、この話のモチーフは、セトナとマニ/ベの熱愛ではなく、マニベが主への忠義とセトナへの思いに引き裂/かれ、「セトナ様、お身様のお心は、何んでマニベの有難く思はぬ事/が御座いませう。だがマニベはお身様の幸こそ願へ、お身様の願を/容るゞ事は……マニベは主人の娘とかたらふ不忠者にはなりたうご/ざいません」という、ここにある。主人に忠であることこそが重要/な倫理観である、と。そこに、「皇室中心主義」者の青木の倫理観が/反映していないはいないだろうか。

と結んでいる。「容るゞ」は『アイヌの傳説と其情話』原文では「容るゝ」。
 原作である『山の傳説と情話』の永田耕作「阿寒颪に悲しき蘆笛」は、若菜勇のブログ「マリモ博士の研究日記」に転載されている、「釧路新聞」文化欄連載「日本マリモ紀行」のシリーズ「マリモ伝説」の2018年10月22日掲載「⑫ 原作にない身投げと心中」に紹介されている粗筋を読んだだけだが、青木純二『アイヌの傳説と其情話』の【45】「悲しき蘆笛」と変わらないようである。2018年10月29日掲載「⑬ 口語調と削除で昔話風に改変」を読んでも、セトナとマニベの物語の筋に関わるような「改変」は為されていないようだ。
 丸山氏は「悲しき蘆笛」に原作のあることに気付いていないが、丸山氏の「悲しき蘆笛」の要約も、若菜氏の「阿寒颪に悲しき蘆笛」の粗筋よりも簡略だが、食い違っているところはない。
 そこで気になるのは、丸山氏が「この話のモチーフは、セトナとマニベの熱愛ではなく」としていることである。――私は北海道には1度しか行ったことがなく、その1度も新十津川札沼線)やら上砂川(函館本線支線)やら増毛(留萌本線)やら様似(日高本線)に行ったり、ひたすらJR北海道の鈍行列車を乗り継いで過ごして、観光地らしき場所には殆ど行かず、道東には全く足を踏み入れなかった。火山には頗る興味があるが、アイヌの伝説には興味を持っていなかったので「恋マリモ伝説」のことは全く知らなかった。マリモは誰かのお土産でもらってしばらく世話をしたような記憶があるのだけれども。
 だから「熱愛」に違和感があるのである。――召使の息子・マニベは初めから身分違いを意識しており、酋長の娘の美人メノコ・セトナが愛を告白しても丸山氏が引用している台詞を口にして拒絶するのである。思いが遂げられないことを知ったセトナはすっかり痩せ衰え「形容物凄いばかりにな」る。「老父母の嘆き、一族の憂ひもよそに、マニベの名を呼び續けて」いるのだから、老父母も一族もセトナの回復のために必要な措置は分かっていたはずなのだが、そここそが絶対に枉げられないところとして「嘆き」や「憂ひ」の種になったのかも知れない。それはともかくマニベは、セトナと結ばれる可能性のなくなった、セトナの許婚メカニに襲われるが返り討ちにしてしまい、追っ手の掛かる中、阿寒湖に漕ぎ出して消息不明になる。その「數日後セトナは愛人の名を呼び續けて死んで行」く。こんな話を、どうして丸山氏は「熱愛」などと云っているのであろうか。
 それは、現在では「恋マリモ伝説」の異称が表しているように悲恋物語と云うことになっているからで、作者が永田氏と判明したことを報じた「北海道新聞」2017年8月22日付記事にも「恋仲となったアイヌ民族の若い男女が身分違いから結ばれず阿寒湖に身を投げ、魂が姿を変えてマリモになった物語」と纏められていた。ネット上には間々「北海道版ロミオとジュリエット」との譬えも見られる。この点については若菜氏の連載の2018年8月27日掲載「⑦ 放送開始のラジオで拡散」に、昭和6年(1931)6月28日付「釧路新聞」に予告が見える、帯広のアイヌ民族伏古コタン)児童の教育を目的とした日新尋常小学校昭和6年8月閉校)校長である吉田巌(1882.7.6~1963.6.4)が講師のラジオ放送「郷土史講座アイヌの伝説について」の内容を承けたらしい、同日夕刊*1のコラムがこうした改作の、文献上の初出であることが指摘されている。

1931年6月28日の旧釧路新聞に掲載されたマリモ伝説の紹介記事./「若いアイヌの男女が湖に身を投げマリモになった」という話の文献上の初出となる

とのキャプションを附して、当該コラム「見聞雜記」の複写が掲載されているのだけれども、本文中の判読には間々誤りが見られるようだ。読みにくいものだが全文を読んで置こう。

△田村博士が/けふ視察する/ことになつて/ゐる阿寒湖の/名物毬藻には/奇すしきアイ/ヌの傳説があります*2△湖畔の或る/酋長の娘が下僕のあとを慕つて、/湖に飛び込んだあとから二つ宛/つながつた毬藻が生れたといふの/ですが、どこの傳説にもあるやう/に敵役には副酋長の息子ターガン/といふのがなります*3△下僕は主人/の娘を思つてゐるが忠義一徹な男/なので諦めてゐる、併し花婿に選/らばれたターガンが嫌がる主人の/娘を口説いてゐるのを見てカツと/なりターガンを殺して了ひます*4△/そして下僕は罪の怖ろしさに脅び/えながら湖へ投身自殺すること/になるわけですが、亡びゆく民族/にあるらしい如何にもいじらしい/傳説です*5△毬藻が日蔭でなければ/育たないといふのも許されない主/從同士の戀なのだからでせう。*6


