瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(53)

 昨日は第百書房版『アイヌの傳説』の発行日に関する疑問から、前々から気になっていた札幌市図書館OPAC の「青木純一」の豆本アイヌの伝説』、更には図書館のデータがどうも奇妙な実例として昭和3年(1928)の北海道帝國大學附属圖書館『北海道史料展覽目録』に及んで、本題に戻れなくなってしまった。
 ここで、事の序でに北海道大学附属図書館 Online Catalog でも「青木純二」で検索して見るに、『アイヌの傳説と其情話』『アイヌの傳説』『民族性の研究 アイヌの傳説』の他に、次の本がヒットした。
・鈴木トミヱ 絵・文『サケとわかもの』(1983.3.30発行・定価750円・北海道出版企画センター・23頁)

 鈴木トミヱ(1943生)は北海道出版企画センターから「アイヌむかしばなし」と云う絵本シリーズ(A5変形判)を出していて、『鹿とサケと水の神さま』(1984.5.15発行・定価850円・27頁)『月へいった 女の子』(1986.03.31発行・定価850円・25頁)が続刊されている。
 これがヒットした理由は「一般注記」項に「"川の主と笛の音"(青木純二著『アイヌの伝説』)をもとにした創作」とあるからで、『アイヌの傳説と其情話』29頁7行め~31頁7行め、仮に番号を附すと【9】番めの「川の主と笛の音」が原話(?)である。

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・丸山隆司「【研究ノート】民話・伝説のポストコロニアリスム」(3)
 一昨日の続き。
 丸山氏は、青木純二が「皇室中心主義」を表明していることに注目して『アイヌの傳説』を分析した阿部敏夫の見解を承けて、これを『東蝦夷夜話』の「御味方コタン」が「赤人」ロシアと戦う図を載せていることに絡めて、アイヌも取り込んだ形での「天皇国家中心主義」を読み取る。そして「確かな根拠のない」青木氏の『アイヌの傳説と其情話』=『アイヌの傳説』に載る「大蛇を殺した娘」を「安易かつイノセント(無自覚)に」笹間良彦が「およそ七〇年近くののちになってアイヌの民話・伝説として転載」し「てしまっていること」に「日本人の異文化理解、他者理解の貧困さがみられる」とする。
 全くその通りなのだけれども、その背景には一昨昨日、9月17日付(50)に見た、大正期の伝説の活字化や、伝説に基づく読み物の盛行があった。この時期、典拠を示さない、江戸時代に以前の文献に見える原話の口語訳なのか、それを少し脚色した再話なのか、殆ど創作と云って良いくらいの再話なのか、地名や人名に触発されての全くの創作なのか、異郷他国の話を移植した翻案なのか、区別の付かないような話が、区別の付きにくい形で、多数世間に供給されていたのである。いや、China の説話や小説の翻案は江戸時代にも盛んに行われ、中には大正期の郡誌が拾ってしまったことで、伝説に紛れてしまったものも存する。そして、この状態はその後も継続し、新しい伝説集が旧来のものを引き写し、そして伝言ゲームのようにあるモチーフを省略し、或いは付け加え、さらに新たに「確かな根拠」があるのだかないのだか分からない話を加えて、いよいよルーツの辿れないものに――まさに「伝説化」させて行った。こうして元々存在しなかった発想や展開――「創作」或いは「捏造」が選り分けられることなく、柳田國男民俗学がこう云った話の解釈や取り扱いについて見識を示した後になっても、一口に「伝説」と云えば何となく古くから口承されてきたもののように、現代でも思われ続けているのである。下手をすると民俗学を囓っている人の方がこうしたことに無頓着で、むしろ再話に積極的だったりするから始末が悪い。
 丸山氏はこの「大蛇を殺した娘」が、北海道の伝説としてどのくらい文献に拾われているのか、確かめる余裕もなく執筆しているので、笹間氏が67年前の本から「安易かつイノセント(無自覚)に」掘り出して来たような書き振りになっているが、その間にも色々な展開があったのである。或いは、笹間氏は青木氏の胡散臭い伝説集ではなく、もっと尤もらしい書物から、確かなものとしてこの話を引いているかも知れないのである。しかし書物の厄介なところは、必ず新しく、権威あるものが参照される訳ではなく、時に忘れ去られていたものが、その封印を解かれて(?)思い掛けず復活することのあることで、笹間氏が青木氏の伝説集に直接就いた可能性も否定出来ない。――そうなると、ここから先、すなわち笹間氏が何に拠ってこの話を知ったのかは、シトナイ伝説に昏い私が検証するよりも、Twitter で議論して来た先学に任せるべきであろう。
 それはともかく、「皇室中心主義」の青木氏に「異文化理解、他者理解の貧困さがみられる」のはもちろんのことなのだが、6年後の著書『山の傳説 日本アルプス』を見ても判るように、当人はそのことに全く「イノセント(無自覚)」である。せいぜいが、本州の城下町のような、江戸時代以来の文献があり、想像を働かせる余地のない土地とは違って、そのような文献が殆どなく自由な創作が許される(許されはしないのだが、そういうことをしても咎められることの少ない)場所くらいに、北海道や、アイヌのことを考えているに過ぎないようである。
 ここらで、8月30日付(34)に後回しにすることを断って置いた、遠田勝『〈転生〉する物語』の「一 白馬岳の雪女伝説」の8節め「「雪女」と偽アイヌ伝説」の最後、遠田氏が推測する、青木氏が「白馬岳の雪女」を捏造した理由について、触れて置くのが良さそうである。(以下続稿)