 読みにくいところは推読。――これならば「主従同士の恋」である。「悲しき蘆笛」のマニベはそのような感情が萌すことを自ら禁じているのだが、こちらは身分違いなので「諦めてゐる」のである。敵役の名前が違っていることが気になるが、恋情が根っこにあるので激昂して殺してしまうので、「悲しき蘆笛」のようにメカニがセトナに相応しくなく、セトナも嫌っているとの理由で追い払いながら、セトナの思いを拒絶して精神的打撃を与え、不治の床に就かせるようなことはしていない。別の場所で死んだのではなく同じ阿寒湖に身投げしているのも、マニベが得意とした蘆笛の音が、セトナの霊魂のものらしき「女の泣声」と共に聞こえて来る、と云う「悲しき蘆笛」の救いのない結末と違って、あの世で、いやこの世で、マリモに転生して、結ばれたことを思わせるものとなっている。
 帯広市教育委員会が刊行している帯広市社会教育叢書・帯広叢書で『吉田巌日記』が現在も続刊されているが、この放送やマリモ伝説、或いは青木純二の著書についての記述があるであろうか。なお、小樽新聞帯広支局主任・工藤梅次郎(1887~1941)の『アイヌ民話*7(大正十五年三月五日印刷・大正十五年三月十五日發行・定價金貳圓・工藤書店・12+10+220頁)の前付(12頁)には著者の「はしがき」の他に「序」が3つあるが、3つめ(9~12頁)を書いているのが吉田巖である。
 さて、ここで丸山氏の結論に戻ってだらだら(?)続けていた丸山氏の文章の検討を切り上げて置こう。――丸山氏はマニベの倫理観を青木純二の「皇室中心主義」に関連付けて解釈しようとしていた。しかしながら、この「悲しき蘆笛」は伝説集に収録するために調整されているが、大体は『山の傳説と情話』の永田耕作「阿寒颪に悲しき蘆笛」そのままなのである。すなわち、この件に関しては青木氏個人の問題と云うより、広く和人とアイヌ、或いは大正期に於ける「伝説」の実態を視野に入れて、捉え直すべきであろう*8。私は前者には今から深入り出来そうにないが、後者についてはしばらく検証を続けるつもりである。
 疑問なのは、阿部氏も丸山氏も「悲しき蘆笛」の末尾にある「(山の傳説と情話より)」まできっちり引用しながら、これを典拠となった書物と見做していないことである。書名らしく「 」や『 』で括っておらず、こうした注記が(山の傳説と情話より)2話と(海の傳説と情話より)1話の合計3話のみであること、それから『山の傳説と情話』或いは『海の傳説と情話』と云う書物も忘れ去られていたために、気付かなかったのであろう。うち『海の傳説と情話』に拠る1話、147頁4行め~153頁4行め【60】「夜光の珠」の原話もやはり永田耕作の作品なのである。すなわち、若菜氏の連載の2018年7月23日掲載分を転載した「④ セトナとマニペ 物語の誕生」に、表紙と二九頁「夜光の珠か魔神か/美しい許嫁の願ひは何?【ヲ タ ル ナ イ の 傳 説】永 田 耕 作」の扉が掲載されている。若菜氏も含め、こちらは「悲しき蘆笛」と違ってまだ比較検討はなされていないようだ。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 随分遠回りしてしまったが、ここで遠田氏の本に戻る。(以下続稿)

*1:28日の夕刊とすると29日付。

*2:ルビ「た らはかし/しさつ//あかんこ/めいぶつまりも/く」。

*3:ルビ「こはん・あ/しうちやう・むすめ・げぼく・した/みづうみ・と・こ・づゝ/まり・うま/でんせつ/てきやく。ふくしうちやう・むすこ/」。

*4:ルビ「げぼく・しゆじん/むすめ・おも・ちうぎ・てつ・をとこ/あきら・しか・はなむこ・え/いや・しゆじん/むすめ・くど・み/ころ・しま」

*5:ルビ「/げぼく・つみ・おそ・お/みづうみ・とうしんじさつ/ほろ・みんぞく/いか/でんせつ」。

*6:ルビ「まりも・ひかげ/そだ・ゆる・しゆ/じうどうし・こひ」。

*7:75~77頁5行め「お月樣の惡戯」が9月20日付(53)に取り上げた鈴木トミヱ「アイヌむかしばなし」の3冊め『月へいった 女の子』の原話。

*8:もちろん、この内容をそのまま受け容れたことや『アイヌの傳説と其情話』に載る他の話との均質性から、青木氏個人の問題がなくなる訳ではない。しかしそれを論じるためには他の話を例にするか(しかしそのためには話の素姓を、一話一話より詳しく検討する必要がある)、阿部氏が俯瞰的に示していた『アイヌの傳説と其情話』全体の傾向を、より掘り下げて眺め直す必要があるだろう。